先日、ノーベル賞作家大江健三郎さん自選の短編集(『大江健三郎自選短編』)を眺めてみて、とても面白かったので、海外でも有名な作品の一つとなっている本作(短編)を読んでみました。
まずもってオーデンの詩から引用されたタイトルがふるっていますね。それにたがわず内容もふるっていて、だれもかれも戯画的で、こらこら、もう少し足元から引いてみたらどう? と思わず言いたくなるような、何かに必死すぎた男たちは、あまりにも痛くてユーモラスで滑稽で、いやはや、人間ってかくもおかしくてかわいいものだなぁ~。
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「僕」のいとこはイケていると妄信するエリート青年、そんなファンキーな彼の痛すぎる迷走(「走れ、走り続けよ」)。
世界中の子どもたちのために自ら「生にえ」になろうと迷妄する「善男」のけなげでグロテスクな滑稽さ(「生にえ男は必要か」)。
都会のなかで野人のように暮らす「山の人」に困惑しながら、どこか懐かしい郷愁と羨望を抱いていく男(「狩猟で暮らしたわれらの先祖」)。
父の呪縛に苦しみながらいつのまにやらその安寧をむさぼる中年男、父の背中を追い求めてさまよう男の明暗はいかに?(「父よ、あなたはどこへいくのか?」&「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」)
戦争や核拡散といった時代背景をない交ぜながら、どれも残酷なほどユーモアに富んでいます。ひどく不機嫌で多様性を認めない、自分の考えだけが正しいと凝り固まった狂信性や独善を打ち破る力が「笑い」には備わっています。
とりわけ「父よ、あなたはどこへ行くのか?」&「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を引用しながら、まるで生身の父とユダヤの神(父)との確執に苦悩したフランツ・カフカ的な哀愁やペーソスに満ちた笑いがみなぎっています。あるいは私の好きなポール・オースターの『孤独の発明』にも似た、ある種の父親さがしの物語です。
自分の思いどおりにならない幼い息子を全的に保護し支えているのは自分なのだという思い込みで生きてきた男。なんとも荒々しいショック療法? をきっかけに、じつは自分が子に支えられ、まるで片面的依存関係にあったことにハタと気づいた男の喪失感たるや、もう気の毒でひどく憐れです。面子丸つぶれになった男の落胆、やるせなさ、滑稽さ。そして男は解放感を得ながら自分の父親という呪縛からも解き放たれていく成熟物語。
でも、ほんとうに男は救われ生き延びたのか? それは読み手の想像にまかされた、可笑しな円環作品で、「父」なるものの多義性や両義性にも富む、奥深い作品です。
どの作品も詩情に溢れていて、芸術家としての大江さんの才気に感服し、まだ読んでいない他の作品もながめたくなるような魅惑的なものばかりです。
もし! 『大江健三郎自選短編』のレンガのような分厚さ(P848)にたじろいでしまいそうな方は(笑)、まずこの作品を眺めてみるのはいかがでしょう(^^♪
- 感想投稿日 : 2018年4月16日
- 本棚登録日 : 2018年2月11日
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