…姉が壊れ始めたのは、幼い息子をなくしてからだった…。
「緋色の記憶」「夜の記憶」のトマス・H・クックの描く家族の愛憎。
時間軸的には、既に物語りは終っている。
弟デイビットが、刑事ピートリーに何が起こったのか話しているシーンと、デイビットの語る過去が交錯している。
この辺の構成は、相変わらず上手い。
クックは、構成で読ませる作家だよな、と再確認。
一体何が起こったのか、よくわからないもどかしさ焦燥が、ページを繰る手を休ませてくれない。職人です。
二人の姉弟は、精神を病んだ父によって育てられたのだけど、この家族背景が決して抜け出せない底なし沼のようで怖い。語っているデイビットが、淡々としているので、怖さが倍増する。
でも、子供を捨てたり殺したりする親はいるけど、親を捨てる子供はほとんどいないんだよね。
姉弟の「いつか父のようになってしまうのではないか」という恐怖にかんじがらめになってしまっている様は、悲しい。
「家族は愛憎を煮詰める大鍋」といったのは、ジョナサン・ケラーマンだ。
父が、自分の病に向き合い、姉弟を自分の元から手放していたら、この悲劇は回避できたのかもしれない。切ない。本当に切ない。
姉に危険なまでにひかれていく娘(姪)の父への反発や、それに対する不安。そして、姉の息子の死への疑問など、語るべきものは沢山ある。
けれど、本は閉じられた。
読み終わって、ふいに強くそう思った。
「本は閉じられた」のだと。
失うということは、このように「無」なのだ。
- 感想投稿日 : 2010年6月16日
- 読了日 : 2010年6月16日
- 本棚登録日 : 2007年10月16日
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