残月 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)

著者 :
  • 角川春樹事務所 (2013年6月18日発売)
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感想 : 557
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『みをつくし料理帖』第八巻となる『残月』もまた、他の巻と同じく四話が収録されているが、この巻では、澪の母親代わりの芳が存在感を放っている。料理店の女料理人として腕を揮ってきた澪とそれを取り巻くつる家の面々が、一期一会でこれまで出会ってきた人たちと交錯し、その交わりが新たな物語を生み出している。一期一会とは言ったものの、決して出会うばかりではない。別れもあるし、出会うことで新たな懊悩が生み出されることもある。このようなとき、人はしばしば右往左往してしまうものだが、かつての天満一兆庵の女将を務めた芳は、かようなときにこそ光を放つ。一流の料理店の女将という経験がそうさせるのは間違いないが、目の前にある障害に瞬時に対応できる瞬発力を見るにつけ、芳という女性が『みをつくし料理帖』において重要なポジションにいたことを再確認する。

澪もまた、一介の町人相手の、今に例えるなら庶民的な定食屋でありながら、江戸の料理番付に「とろとろ茶碗蒸し」が評価されたことで、江戸で一二を争う一柳や登龍楼といった大店とかかわりを深めてゆく。そんな折、一柳の店主を父に持ち、今は版元をしている坂村堂が、父の知り合いの旅籠店主の祝言での料理を澪に頼みに来る。一柳は一柳なりの矜持で「仕出し料理」は受けないということで、澪、つまりつる家にお鉢が回ってきたのである。

一柳の店主柳吾とその子坂村堂。柳吾と知り合いの旅籠の主人は、かつて芳とひと悶着あった。
芳の息子で、天満一兆庵の江戸店をかつて切り盛りしていた佐兵衛は、澪が吉原廓で知り合った友しのぶとの交わりを通じて、芳が長年待ちわびた息子との邂逅を果たすこととなる。
澪が請けた祝言の席での料理がきっかけで、芳は息子佐兵衛との再会とは別の、新たな出会いをも果たす。並の女性なら運命の波に翻弄され、自ら逃げ出してしまうかもしれないが、芳はそれでも毅然としている。そんな芳が、人前では見せない弱さを、我が愛娘ともいえる澪の前でだけ時に晒してしまう。この弱さも、『残月』の読みどころの一つだろう。
いずれにしても、つる家を中心にして多くの人が交わり、つる家がなければあるいは互いに出会うこともなかったかもしれない人々が十重二十重に絡み合うさまは、注意して読み進めないとそれぞれの人たちの関連性が不明瞭になってしまうほどだ。人々の絡み合いが、物語に深みを与えていることは言うまでもない。料理で言えば、旨味のもととなる出汁のようなものであろう。

そして、澪はついに、火事で焼失した翁屋の仮宅で、名医源斉の仲介を経て、あさひ太夫こと野江とついに対面することとなる。これまでは翁屋の瀟洒な襖越しに互いの声を交換するだけだったが、本作では澪は野江と互いに顔を見合わせて話をするのである。そのいきさつもまた、人と人との出会い、一期一会の人たちとの交わりを大切にしてきた澪ゆえの、ある意味では当然の帰結だったのかもしれない。情けは人のためならず――人にかけた情けは、輪廻して、巡り巡っておのがもとに舞い戻るという例えの通りだ。

十巻からなる『みをつくし料理帖』もあっという間に二巻を残すだけとなった。つる家の店主種市は本作の中で大きな決心をした。その決心を後押ししたのは、普段、仏頂面して文句ばかり垂れている戯作者というのも面白い。あれこれ言いながらも、みな澪の虜になっているということだ。澪がこれまで多くに人にかけてきた情は、ぐるりと回って、今まさにおのが運命を動かそうとしている。いよいよ物語はクライマックスを迎えることとなるだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・物語
感想投稿日 : 2021年1月19日
読了日 : 2021年1月18日
本棚登録日 : 2021年1月1日

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