高校時代の文学史の授業で習ったら、さぞ楽しかっただろう。近代文学が成し遂げたのは、個人の内面を徹底的に掘り起こして、情緒豊かな自然の風景と融和させること、そして、ストーリーとプロットを複雑に絡ませて読者に謎解きをさせること。ロシアや西洋の近代文学を目の当たりにした明治の日本人たちは、これまで日本語の概念になかった感覚を、どのように日本語の文脈で表現するかに苦しみながら自らの文芸作品を生み出したのだった、と知るとなると、明治以降の文学も、違って見えてくるから楽しいものである。
著者が選ぶ海外長編小説にベスト10入りした「戦争と平和」は、私自身、10代の頃に好きだった文学の一つであった。あの頃は、軟弱に見えたピョートルよりも、有能な青年士官アンドレイの肩を持っていたものだが、大人になって読んでみたら印象が変わるのではないか、と思い、戦争と平和の第1巻を手に取ったのはつい先日のことである。ところが、読もうと思っても、少し読み進めると、トルストイの世界は固く私を弾いてしまって読むことができない。悲しいことながら、近代文学の額縁に入りこむには、自分自身の頭の使い方が変わってきてしまっていた。文学を素直に感じながら読むのもいいけれど(できればそうしたいけれど)、ちょっと頭が固くなりすぎたようなので、辻原登の解説を携えて、文学史として読んでみるのもいいかもしれない、と、思えた一冊だった。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
芸術
- 感想投稿日 : 2013年5月6日
- 読了日 : 2013年5月6日
- 本棚登録日 : 2013年5月6日
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