私家版・ユダヤ文化論 (文春新書 519)

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  • 文藝春秋 (2006年7月20日発売)
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ユダヤ人迫害の根底にある問題について考察している本です。

本書では、日本における「日猶同祖論」やヨーロッパにおける反ユダヤ論の言説が紹介されていますが、それらの歴史を実証的に解説することが目的ではなく、「反ユダヤ主義には理由があると信じている人間がいることには理由がある。その理由は何か」という問いを掘り下げることがめざされています。

その結論は、フロイトの議論を援用しつつ「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから」というものですが、著者自身がくり返し述べているように「分かりにくさ」があります。著者が社会的構成主義の言説に対してその〈起源〉への問いを投げかけているところに、本書を理解する手がかりを見いだすことができます。著者は、「父権制的な社会慣行が「男性/女性」というジェンダーを作りだした」という「構築主義的言明」に対して、「男性に社会的リソースを集中させるための抑圧的構築物である父権制社会が成立するためには、それに先立って性差がすでに有意なものとして意識されていなければならない」のではないかと問いかけます。このような問いかけは、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が作り出したものである」というサルトルの議論に対しても向けられています。すなわち、「なぜ他ならぬユダヤ人だけが、このような出口のない状況にあらゆる時代あらゆる場所で繰り返し追い込まれるのか」という〈起源〉への問いに、サルトルはこたえていないと著者はいいます。

こうした問いに対して著者は、ユダヤ人思想家であるレヴィナスを参照しつつ、ユダヤ思想のうちに〈起源〉への遅れという主題があることを指摘することで、こたえを示そうとします。われわれはみずからの〈起源〉に対して決定的に遅れてしまっており、それゆえに有責であるという発想が、ユダヤ人の神に対する信仰を支えており、ユダヤ人への迫害はそれを「反復」することにおいてみずからをかたどっているのだということができるでしょう。著者は「私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破綻し、どこで彼がユダヤ人についてそれ以上語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである」と結論しています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2020年1月6日
読了日 : -
本棚登録日 : 2020年1月6日

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