- Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000225359
作品紹介・あらすじ
「9・11」と、急激なグローバリゼーションの進行は、これまでの政治観の中心であった境界線にもとづく思考を無効にした。現在、われわれが直面している問題の本質とは何か。ポレミックなトピックを通して、幻想にもとづく同質性を単位にした政治秩序がもつ問題と限界を明らかにし、主権の絶対性と、境界線内部の最適化を志向する伝統的な政治概念をラディカルに更新する理論的跳躍。
感想・レビュー・書評
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これは政治ってなんなの?ってことを読むには最適な本。
民主主義って一口に言っても、リベラリズムとかコミュニタリアニズムとかマルチカルチャリズムとか、いろんな政治観がある。その分類を分かりやすく説明してくれている詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても面白い。この本は「政治学」と銘打っているが、その射程は決して「政治学」に留まるものではなく、「境界線の哲学」と言っても良いかもしれない(わからん)
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メモ)H22.05.12中途
・はじめに
p.vii 国家理性=内部の最適化(≠普遍主義的配慮) 国民国家の誕生は、その外部との間の自然状態の発生を意味する
・第1章 政治と境界線
p4 公/私[政治的/非政治的]の二元論は特定の群れにとって有利なゲームを展開しようとする一種の政治。(フェミニストが明らかにしたように)特定の領域を非政治的なものとして政治の外部に追い出すことは政治的な意味を持つ。
p8 市民社会も内部にゲームのルールを共有することを前提し、境界線を持つものであり、特権的なゲームの場ではありえない。
合意論的政治観:政治 = ある一定の人々の間で合意を作り出すこと
対立論的政治観:政治 = 人々の間の(利害関係、アイデンティティの違いに基づく)対立
p10 自由主義者〔合意論〕が合意形成の必要を説くとき、その合意に関わる人々の範囲を限定し、それ以外の人々を事実上排除している。合意は常に限られた集団の中でのみ成立する。
p12 「われわれ」と外部との境界線を画定するためには、「われわれ」が同質的であるように見える必要がある。この必要性を充たすのが規律権力である。国語教育、「国民性」…
p13 国民という単位を重視するナショナリズム〔対立論〕は、その内部の亀裂の存在を認めない。(対立論者は、ある特定の境界線以外の境界線を認めない。)
p19 境界線は相互に交差することを嫌う。
p21 人間の群れについての境界線…その範囲の人々は動員され利用される…監視するまなざし(フーコー) ←→ 見返りとしてのセキュリティ
・第2章 全体性・多元性・開放性
<政治理論が今直面している課題は、国家からの「解放」ではなく、われわれの想像力を縛る一切の境界の「開放」である。>
(第3章「寛容と差異」以下、4「普遍的なるもののヘゲモニー」、5「契約と闘争」、6「二分法の暴力」 は省略)
要再読 -
この本の存在は趣味でやっている大学受験現代文問題集で出てきて知り、面白そうだったから大学図書館で借りた。
「境界」に関する学問的言説についてはかなり興味があり、この本からも自分の関心にピッタリの部分があったりしたが、理解できない所もあった。
「かれら/われら」に関する話が当然出てくるので、既に読んだシュミットの「政治的なものの概念」が取り上げられていたり。
境界線を引くという行為は、
・内部と外部の境界線を恣意的に決定する行為
・国家に帰属する人々に必要とされてきた行為
・主権国家において最も典型的に表れた行為
・外部の人々を保護の対象から外す排他的な行為
なのだろう。
生きている限り、何かを選ぶことによって他のものを排除するという行為を避けられない以上、われわれは自らが排除しているものに対して、つねに自覚的であらなえればならないのだろう。 -
まだ読み途中ですが。
社会契約や自由主義に対する批判がとても面白かった。
社会契約に言う「我々」が擬制であることは知りつつも、それは重要な理念として念頭に置き実体化のために努力すべきなんだ、と思ってあまり問題にしたことはなかったが、そういう批判もありうるのかと目から鱗。この批判に賛同できるかどうかまで心の中が整理できていないけれど、斬新でおもしろかった。
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ゼミ合宿の課題書。
政治学科が法学部に属している理由が初めて分かった。 -
ゼミ合宿の課題書。
政治学科が法学部に属している理由が初めて分かった。 -
境界線を認識する