真昼のプリニウス (中公文庫 い 3-4)

著者 :
  • 中央公論新社 (1993年10月1日発売)
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科学と物語、人間と神話…
広告業界のある男は言う。
世界というものが、現実のすべてが、そのまま神話であり、物語であると。
人はちょっとした話を作りあげる。
贋の神話、贋の物語。
闇に脅えぬように自分たちを護ってくれる精霊を、天には神が存在し自分たちを見守ってくれることを。
そうやって贋の神話を信じることで、人は攻撃的になり相手を駆逐し文明を生んできた。身が滅びることを承知で、英霊となって祖国に帰れると信じ自爆攻撃もしてきた。
人は否応なしに神話に浸って生きている。

ある火山学者の女は言う。
それは事実であろう。
しかし、自分はなんとか神話の媒介なしに、事実そのもの、世界そのものを見たいと。

男は反論する。
世界そのものなんてないのだと。世界というのはそのまま神話なのだと。
男は神話とか物語とか、そういうものの製造と販売を仕事にしてきた。
できあがった物語として人に聞かせるのではなく、相手の心を読んで、それに合わせた物語を提供する。
世界もまた人が望むような物語を人が作り人に聞かせてきたのだ。

それでも女は信じない。
世界はそのような情報を寄せ集めた、神話や物語を積み上げてできたものではない。
世界とは神話の媒介なしに、事実そのもの、世界そのものに迫り見ること。

女は山に登る。
わたしはなぜ、ここにいるのか?
何をしようというのか?
「この感覚、山の上で空を見て、身体の中から淡い疲労感がゆっくりと潮のように引いてゆくのを見ている感覚。この感覚の中にじっと坐っていられるなら、どんな物語も神話も必要ない。これが生きる感じだと信じてじっとしていられる。」 (P253)

それを知らないのは、あなただけだよ──

「かつてプリニウスの身体を構成していた炭素と酸素と窒素と水素はもう地球全体に散って、大気の中を漂ったり、深海を泳ぐ魚の一部になったり、北方のシラカバの幹に取り込まれたり、赤鉄鉱の中で鉄の分子と結んだりしている。それらすべてを乗せて世界は変わらないままに変わりゆき、その全体を頼子は眠りの底で感知している。それを女神ペレが見ている。時の水面が一ミリずつ上昇し、世界を浸してゆく。その中に頼子は溺れる。」 (P254-255)

池澤夏樹さんの小説を読むといつも、わかるとわからないの感覚の間でたゆたう。そして夢のような情景がいつまでも降り注いでくるのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学:著者あ行
感想投稿日 : 2022年12月3日
読了日 : 2022年12月3日
本棚登録日 : 2022年12月3日

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