「心の力」を読み始めて、今一つ漱石の位置付けが分からず、筆者の著作を遡って読むことにした一冊。「三四郎」「それから」「門」と、確かに昔読んだ記憶がある。その頃は主人公の悩みや戸惑いが何となく若い自分の思いとシンクロして、それ以上深く考えることはなかった。姜尚中という人は、60を過ぎても漱石の憂鬱と向き合い、マックス・ウェーバーまで引き合いに出して、近現代を相対化し、我々を覆う憂鬱や絶望を解析しようとする。自由、科学といった近現代の基本的概念に切り込もうとする筆者の姿勢から、気づかされる点はいくつかあった。
分かれ目があるとしたら、「現代の憂鬱や絶望」をどう捉えるかだろう。憂鬱や絶望は常にあるものだし、今の自分にも無い訳ではない。しかし、それが社会を覆っていると見て良いのだろうか。それは会社員勤めを十何年も続けてきた自分だから言えることで、今大学生からやり直すとしたらどう感じるのだろうか。そして姜尚中は絶望と向き合う力を持っているのだろうか。それとも垂れ流しているだけなのだろうか。
この短い一冊では結論は出ない。しかし、心をこういう角度から眺める機会も、現状肯定から一歩引く謙虚さも時には必要だ、と感じた一冊。漱石もまた読み返してみよう。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
哲学
- 感想投稿日 : 2014年2月16日
- 読了日 : 2014年2月11日
- 本棚登録日 : 2014年2月11日
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