この国の冷たさの正体 (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2016年1月13日発売)
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自分が所属する会社で今の地位にあって半期ごとに人事考課で5段階評価をされる。悪かろうと良かろうと、自分は頑張ったもしくは努力不足だったからそうなんだ、と完全に納得しているかというとそんな事もない。若い頃はそうした意識がもっと強く、特に悪い評価には「何でこんなにがんばったのに」と強く憤りを感じることもあった。また結果をズルズル引きずって暫くは上司に対して恨みを抱いた物だ。そういう意味では、若いほど自己責任的な考えは無く、自己中心的な身勝手な考え方であったように思う。歳を重ねてある程度の地位になり、逆に評価する立場になってくると、自身の評価には「自分の頑張りが足りなかったな」と受け入れるようになり、部下の評価は公平な基準で冷静につけようと、毎晩遅くまで部下の自己評価コメントと向き合っている。
社会がそうなのか個人の問題かわからないが、はっきり2つのパターンが見られる。言い訳ばかりで成果も??な人程、コメントもだらだら長く自己評価は丸ばかり。逆にいつも遅くまで文句も言わずに頑張っているのに評価も低くコメントもあっさりしてるひと。冷静に見て後者は成果も出してるのにな何故そんなに低いのかしら?と不思議に思う。まさに評価真っ只中で本書を手にした。
本書は自己責任に縛られる社会と、それを理由に弱者を切り捨てる社会の恐ろしさ虚しさに警鐘を鳴らす。生活保護の不正受給や犯罪者を社会から抹殺する傾向はテレビを始めとする映像メディアの責任が大きいと言う。確かに悪いことだが、本質的な原因を見ずに、表面的な分かりやすい部分を誇張し、尚且つロクな検証もせずに話題性だけで垂れ流し、こんな報道ばかり。だから私もテレビは殆ど見ない。先日偶々ワイドショーを見ていて、一酸化炭素中毒のニュースをやっていたが、コメントを求められた医師(テレビ会議形式で顔だけ出演)が、司会者の「空気と比べると重たいんですかね!?」の質問に「そうです」と即答した瞬間、私は「本当かよ!」と独りで声を上げてしまった。その通りならなるべく姿勢を高くしなければならないが、実際はほぼ同じ比重だし、むしろ高い方から溜まるんじゃないかと思う。直後のcm明けに司会者が先ほどの質疑の回答の誤りを謝罪していたが、社会的に医師という立場で疑わずに受け入れる視聴者が多い中、場の流れで適当に答えた医師は如何なものかと思う。判らないって言えれば良いのだが。だが、これも社会の問題の一つだと感じる。弱者がより弱者を陥れ、他人の間違いを厳しく追求し、少しの過ちを犯した人間をダメレッテルで吊し上げて面白がる。この様な社会が、すぐに回答できない医師を「ダメじゃん」と簡単に評価してしまう。医師側にもそんなプレッシャーがあるから一か八かで即答してしまう。近年のそうした攻撃的な意識の醸成にはメディアの責任があるのは明確だし、それを安易に受け入れる単純な社会が、考える力を奪っている様に感じる。
もう少し考えてみよう、これは私自身が会社でよく言う言葉だが、当たり前の事過ぎて、それを言わなければならない程、考えずに単純作業で済ませる傾向は組織の中にも浸透してきた。危険だ。
本書は自己責任と社会の冷徹さを中心に、原因分析と対応について精神科医で映画監督である筆者がわかりやすく説明している。前述の自己責任論については、政治がその様な傾向を作ってきた事にも触れており、いつの間にか古い時代に成り立っていた慣習・慣わしが緩和に役立っていた社会の温かさなどを失いつつある事を危惧している。全く同感だ。時代に合わせて世界に合わせて変わる事も必要だが、社会全体として成り立っていた中の一部の制度やルールを変える事で、実は社会全体で見たときに歯車が合わなくなる事を上手く説明している。
今日もチームメンバーの評価をつけながら、そんなに自分を責めないで、と、いやいやそれって言い訳を超えてほぼフィクションだよね?という二大勢力と戦っている。疲れた。頼むから、助け合って「温かいチーム、分かり合えるチーム」を皆んなで作ろうよと今日も悩むのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年4月29日
読了日 : 2023年4月29日
本棚登録日 : 2023年2月25日

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