ザ・ロード

  • 早川書房 (2008年6月17日発売)
3.82
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本棚登録 : 767
感想 : 112
5

ヴィゴ・モーテンセン主演で映画化もされた(未見)コーマック・マッカーシー最大のベストセラー。

カギカッコや読点のない独特の文体は、前に読んだ『ブラッド・メリディアン』と同様ですが、格段に文脈がつかみやすく読みやすいです。それは感情描写を排し、ひたすら暴力や略奪、過酷な自然環境のありさまを書き連ねた『ブラッド~』に比べて、主人公の心情に思いを寄せやすいからに違いありません。

核戦争か天変地異か、ともかく大災害後7~8年でしょうか、荒れ果てた大地をさすらう父と幼い息子。父はひたすらに少年を護る。神話的で力強いシンプルなストーリーです。

ゾンビ物などをはじめとする同様の舞台設定のディストピアSFでは、暴力的な集団対良心的な人間の戦いや、人間同士の連帯が重要なイベントになるものです。本作ではそうした人間関係の要素は皆無ではないにしろ非常にわずかです。ほとんど全編にわたって、父子はふたりきりのまま。

そう、生き残ったごくわずかな人類はお互いを非常に怖れていて、争いどころか接触すら起こさないようにひっそりと隠れて生きているのです。なるほど、弱い動物は本能的にまず逃げる。本当の終末の姿とはこうなのかもしれない、と納得させるだけの重いリアリティがみなぎっています。

綿々と綴られるのは、皮膚感覚に訴える細密なサバイバル描写です。例えば、非常に貴重なアイテムとして靴があげられます。読んでいて、靴がこんなに大事なものだと実感したことはないかもしれません。必要な食料や道具、毛布などを運ぶショッピングカートも心に深く刻まれます。野宿をするたびに、寝床とは離れた場所にカートを隠すプロセスを、マッカーシーは省きません。こうしたディテールを重ねることで、虚構の世界がしっかりと実質を帯びて構築されていくさまは見事です。

こんなすさんだ世界にあって、少年は他人を気遣う心を失わず、天使のようです。彼は人間を「善き者」と「悪人」に分けます。読んでいくうちに分かるのですが、少年は大災害の直後に誕生し、それ以前の豊かで善にあふれた地上を知らないのです。彼の内面は父の語る「それ以前」からかたちづくられている。
父は思います。「おまえはおれの心だ」。この言葉は非常に多義的で作品を象徴するキーワードです。少年は感情豊かで善なる人間性の象徴。そして父は、消極的にせよ他人を殺すこともいとわない、獣性(生存本能)の象徴。後者がなくては生きていけないが、前者がなくては生きていく意味がない。どこかで聞いたハードボイルド小説の名せりふのようですね。ともかく、二人合わせて初めて、命ある人間となるのです。

彷徨の途中には印象的な出来事もあります。中でも心に残るのは夢のように全てが揃った核シェルターにたどりつくシーン。しかし、清潔で安全で快適なこの繭に彼らは長居をしません。偽りのエデンよりも、真実の荒野へ。読者は彼らの行動から内面を読み取り、思いをふくらませます。

「ここで待っていろ」作中で何度となく繰り返されるこのせりふ。少年は不安でたまらない。父もそんな彼を残して去るのは胸がつぶれそうにつらい。しかしこの描写も少しずつ変化をしていくのです。どういうわけか少年は、ひどくおとなびた語彙をふっと使うようになる。年月が彼を成長させていることに読者は気づきます。彼はひとりでも生きていけるかもしれないと…。

テーマは普遍的ですが、原発事故後の今、本作に描かれた終末図は、身近な実感をもって胸に迫ります。過酷な環境で私たちに問われるのはなんなのか。家族を失った方々、避難生活を強いられている方々、職を失った方々に向ける人間性とは。希望がほのかにのぞくラストが、より悲しく感じられたのは私が日本に住んでいるせいでしょうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ブンガク
感想投稿日 : 2012年9月24日
読了日 : 2012年9月24日
本棚登録日 : 2012年9月24日

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