なんとも業の深い物語である。
前作『死国』と同じく作者の故郷、高知の山村、尾峰という閉じられた空間を舞台に、昔ながらの風習が息づき、「狗神」を守る坊之宮家とそれらに畏怖の念を抱く村の人々の微妙な関係をしっかりした文体で描いている。
前作『死国』でも感じた日本の田舎の土の匂いまでも感じさせる文章力はさらに磨きがかかっていると感じた。後に『山妣』で直木賞を獲るその片鱗は十分に感じられた。
そして今回は物語の語り方が『死国』よりも数段に上達したように感じた。
まず主人公の美希の人物造形である。
この41歳の薄幸の美人の境遇に同情せざるを得ないような形で物語は進んでいくのだが、次第に明かされていく美希の過去のすさまじさには読者の道徳観念を揺さぶられる事、間違いないだろう。
結婚を諦めざるを得ない原因となった高校時代での妊娠。
しかしその相手が従兄である隆直だという事実。
そしてその隆直が実の兄だったという三段構えで、この美希の業の深さをつまびらかにしていく。
その他にも、物語の前半で美希の人と成りを彩る色んな小道具が、実は美希の業の深さを知らしめるガジェットであることを知らされる。特に美希が毎日手を合わせる地蔵の真相には胸の深い所を抉られる思いがした。
まさか死んだ我が子がその下に埋められているとは。しかも尾峰の言い伝えである、死んだ赤子を路傍に埋め、石を載せないと甦るという迷信から石を地蔵に仕立てたなどという、驚愕の設定なのだ。
この坂東眞砂子という作家は、人間が正視したくない心の奥底に潜む悪意というものを眼前に突き出すのが非常に上手い。「これが人間なのだ」と決して声高にではなく、静かに読者に語りかける。云うなれば、そう、人間が獣の一種なのだという事実、獣が持つ残忍さを秘めている事を改めて思い知らされる、そんな感じがした。
そして坂東眞砂子氏の文学的素養というのも今回確認できた。
まず美希が晃と山中での雨宿りの最中に初めて交わるシーン。これは歴代の日本純文学から継承される恋愛シーンの王道だろう。三島由紀夫氏の『潮騒』を思い出してしまった。
私自身が一番好きなのは晃が美希と結婚することを決意した際に、不審な目で二人を見つめる村人の視線に真っ向から対峙したときに美希が晃を頼もしく思うシーンだ。これは私が結婚を決意する時の心情に似ていたからだ。
「もし世界中の人が俺の敵になっても、こいつだけが俺の味方だったら、それで十分だ」
この思いと等価だからだ。これはストレートに我が胸に響いた。
他にも美希に対しては住みよいとは云い難い尾峰を、美希が好きだというところの台詞、
「ここにおったら・・・、空に飛びだせそうな気がするき」
なんていうのも胸に響いた。
前作『死国』では物語のメインテーマ「逆打ち」を中心に色んな人々が状況に取り込まれていく様を描く、いわゆるモジュラー型の構成を取っているのに対し、今回は美希からの視点のみでしかも尾峰で起こることのみを語っている。このような構成上、前作よりも単調になりがちだと思うのだが、全く物語がだれることなく、終末へ収束していく。全く退屈する事が無かった。
それは前にも書いたように、手品師が一枚一枚、布を捲りながら種明しをするように、徐々に事実を明かしていくその手法によるところが大きい。この構成からも坂東眞砂子氏が格段に進歩したのが如実に解る。
構成といい、文章といい、もっと評価されてもいいのだが、子猫を殺すなんていうスキャンダルのせいで変なところで話題になっている作家である。実に勿体無い話だ。
- 感想投稿日 : 2023年1月27日
- 読了日 : 2023年1月27日
- 本棚登録日 : 2023年1月27日
みんなの感想をみる