読んで旅する世界の名建築 (光文社新書 137)

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  • 光文社 (2004年2月17日発売)
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五十嵐太郎
1967年フランス・パリ生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院修士課程修了。工学博士。現在、中部大学講師の他に、東京大学、東京芸術大学、横浜国立大学にて非常勤講師をつとめる


インドネシアに行ったときは、ひたすら寺院めぐりだった。ここは一七世紀の東インド会社の進出に始まり、オランダの植民地支配を経験したことから、オランダ人の建築家による作品が数多く残っている。西洋のデザインを押しつけるだけではなく、熱帯に配慮した近代建築も設計された。しかし、数日の滞在だったので、仏教やヒンズー教の宗教施設ばかりを駆け足でまわり、気がついたら、海を楽しむことはおろか、ホテルについているプールすらろくに見ていない。リゾート気分ゼロの旅。そんな状況だった。

ネパール独自の変わった建築としては、スワヤンブーナート仏塔が印象に残った。階段で丘を昇ると、白い 饅頭 のような漆喰塗りの半球状のかたちが見える。直径は二二メートル。その上に四角い台があり、さらに金色の塔が載っている。びっくりするのは、この台の四面に大きな目が描かれていることだ。これは仏の目だとされている。鼻のあたりには「?」とよく似たマーク。ゆえに、目玉寺とも呼ばれる。普通の建築は、彫刻と違い、こうした具象的な表現を使わない。入るとしても、細かい装飾においてである。だが、これは饅頭が胴体で、台が頭、塔が帽子だと思わせる、絶妙な位置に目を置く。

 ネパールからインドへは陸路で国境を超えた。二四時間以上もぎゅうぎゅうのバスで悪路を走り、腰はがたがたになって、ヴァラナシにたどりつく。飛行機を使えばよかったと後悔することしきり。数日の滞在予定だったが、疲れ果て、ガンジス川と水辺の火葬を眺めながら、一週間近くぼーっとしていた。目の前で死体が焼かれ、小さくなっていく。初めて見る光景だった。この街では、バンコクで別れた早稲田大学の加藤くんと偶然再会し、アーグラ、アジャンタ、エローラを経由し、ボンベイ(ムンバイ)まで同行した。

ボンベイからアーメダバードに向かう。他の観光地に比べると、知名度が低いせいか落ち着いていた。ヴァラナシやアーグラだと、駅に降り立つやいなやリクシャーの運転手に囲まれる。こうして、いつもインドの旅は始まる。リクシャーとは、自転車による人力車のことで、もっともポピュラーな乗物。インドでは、バスや地下鉄などの交通網があまり整備されていない。したがって、ツーリストの移動には、リクシャーやタクシーを使う。リクシャーの場合、もちろんメーターはない。問題は値段の交渉だ。言い値だとふっかけられるので、がんばって値引きをする。なまじ便利な公共の交通機関があると、人と接触しないで済む。しかし、あちこちで人と触れあい、ときには摩擦を起こすのが、インド旅行の 醍醐味 である。デリーでは、リクシャーと大ゲンカをして、周りに人だかりができた。逆に、こうした疲れる経験は、欧米ではなかなか味わえない。

ル・コルビュジエの繊維業会館とカーンのインド経営大学は、いずれも近代建築の特徴である幾何学的な表現を追求しながら、それでいてインドの造形感覚と共振している。 そして強烈な陽射しによって、彫りの深いデザインが光と影の明快な対比を生む(口絵参照)。見学していたとき、ちょうどインドの建築学生の集団もスケッチをするために訪れていた。他に見るべきインドの建築家は誰かとたずねると、ドーシの名をあげた。彼は、ル・コルビュジエの弟子であり、繊維業会館の仕事を手伝い、そのままこの地に定着した。ドーシは大学で教鞭をとりながら設計活動を続けている。ル・コルビュジエは建築だけではなく、世界各地に人材も残したのだ。実はドーシの計らいで、カーンのインド経営大学が実現している。

インドで最も有名な観光地のひとつが、人口一〇〇万の都市アーグラである。  アーグラの周辺では、幾つかの世界遺産を訪れることができる。白大理石のタージ・マハルは言うまでもないが、赤砂岩の門が印象的なアーグラ城塞、そして日帰りできる距離に位置する都市ファティプル・シークリーなどである。これらは一六世紀から一七世紀にかけて、ムガル朝の皇帝によって建造されたもの。インドにおけるイスラム建築の結晶というべき美しい作品群を堪能できる。

タージ・マハルは、シャー・ジャハーン帝が亡き王妃に捧げた霊廟である。二二年をかけて建設され、一六五四年に完成した。朝早く、夜明けのタージ・マハルを訪れたことがある。昼間は強烈な陽光を受けて、陰影をくっきりと浮かびあがらせるが、 朝靄 のなかのおぼろげな表情も美しい。アーグラがとても暑い喧噪の街であることを忘れさせてくれる。実際、タージ・マハルに足を踏み入れると、突然、外界と切り離された静寂な空間に包まれる。そして墓廟と門楼のあいだに、水が流れる整然とした幾何学的な庭園。水に不自由しない日本ではちょっと想像しにくいが、インドでは、水がなみなみと使われていること自体が権力の表現なのだと改めて痛感した。ランドスケープは単に美学的な存在ではない。常に社会的な背景が関わっている。なお、タージ・マハルは皇帝に占有された場所だったが、観光地になった現在は、入場料という壁によって、周囲の雑踏と隔てられている。

熊もいた。ファティプル・シークリーでは、人だけではなく、熊までが右手を出して、金をくれ、というバクシーシ(喜捨)の要求をやっているかのようだった。あらかじめ断っておくと、筆者はインドのよさがわからないと本物でないというインド礼讃者ではない。いろいろと嫌な目にもあったが、間違いなく面白い。事実、いままでの旅行でも最も刺激に満ちていた。猿にマングース、らくだに象が街を歩いている。だが、さすがに野良象ではなかった。ちゃんと人間のために働いていた。ぼんやりした山羊ならあちこちにいる。野良豚はゴミ箱をあさっている。馬がいる。イノシシやロバもいた。リスもいた。ただ、猫はあまり見かけなかった。

 そうすると、なぜインドのイスラム寺院がすぐれた「建築」として発見されるのに、いまだヒンズー寺院は「建築」として評価されにくいのかがよくわかる。それは前者が抽象的な構成美を強調するのに対し、後者が装飾に覆いつくされているからだ。イスラムでは、宗教が具象的な彫刻を禁じるために、洗練された抽象性が「建築」的な美の対象となる。おそらく、モダニズムとつながる正統的な西洋建築に対抗して、イスラム建築が発見されるわけではない。むしろ、それはモダニズムの枠組のなかで、評価されているのではないか。インドのイスラム建築とヒンズー建築は、桂離宮と日光東照宮の関係によく似ていよう。桂もまた近代建築家のブルーノ・タウトによって発見されたのだから。

イスタンブールは、地理的にアジアとヨーロッパをまたぎ、歴史的にキリスト教とイスラム教がせめぎあった。そして美しいモスクが多い都市である。旧市街の安宿に泊まっていたら、どうもロシアから買い出しに来ている中年女性の集団が騒々しい。しかし、テレビをつけると、MTVからアメリカのロックが流れる。まさに文明が出会う場所。

建築の道を志すものにとって、アテネは避けて通ることができない場所である。  二〇〇〇年以上も西洋建築の主流であり続け、パチンコ店にも使われるほどの廉価版になったとはいえ、今なお途絶えることのない古典主義のデザインは、ギリシアから始まった。そして「建築」という概念も、ここで誕生したとしばしば指摘されている。とりわけ、アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿は建築の王様とされている。それゆえ、過去に多くの建築家がここを訪れ、パルテノン神殿と対峙した。

おそらく大学生が卒業旅行でヨーロッパに行くのが、珍しくなくなったのは、一九八〇年代後半くらいではないだろうか。筆者はちょうどその世代にあたり、八九年三月に友人とヨーロッパを一か月近くまわった。初めての海外ではなかったけれど、建築を学んでからは最初の旅だったので、やはりモノの見方は大きく変わる。そのとき旅先の観光地で、やはり卒業旅行をしている高校の知人にばったり会うなんてこともあった。あるいは、豪雨に見舞われたヴェネチアのサンマルコの鐘塔の上で、数年ぶりに知った顔を見かけたりする。

一方、ちょっと先輩の話を聞くと、みんなが海外に行っていた世代ではない。さて、ヨーロッパの卒業旅行のセオリーは、イギリスから入ること。英語が通じるからだ。そして外国に慣れてから、だんだん南下する。卒業旅行のときは、これに従った。だから、ロンドンは建築的な視点から体験した最初の外国である。何もかも目新しかった。

ガウディとフンデルトヴァッサー両者の共通点はアートっぽいことだろう。しばしば同列に扱われるが、どうも納得がいかない。二人には大きな違いがあるからだ。フンデルトヴァッサーは基本的に外壁の装飾を行うのに対し、ガウディは構造のレベルから発想している。かたちのシステムでは、ある種の合理性を追求しているのだ。建築の立場から言うと、より高く評価すべきなのは、ガウディである。フンデルトヴァッサーは、建築の表面を幻想絵画の大きなキャンバスに見立てたのではないか。やはりガウディは「建築家」であり、フンデルトヴァッサーは「画家」なのだ。

建築は向こうからやって来ない。実物を見るには、現地を訪れるしかない。  美術や音楽は旅をする。辛抱強く待っていれば、いつか巡回展が行われたり、演奏会が催されるかもしれない。しかし、建築は場所に根づくものである。つまり、建築が旅をしないから、こちらが旅に出るのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2024年2月15日
読了日 : 2024年2月14日
本棚登録日 : 2024年2月14日

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