ままならないから私とあなた (文春文庫 あ 68-3)

著者 :
  • 文藝春秋 (2019年4月10日発売)
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 相手のためを思い、相手のためになると信じてしたことが、結局は自分の価値観の押し付けでしかなく、相手を苦しめる結果になってしまう。それも、生活のほとんどをかけてきたと言えるものを壊してしまう。

 無駄なこと、役に立たないことを徹底的に排除しようとする薫。子どもの頃は、体育の授業を休んだり、学習用のタブレットを手に入れてからは学校もいかなくなったりする。のち、天才的なプログラマーとして知られるようになる。一方、雪子は、時間がかかったりして無駄に思えることの中に価値を見出している。フリーの作曲家として活動するようになる。
 自分が苦労して得てきたもの、まわり道しながら考えてきたこと、それらが機械に置き換えられるとは思いたくない。苦労した時間、考えている時間。とても大切な時間だ。雪子に共感しながら読み進める。

 意味とかなくったって、単純に楽しい、楽しいだけ。それ以外何の意味もないみたいなことが、意味のあるすべてのものを一気に飛び越えていく瞬間ってあるんだよ。
 意味がないとか無駄なこととか、あたたかみとか、新技術で簡単に省けちゃうことにこそ、人間性とか、あたたかみとか、そういう言葉にすらできないような、だけどかけがえのないものが宿るような気がするの。
 
 そんな雪子に対する薫の言葉。
 みんなそうなんだよ。自分に都合のいいことだけはちゃっかり受け入れてるんだよ。そのくせ自分を脅かしそうな新しい何かが出てくると、人間のあたたかみが、とか、人間として大切な何かを信じたいとか言って逃げる。
 変化していく社会に理解がある顔して、自分だけは自分のままでいたいんだよ。ずるいよそんなの。
 確かに合理性によって省かれる人間的なものはいっぱいあるかもしれないけれど、その代わりに、これまでになかった新しい人間的な何かが生まれる。そうやって巡ってきたんだよ、今までも。
 
 薫に対してどう反論ができるだろう、と考えた。都合のいいことだけ受け入れて、自分の価値観にそぐわないものははじめから排除しようとしているだけなのか。
 
 「自分の予想通りに動いてくれないものが怖いんじゃないの?」「ままならないことがあるから、皆別々の人間でいられるんだもん。」と雪子は薫に言うが、最後はその言葉が雪子にかえってくる。努力だけではどうにもならないこと。自分の力ではままならないこと。確固たる価値観の中で懸命に努力しながら、ままならないものにぶつかって、異なる価値観のなかを揺れ動きながら、折り合いをつけていく、ということなのかと思った。

 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説 日本
感想投稿日 : 2023年7月23日
読了日 : 2023年7月23日
本棚登録日 : 2023年7月23日

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