砂の器(上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1973年3月29日発売)
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感想 : 331
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『ゼロの焦点』でも思ったけれど、清張作品のタイトルはかっこいいものが多い。『砂の器』もそう。人の心、また社会というものの脆さや危うさ、そういうものをあらわしているように思った。
とても有名な作品タイトルなので、ストーリーは知らなくてもタイトルだけは知っているという方も多いのでは。私もそんな感じだ。だいぶん前に中居くんが主演のドラマをチラッと観た記憶があって、実は犯人だけは知っているのだけど、なんでそうなったのか動機とか捜査過程とか、他の登場人物とか、あいだのストーリーがすっぽりと抜け落ちているのだ。とはいえ、原作を知らないままドラマや映画などを観ていたとしても、それが小説を大胆にアレンジされているものだとしたなら、やっぱり清張さんの描いた『砂の器』を知らないも同然である。なので、今回は犯人がわかっているのは仕方ないとして、そこにたどり着くまでのストーリー展開をじっくり楽しむことにした。

東京・蒲田駅の操車場で男の扼殺死体が発見された。被害者の東北訛りと“カメダ”という言葉を手がかりとした必死の捜査も空しく捜査本部は解散するが、老練刑事の今西は他の事件の合間をぬって執拗に事件を追う。今西の寝食を忘れた捜査によって断片的だが貴重な事実が判明し始める。
           (あらすじより抜粋)

上巻の大部分は、なかなか捜査が進展しなくて私もしんどかった。
今西部長刑事はすごい。四六時中、事件のこと考えてる。大好きな盆栽を観賞してるときだって、趣味の俳句を作っているときだって、息子の太郎ちゃんと銭湯でお湯に浸かってるときだって、ご飯食べてるときも、眠りにつくまでも、もちろん朝目覚めた瞬間にも、事件のことを考えてる。今西さんはきっと死ぬまで刑事なんだ。
古い時代から新しい時代への転換期とでもいおうか、〈ヌーボー・グループ〉という「在来のモラルや、秩序や、観念を一切否定して、その破壊にかかる若い芸術家たち」がもてはやされる時代。
私が面白く感じたのは、そんな新しい時代を作ろうとする〈ヌーボー・グループ〉の若者たちと、亡くなった被害者のため、自分の足で被害者の生きてきた人生をこつこつとたどり事件に向き合う、昔気質の職人のような今西部長刑事の対比だ。

実直に捜査する今西刑事の元に事件の端緒が集まってくるんだけど、それらは捜査の過程というよりは偶然によるものが多く感じる。でも、それらは都合よく生まれた偶然なんかじゃなくて、やっぱり今西刑事が四六時中事件のことを考えてるからこそ、アンテナにひっかかった必然的なものなんだよ、きっと。
今西さんの上司や同僚たちもいいよね。上司がこんなにも自分の捜査を見守ってくれていたら、被害者やその家族のためだけでなく、捜査に携わる組織のためにも必ずホシをあげようと思えるもの。そして私のお気に入り、若い刑事の吉村くんが爽やかで真面目でいい。下巻はもっと登場して、今西さんとペアで動いてほしいな。

遅々として進まない捜査だったけれど、今西部長刑事が足で稼いだ情報などのおかげで、ようやく光か射してくる。ところがすぐにまた、黒い雲が太陽を覆うように捜査は暗礁に乗り上げる。まるで今西刑事の指の間をサラサラと砂がこぼれ落ちていくようだ。
それでも上巻は、さあ今西さん、反撃だよってところで終わるのだから、はよう下巻を読まないと。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学:著者ま行
感想投稿日 : 2022年8月29日
読了日 : 2022年8月29日
本棚登録日 : 2022年8月29日

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