信長燃ゆ(下) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2004年9月29日発売)
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感想 : 31
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安部龍太郎氏の小説をはじめて読みました、信長燃ゆ、下巻です。武田家が滅亡するところを、武田の視点から書かれていて興味深くよめました。

この本を読むことにより、信長は絶頂期において、有名な「三職推任=征夷大将軍・関白・太政大臣」を断りましたが、本当は征夷大将軍になることで権力を握り、将軍の座を譲って、天皇家に嫁がせた猶子の生んだ子供を天皇にさせることで、太上天皇になることで、朝廷・幕府の両者の権力を握ることで日本を変えようとしていた、という著者である安部氏の考え方はよく理解できました。

歴史の勉強をしていただけでは学ぶことのできない、小説を読みながらの楽しい授業を受けている気分になりました。

以下は気になったポイントです。

・朝廷に対して、庶民(おおだみから)の敬慕や尊崇の念しか頼るべきものしかない、そうした心情をこの国に扶植するために、朝廷には、宗教・文芸・芸能などあらゆる分野を主導し、庶民に範を示してきた。なので武家政権を打ち立てた者も、朝権そのものにまでは手を付けることをはばかった。信長は異なるが(p63)

・朝廷では、古来より、不破・鈴鹿・明石の外は、異邦の地だと考えてきた。畿内(きだい)とは朝廷の意向が届く範囲という意味であり、その外側は外国である。なので都でのように細々とした仕来りに縛られることもない(p101)

・バスコダガマがインドに到着した11年後の1509年、ポルトガルの艦隊は、インドのディウ沖海戦で、イスラム教国の連合艦隊を破り、インド洋交易の支配権を確立した。それ以後、インド洋沿岸の港に要塞を築いて交易を支配し、内紛に介入して植民地化していった(p125)

・近衛前久は、本願寺を拠点として、信長滅ぼすために暗躍する。比叡山延暦寺が浅井・朝倉についたのも、本願寺が禁をおかして一向一揆に挙兵を命じたのも、彼の根回しの結果である(p189)

・人は何のために生きるのか、信仰心というものがなければ人は決して満足できない、なぜなら心の奥底に眠る記憶が、前世や来世があることを知っているから。いかに法度をきびしくしたことろで、信仰心がなければ人は決して心底から従いはしない。罪も報いもこの世限りのことでしかないと思うなら、人は我慾に負けてどんな罪でも犯すだろう(p195)

・近衛家の祖神である天児屋根命(あまのこやねのみこと)は、天照大御神から瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の統治を助けよとの命を受けてこの国に下った、以来、中臣・藤原・近衛と、姓こそ変わったが、一貫して朝廷を守り通してきた(p203)

・信忠を将軍にしたら、足利幕府にならって三管領家を設置し、信雄・信孝と、徳川家を充てる。こうすれば織田家の天下が揺らぐことは無い(p253)

・信長公が葬られた理由は、朝廷の上にたとうとしたから(p270)

・足利幕府を再興して義昭を上洛、細川・斯波・畠山の三管領家、一色・山名・京極・赤松の四識家に檄を飛ばして、決起をうながしている(p280

・家康の饗応役は、光秀が急に出陣することになったので、信長自らが後任を務めた。厳しい役目を与えたが、このことを伝え聞けば光秀も意のあるところを分かってくれるはずであった。家康と梅雪は、恐縮したことであろう(p372)

・信長の計画では、幕府は安土ではなく、大坂。海に開けたところでなければ、イスパニアには対抗できない(p374)

・打倒信長と足利幕府再興を誓う血判状を出したのは、三管領・四識家、その上に信長によって所領を奪われた大名であった、めぼしいのは、武田元明・朽木元網・京極高次であった(p377)

・吉田神社は、春日大社・大原野神社と並ぶ、藤原家氏神三社のひとつである(p387)

・神社ばかりか寺院までが、二重三重の周到さで朝廷の権威を結びついていた、石山本願寺までが、顕如のころから坊主を九条家、近衛家の猶子として、門跡寺院の格式を手に入れて権勢の支えとしていた(p429)

・足利尊氏でさえ、結局は北朝を擁立し、帝の命によって幕府を開くという形でしか混乱を収拾できなかった(p431)

・百年かかってもきっちりと落とし前をつけるところが、公家社会や五摂家体制の恐ろしさである(p506)

2018年9月9日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・歴史小説
感想投稿日 : 2018年9月9日
読了日 : 2018年9月8日
本棚登録日 : 2018年8月31日

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