キリスト教徒ではない人間からすると、神学とそれにまつわる書物一般って、「結局、唯一神の存在を認めようとしてるだけでしょ」と思いがちなんだけど、というか、そういう部分は間違いなくあるわけだけど、そこだけ見てたらなんにもならないというか。西洋文明が世界を制した理由にキリスト教的思想があるのは間違いないわけですから。
例えば、「神学大全」に書かれている最重要事項は「神の存在の証明」ではなく、「本性的に知ることを欲する人間の知的探究の試み、つまり知性の能力の限りを尽くして物事を理解しようとする試みを成せ」とのことです。なるほど。この時点で我々が抱く「一神教的ななにか」と大きく違う。原理主義的思考=「思考停止しろ」、ではなく「限界まで考えろ」とおっしゃってるわけです。
そして。そういった思考の結果としての「法」のお話が書かれています。今著を読みますと、我々の「法」に対する認識と、キリスト教文化圏で成立した「法」の認識は根本的に大きな違いがあるんだなーとおもわざるを得ない。我々日本人の認識下の「法」っていうものは、結局「適法的正義」に基づくものでしかない。「法にのっとってさえいれば何をしてもイイ」「法さえブチ立てとけば後はなんとでもなる」。まさしく「最高の【正】は最高の【不正】」。とても醜いですよねえ。対して、キリスト教文化圏における「法」認識って、もっとなんていうか、イデア的、つまり、「神」的なものだったりするんですよね。この差はとてつもなく大きいですね。
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- 感想投稿日 : 2011年7月20日
- 読了日 : 2011年7月20日
- 本棚登録日 : 2011年7月20日
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