第二次世界大戦 4 (河出文庫 チ 3-4)

  • 河出書房新社 (2010年8月3日発売)
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5

1943/11/22-27 カイロ会談 米、英、中
1943/11/28-12/1 テヘラン会談 米、英、ソ
1944/9/12-16 第二回ケベック会談 米、英
1945/2/4-11 ヤルタ会談 米、英、ソ
そして、
1945/7/17-8/2 ポツダム会談 米、英、ソ
→7/25ポツダム宣言発表後、英国に帰国、即総辞職

この本が1957年に書かれ、後日論と自己弁護の要素があるとしても、この時期のチャーチルの苦悩は、まさに一国の針路を担う政治家として、戦時中のいかなる時期よりも苦しかったのではないかと推察される。

ノルマンディー上陸作戦を成功させ(1944年6月6日)、ドイツの降伏が時間の問題となるなか、垂れ込めてきたのは戦後のヨーロッパ経営の問題である。
この時期、日本は劣勢に追い込まれていたとはいえ徹底抗戦の構えであったし、その国土を完全に征服して無条件降伏をさせるには、あとどれだけの犠牲が必要か、計り知れない時期であった。

そうした中で、それまで対独で一致していた、米英間の関係にテヘラン会談頃から違和感が生まれ始める。
ルーズベルトの周囲に共産主義者が多数入り込んでいたことの影響もあるだろうが、戦後を見据え、明確な「英・米vsソ」という姿勢ではなく、「英vsソ」「仲介の米」という立ち位置に立とうとし始めていた。

地理的特性や対日戦の状況を鑑みて、そうした米国のスタンスに致し方ない部分があることは承知しつつも、チャーチルはかねてより共産主義を嫌悪しており、ソ連がヨーロッパの中心部に進出することの危機感を誰よりも強く持っていた。

そうした中でルーズベルトは日に日に衰弱し、チャーチル曰く「政治的に最も大事な時期」に空白が生まれてしまったことは、1953年以降の趨勢も「歴史」として知る我々から見ても、後世に与えた影響は計り知れないと言える。

さらに言えば、戦後経営を決める極めて重要な時期に、イギリスは当然ながら長らく続いた戦争の終結という「平和」を享受する空気となり、戦争の象徴のようなチャーチルは、その座を追われるのである。

チャーチルがこれほどまでに詳細な第二次世界大戦の記録を残した理由は多くあるのだろうが、私は最後のこの時期の苦悩が最大の原動力となったのではないかと推察する。
それは1953年に至り、ソビエト共産主義の脅威が誰の目にも明らかになるにつれ、より強い思いとなったことだろう。

自国を守ることはもちろんのこと、戦後経営までを成功に導くことが戦時の政治家の使命であるとともに、その成功は歴史を学ぶ良識ある国民無くして成り立たないのかもしれない。
戦争を知らない世代となった我々が学ぶべきことはまだまだたくさんある。

P461
私にいわせれば、戦争が終わって敵と仲良くなることは、一致協力して外部の脅威に対処するという利点はあっても、不利益が伴うということはあったためしがない。

読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会、経済
感想投稿日 : 2018年12月29日
読了日 : 2018年12月31日
本棚登録日 : 2018年11月12日

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