三島由紀夫は葉隠を座右の書としていたという。
本書は、その葉隠の内容を著者自身がどう解釈をしているのか、を記したもの。
著者によれば、葉隠は「武士道とは死ぬことと見つけたり」という一節があまりにも強烈であるため、戦時中の神風特攻隊を彷彿とさせるが、葉隠の意図はそうではない。
死はいつの世にも誰にでも来るものであり、何ら特別なものではない。特別なものではないからこそ、毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることといわば同じことである、と。
毎日死を心に当てることで、生きることが鮮やかになるという、逆説に葉隠の意図した生き方がある。
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葉隠のキャリア観は現代にも充分当てはまる
若き内に立身して御用に立つは、のうぢ(能持)なきものなり。發明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。又身上崩しても、志ある者は私曲の事にてこれなき故、早く直るなり。
ニヒリズム
他人に期待するから、過度に自分に期待するからその反動がある
好きな一節
・大雨の感
→避けられないものは腹を決める
・一念一念と重ねて一生
→今ここに集中
・水増せば船高し
→困難に立ち向かえば、一段上の能力がつく
・只今が其の時、其の時が只今なり
→平時も危機も区別なく臨戦態勢で。鯉口を切る
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
考え方を学べる
- 感想投稿日 : 2022年2月14日
- 読了日 : 2022年2月14日
- 本棚登録日 : 2022年2月14日
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