失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2012年6月16日発売)
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感想 : 13
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「私のまなざしが娘たちに探し求める甘く心地よい色彩や芳香はいつしか私のなかに溶けこんでしまう。」
陽光を浴びて甘くなる、ブドウみたいに。

たえず意地悪なおしゃべりをつづける振り子時計。不信の眼を投げかけてくる家具調度。自我のないぶにまで攻撃をしかけてくる防虫剤の臭い。そんな見知らぬ場所での鬱々とした夜から、物憂げな微笑みをうかべ太陽をゆらめかせるニンフの海を望んだ朝のときめきが、気持ちのいい。
母親との別離において食堂車で飲みすぎる「私」のサイケデリックな汽車の旅。美しい車窓からの夜明けの空の色。書棚のガラス戸に映る空と海の連作画。エルスチールの幻想的な絵画。こんな美しい情景にいろどられながら語られる、にんげんの本質や、密やかに暴れる罪な自尊心。言動の省察につねに追いかけられていたじぶんじしんの思春期を微笑ましく思い出す。
ホテルのガラス張りのレストランで食事をする自分たちを水槽のなかの魚にたとえるところが自虐的でおかしくてすき。貴族、ブルジョワ、プロレタリア、三つの世界におけるリゾート地での日々と、それぞれの人づきあいや慣習やルールやなんかもとても興味深い。友情というものが"不可能"な「私」。もうずっと、親近感しかない!
卒業後、遠くに旅立つわたしに涙をみせてくれた友人は、わたしが同じように悲しみ泣かないことに憤りと寂しさをあらわにした。そんな過去を思い出す。電話がない時代じゃあるまいし。これで永遠にお別れなわけでもないし。
欺瞞なる友情。わたしたち人間はは救いようもなく孤独なのだ。うちなる孤独を愛し、省察する。それもまた、ひとつのカタチなのだと(ありがとう)。と、怖い思いをするのを嫌う健気な小心者は想うのだ。
「孤独への実践が孤独への愛を生んだのである。」
生身のにんげんはもうたくさん。それらの創る、物語が、音楽が、絵画が、語りかけてくれるから。

この過ぎ去った夏の日々で思い出すのが、仲良くなった部屋のなかへあそびにくる、はしゃぐ娘たちの声やあたたかな陽光であったのが、ちょっぴりさびしくて、可愛いくて、やわらかな郷愁をさそう、完璧なラストシーン。
夜に顫えるあなたに捧げた、勿忘草の花言葉。
(つづく。??)

「人生で重要なのは愛する対象じゃないんです。愛すること自体が重要なんです。われわれは愛についてあまりにも偏狭な区別を設けていますが、われわれが人生のなんたるかを全然わかっていない所以でしょう。」

「人間は、他人から叡智を受けとるのではなく、だれひとり代わりにやってもくれず逃れることもできない道程の果てに自分自身で叡智を発見しなければならないのです。」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年12月1日
読了日 : 2022年12月1日
本棚登録日 : 2022年12月1日

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コメント 1件

ねむいさんのコメント
2022/12/01

「ところが友情なるものは、自分のために生きる人間にこの義務を免除するものであり、自己を放棄することにほかならない。会話そのものも、友情の表現様式である以上、浅薄なたわごとであり、なんら獲得するに値するものをもたらしてはくれない。生涯のあいだしゃべりつづけても一刻の空虚を無限にくり返すほかなにも言えないのにたいして、芸術創造という孤独な仕事における思考のあゆみは深く掘りさげる方向にはたらく。」
こんなことをきいて、わたしは慰められたのだ。若い頃よりも誘いを断れるようになったし、それはきっと、じぶんの気持ちをまず第一に考えられるようになったから(まだまだ修行が必要)。
「人間というものは、外からさまざまな石をつけ加えてつくる建物ではなくて、自分自身の樹液で幹や茎につぎつぎと節をつくり、そこから上層に葉叢を伸ばしてゆく樹木のような存在である。」
「私」にとって(プルーストにとって)、考えること(自己の省察)を止めること、それは死を意味するのかもしれない。

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