【旧版】深夜特急3 ーインド・ネパール (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1994年4月28日発売)
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感想 : 497
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ここにきて旅の本質が見えてきた。自分は自由に旅を続けることにあこがれを持っているけど、ここに描かれているような旅を続けて慣れすぎた先にあるものには近づきたくないような、戻ってこれるなら一度浸ってみたいような。巻末の此経さんとの対談と合わせて、旅について実に深いところまで考えをめぐらせることができました。

前半では旅の正の側面、後半では負の側面の臭いを感じた。正の側面は、インドで手を使って大便の処理をできるようになったくだりでの「しだいに自由になっていく感覚」「ものから解放されていく感覚」というもの。自分も旅の経験を積むにしたがって、できないと思っていたこと、あるとも思ってなかったことができることがわかる気持ちよさは、やってる旅のレベルは違うけど感じたことがある。特に海外に出るとお手軽に感じられる。身の丈が伸びていくような感覚。

一方、後半のカトマンズとデリーでは死と隣合わせの日常が語られる。カトマンズの体験は手紙文体で記されていて、降りしきる雨の描写と相まって、静かに死に取り囲まれていく感覚になった。死の臭いと、随所で語られる旅慣れしすぎた者のすえた臭いというのは同系統なんじゃないかと思う。ハシシをやりながら、明日にでも死んだっていいじゃないかという感覚。何にも責任を持たなくてよく、すべてに、自分の命にさえも無関心になっていく感覚。旅先でいくらでもズルしてやっていけてしまうことに気づいて、人を利用し始めてしまったら、今度は逆に身の丈は縮んでいく一方だ。旅の果てにロマンなんてきっとない。

巻末の対談がまた本当に面白い。旅人とは通りすがるだけの無責任な存在で、現地で関わりを持てるのも、基本的には老人と子供。外部は外部でしかなく、わかるのは自分のわからなさだけだったと二人は語る。伸びたり縮んだりした末に本当の身の丈がわかるのが旅なんでしょうか。

対談で沢木さんは、この旅のことを10年も経って書きたくなった、それは僕の中でこの旅が終わったということだろうと書いている。書くことによって何かが終わる。確かに体験を一度文章という箱におさめてしまうと、次に思い出すときにはその文章が体験そのものよりも強いアンカーポイントになってしまうという意味で、書くということは書き手にとってとても重要な転移点になると思う。本の感想を書くということも同じ。

旅の一回性について。同じ旅は二度とありえないし、同じ道を辿っても失望が待っていると沢木さんは言う。自分の側に変化があれば、同じ道すじでも同じ旅ではないのでそれは独立したものとカウントすればいいと自分は思う。前段でも此経さんが、旅先で騙されまいと肩肘張るよりも、まわりまわっての精神で初めての旅を繰り返す方が良いという話に落ち着いていた。

学ぶことが非常に多い3巻でした。4巻はシルクロード。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年5月22日
読了日 : 2018年4月1日
本棚登録日 : 2018年5月21日

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