榎本武揚 (中公文庫 あ 18-3)

著者 :
  • 中央公論新社 (1990年2月10日発売)
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感想 : 27
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毎年4~5月くらいになると幕末ものを読みたくなるのだけれど(命日が多いせい)今年はこれを土方さんの命日(5月11日)あたりから再読。安部公房にしては珍しく、歴史上の人物がタイトルになっていますが、もちろん中身は単純な伝記などではなく複雑で重層的な構成。史実をふんだんにまじえつつ、トリッキーで得体のしれない榎本武揚像を描き出しています。

出だしはドキュメンタリー風。語り手の「私」(著者自身の実話っぽくも読めるところがミソ、たぶんフィクションだろうけど)は、かつて北海道の厚岸(あっけし)で泊まった福地屋旅館の主人・福地氏から、明治2~3年頃に300人ほどの脱走兵が榎本武揚の示唆を受けて蝦夷地に共和国を作ろうと行方をくらましたという伝説を聞かされる。

「私」は、この伝説自体は興味深いものとして聞くが、福地氏の榎本武揚への異様な思い入れには辟易する。実はこの福地氏、大東亜戦争時代に憲兵だった過去があり、当時職務に忠実なあまり義弟(妹の夫)を逮捕し処刑に追い込んだことについて現在も葛藤しており、幕臣でありながら明治政府に仕えた変節漢と批判される榎本武揚に自分を重ねあわせているらしい。

数年後、この福地氏から「私」あてにある史料が届く。それは元新選組隊士の浅井十三郎という人物(もちろん架空)が記した「五人組結成の顛末」というもので、これを偶然発見し内容を知った福地氏は、それまで心の拠り所にしていた榎本武揚を信頼できなくなってしまったという。この本の半分は、この「五人組結成の顛末」の内容であり、あとはそれについての福地氏の想いと「私」の註釈となる。

さてこの「五人組結成の顛末」について。浅井十三郎は元は薬の行商人、ひょんなことで土方歳三と出会い、新選組に加入することに。時期的にはすでに京都新選組は空中分解しており、相次ぐ敗戦、近藤勇の投降後、土方が残りの隊士を連れて会津方面に向かおうとしている頃。土方に心酔するようになった浅井は彼とともに各地を転戦していくが、旧幕府陸軍を率いた大鳥圭介、そして旧幕府海軍を率いていた榎本武揚の不審な行動に疑問を抱くようになる。

大鳥・榎本は、わざと旧幕府軍が不利になるような行動を常にしており、それに気づいている土方を邪魔者にしているのではないか。常にその疑惑を持ちながら浅井は従軍し、そしてついに運命の5月11日、土方は戦死し、榎本は新政府軍に降伏する。

浅井は榎本許すまじの一念で、榎本が収容されている東京の辰の口の牢屋に自分もわざと逮捕され入牢する。しかし榎本とは別の房になってしまった。辰の口の牢屋には5つの房があり、基本的に同一の犯罪で捕まった仲間同士は別の房に振り分けられる。これに気づいた浅井は、出獄後、4人の同志を募り、5人揃って逮捕されることで誰か一人は必ず榎本と同じ房に入れられる、その者が榎本を暗殺する、という計画を立てる。つまりこれが史料の表題にある「五人組」。そしてついにそれを実行するが、榎本にバレて計画は失敗に終わる。

この史料内容により、福地氏は、榎本はやはりただの変節漢であった、と失望し失踪。福地氏は、自分が処刑に追い込んだ義弟の息子を自分の養子にしており、いつか自分の口から事実を伝えねば、と思っていたが、憲兵として時代に忠誠を誓った自分の行動が、時代が変わったことで非難の的となったことに自分なりに納得のいく言い訳をみつけたがっていた。榎本の中にその救済をみつけたかったのだが、それは失敗に終わったというところだろうか。

幕末オタク的には、とても面白く読んだ。大鳥圭介ポンコツ説はある意味史実だし(失敬)、榎本が新政府におもねって「八百長戦争」をしたという見方も、とくに今は新しくはない。フィクションの世界では、土方や伊庭八のような徹底抗戦派は味方から撃たれたという説を唱えているものものも多数あるし、存命中から福沢諭吉が榎本を変節漢と批判したのも、親玉のはずの勝海舟までも榎本を嫌っていたのも事実。

とはいえ本書で安部公房は榎本を、本当にただの変節漢として描いているかといえばけしてそうではない。榎本には榎本で、幕府だの新政府だのに拘らない、もっと広い目線での志があったかのように思える部分もしっかり書き込まれており、榎本がいったい何に「忠誠」を誓っていたのか、考えさせられる仕組みになっている。見る角度によって、榎本の評価は180度変わるところが面白い。

史料の中の会話が部分的に戯曲風になっているのだけれど、のちに演劇好きの安部公房自身が本書を戯曲化もしている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:  ○安部公房
感想投稿日 : 2021年5月15日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年8月8日

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