知的生産の技術 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店 (1969年7月21日発売)
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感想 : 38
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今日のように、読書術、文章術そして考える方法、つまり知的生産の技術の本が氾濫している時代はない。そのような本を読んで、自分なりの知的生産の技術を習得して、実践に活かそうと努力している。知的生産の技術の改良は、全くコツコツと積み重ねるしかない。
読んだ本をどう整理して、その中心的なテーマをつかみ取るかと言うことについては、いろんな手法があり、随分と上手くなった気がする。現在では、iPadで、Good notes5を使うことで、検索や以前読んだことなどもすぐに調べることができる。Googleの外部検索よりも、自分のグッドノートを調べる方が、以前どう考えていたかを調べることができて、知識が積み重なっていく。調べてみると同じようなことをよく考えている。問題を問うことは、あまり変わらないのかもしれない。
本書は、1969年に出された。学生の頃、読んだ。たぶん、この本から、私は日記をよく書くようになった。もともと、三日坊主的に日記は書いていたのだが、継続することに意味があると思うようになった。小学4年生の時に、田中聡子先生に書いた日記が誉められたことが、日記を書くようになったきっかけかもしれない。大学時代に書いた日記やノートはたくさんあったが、全て紛失した。
手元にあるのは、1974年からの日記であり、その当時は手書きだったので、それをPDFにして、全てGood notes5に取り込んだ。それから、50年近くの日記が全て、取り込むことができた。少ない時もあるが、1年で1000ページを超える時もある。とにかく、苦しんでいる。苦しむことが好きなようだ。そして、全く整理できていないことを知った。過去を辿りながら、今の自分を見つめ直している。本書の「発見の手帳」は、実に面白い。ダヴィンチの日記を見て、著者は自分の日記をつける。それが発見となるのだ。新しいこと、好奇心の対象になったことなどを見つめる。日記とは、自分と言う他人との文通でもあると言う。
私は、本書を読んで、日記をつけることになるのだから、日記とは伝染病のようなものでもある。
ノートから、カード、切り抜きと言う中で、ファイリングの方法など、昔は随分苦労したのだと思う。結局は、分類できないモヤモヤしたものがあるからだ。それは、野口悠紀雄の『超整理法』によって、時系列でまとめていくと言う手法が、一番理にかなっていた。
手書きの日記、そして、ワープロ、さらにブログと変化していき、ブログに書けないことを日記に書いていた。それが、iPadで楽となった。
読む技術については、著者の読書術は、学者らしい。「読んだ」と「見た」と区別して、2度読み、を強調している。二重読みとして「大事なところ」「おもしろいところ」をわけて読む。まぁ。私は、ブックレビューを書く習慣をつけているので、読みおわって、もう一度振り返って読む。重要なこと、気に入ったこと、新しい発見、知らない言葉などを調べて整理して、アウトプットしている。その習慣を身につけたことは、重要だと思っている。
ただし、著者の言う「創造的読書」ということにはまだまだ至らない。引用が多いのは、恥ずかしいことだという。自分で新たに考えていないからだと言っているのも面白い。日本人は、物を大切にするのが、情報を大切にしないということから、本書は始まっている。文章は俳句のようにかけと言う著者の指摘は大切だ。文章を削ぎ落とす訓練ができていない。私は、長めに書いた方が、よくできたと褒める傾向にある。
「学校は教えすぎだ」と言いながら、本を読むことを教えなかったなどと言うのも、やはり「教えたい病」にかかっているのだろう。50年ぶりに読み返してみて実に新鮮だった。最近の知的生産に関する本はある意味では、この本を基礎にして進んでいたと認識した。時間が過ぎても、光り輝くところがあるのは、さすがである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: しごと術
感想投稿日 : 2022年4月26日
読了日 : 2022年4月26日
本棚登録日 : 2022年4月26日

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