松尾スズキが作家であり、小説を出していることをこの作品で知った。松尾スズキといえば、劇団を主宰していて、脚本家でもあり、雑誌などに面白いコラムなどを書いているライターでもある、ちょっと変わったおじさん、だった。重要なのは「ちょっと変わった」ところであり、そういう人が書いた小説とはどういった物語になるのか――というのが、この小説を読み始めた最大の動機である。
タイトルに「宗教」とあるのが、すでにただならない雰囲気をまとっている。宗教はいつだって不穏である。怪しさやうしろめたさがみじんもない宗教など、現代小説においてはモチーフにもなるまい。つまり、一風変わった男が、不穏な宗教を取り上げて書いた小説が、正当な純文学たるはずがない、との前提で読み始めたわけだ。
予想通りだった。まともな登場人物は、一人も存在しない。現実世界においても、まともな人間(と自分で思っている人は多いが)など稀有だが、この物語では見事に登場しない。そこで起きる出来事もスプラッターなことばかりだ。展開はジェットコースターのごとく疾走感があり、矢継ぎ早にスプラッターなことが起こる。
作者はしばしばそうしたスプラッタ―な場面を「描写不能」といって、多くの擬音語などでの描写をするのだが、「描写不能」と言っておきながら読み手には場面が映像として立ち昇ってくる。かつ、その映像はことごとくグロい。
これほどに事前の予想通りの物語だったことに、一番驚いた。松尾スズキ、恐るべし! 血やら体液やら「変な汁」やらがのべつ幕なしに流れ、絶えずエログロをまとって物語が進行するので、そうした話が極端に苦手な向きには推奨できない。だが、ここが松尾スズキの小説家としての文才ゆえなのか、そこにひそやかに人間愛が含まれている気がするのだ。
小説に入る前の長い前説的物語も読みどころだ。あたかもそれが落語の枕のようで、その疾走感を保持したまま、唐突に本編が始まる。どこを読んでも、もれなくグロい面白さがある。作者自身パロディ要素を意識して書いているのだろうが、その試みは概ね成功している。
ときに「わたしは一体何の物語を読まされているのだろう」と思いながら読んでいることはあったけれども、そんな細かいことは気にせずに読んでしまえ、とばかりに疾走感あふれる物語のリズムに乗せられて、一気に上巻を読了してしまった。
- 感想投稿日 : 2019年5月31日
- 読了日 : 2019年5月30日
- 本棚登録日 : 2018年12月7日
みんなの感想をみる