コ-ヒ-が廻り世界史が廻る: 近代市民社会の黒い血液 (中公新書 1095)

著者 :
  • 中央公論新社 (1992年10月1日発売)
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感想 : 80
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だいたい、コーヒーというのは奇体な飲み物である。そもそも体に悪い。飲むと興奮する。眠れない。食欲がなくなる。痩せる。しかしそのコーヒーのネガティブな特性を丸ごとポジティヴに受け入れて、世界への伝播に力を貸したのがスーフィーたちであった。
(p.14)

海外活動は危険が伴う。保険が必要だ。しかしこれもない。どこかで始めなければならない。コーヒー・ハウス。正確かつ迅速な情報と遠隔地交易にまつわる事故の補償とは時代の要請であった。
(p.62)

プロイセンは男らしい国であった 。その昔、マールブルクのエリーザベト教会のステンド・グラスに変描いたアダムとイヴの絵で、アダムを誘惑するイヴが女であったという事実に耐えられず、イヴまで男として描いたドイツ騎士団以来の強引な男っぽさが魅力であった。その中でもひときわ男らしく、大王の名に値する傑物がフリードリッヒ大王である。男の中の男といっても並ではない。女人統治時代の男の中の男である。
(p.146)

しかし、たまに密輸品のコーヒーが市場に現れたとしても、フリードリッヒ大王の昔と同じようにふたたび庶民には手の出ない高値をつけていた。庶民の手元に残ったのはふたたび、あの「君たちがいなくても、健康に、豊かに」とまるで負け惜しみの権化が国家ピューリタニズムを着飾ったような「ドイツのコーヒー」だったのである。なんでもいい。一つとして持続的に飲まれない以上、次から次へ発明と開発の手が加えられた。キク芋、ダリヤの球根、タンポポの根、ゴボウ、菊の種、アーモンド、エンドウ豆、ヒヨコ豆、カラスノエンドウ、イナゴ豆、トチの実、アスパラガスの種と茎、シダ、小判草の根、飼料用カブラ、トショウの実、アシの根、レンズ豆、ヨシの穂軸、野生のスモモ、ナナカマドの実。まだまだある。ヘビノボラズ、サンザシの実、クワの実、西洋ヒイラギの実、焼いてみて多少、褐色の焦げ目がつけば何でもいい。文字通り焼け糞である。カボチャの種、きゅうりの本体、ひまわりの種。これですべてではない。しかしもういいであろう。いかにもドイツらしいのを一つだけ付け加えておけば、ビールのホップからコーヒーを作る試みもある 。大地の糧が、というよりは、大地そのものがコーヒーを名乗りかねないような勢いである。 ドイツ語ではこうした代用コーヒーを「 ムッケフック(Muckefuck)」といい、おおよその語源的意味は「朽ち果てた褐色の大地」である。赤面したくなる。しかし赤面してはいけない。この程度で赤面していては、この国と付き合ってはいけないのだ。
(p.151-152)

作者がノリノリで書いた本は、多少筆が滑っていたとしても総じて読み物として面白い。
第一章では比較的抑揚をおさえた文章も、頁を重ねるにつれてどんどん饒舌になっていく。
ドライブ感のある講義を聞かされているようで、最後まで持っていかれました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年2月17日
読了日 : 2019年7月14日
本棚登録日 : 2019年7月14日

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