上巻に続き、2009年のノベルス版での初読以来。
上巻であんな風に書いたので、余計な気もするけれど一応触れておくと、恋に溺れたスーに辛辣な環を皮切りに、あ、やっぱり著者は環かも、と思った。
あるいは環と相愛姉妹である妹の桃花であり、クリエイターの権化のようなコウちゃんであるのだろうと。
わたしにとって気持ちを寄せられる三人にそう感じると、当然圧にはならず、むしろ勝手に作品として好印象を抱いた。
まあそんなことはさておき。
環を書き込むことで、素顔に踏み込んでいくことで、ややヒロインしすぎている感は途中あったけれど
でも環とコウちゃんの関係性は、きっと夢で、現実味とかなくて、子どものえがくそれなんだろうと、認識した上で
それで良いんだって、それが「物語」だって、肯定する。
救いであり、光であり、だからきっと生きていけるんだって。
恋愛としての着地を見せないところ、抑制がめちゃくちゃ効いていてとても痺れる。
小説や漫画より、チヨダブランドより、現実が「楽しくなって」卒業する、という大前提は全くわからなかった。
せかいはそういう風に回っているのか、確かにそうかもしれない、と思った。すごいな。
年齢と共に好みが変わるのは、どちらがより「わかっている」ということではない単なる変化で必然だと思うから、コウちゃんを評価し続けられる環はなかなかのツワモノな気はする。
チヨダブランドは強調されるイラストの描写ばかりが強烈でつい……。
現実が、こなすので精一杯でじぶんを癒すゆとりまでむしろなくて、小説とかそういうものを卒業せざるを得ない、なら一時的に経験した。正しい優先順位だと信じて。
物語を糧にして現実を戦い続けられたのなら、とは思うし、そうしたら作家さんもなんか喜んでくれるかもしれないけれど、理想だと思うけれど
生きて本に手を伸ばし続けると、こういう作品に出会えるんだっていうことは、改めてものすごい希望のかたちだと思った。
「(作家とは)究極のところ我が手で作り上げた創作物以外の何もかもは一緒くたに価値がないと思っていて、人間性と作家性を天秤にかけたときに躊躇なく後者を選択する(厄介な嫌われ者だ)」
ちょ、もう、(解説の)西尾せんせーなんてこと言うのすきです!!笑
そういう徹底的にのめり込んだひとがむしろ大すきだし、趣味にしているだけの次元ですら(趣味なので、客観的には本当何の価値もないむしろ書いている人間含め完全にマイナスの集合体でも)(本人はたのしい)ものすごくおこがましいどころの騒ぎではないけれど、とても共感をするのだった。
- 感想投稿日 : 2020年7月10日
- 読了日 : 2020年7月10日
- 本棚登録日 : 2020年7月10日
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