- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000233828
作品紹介・あらすじ
日本を代表するユング派心理学者であり、『昔話と日本人の心』などの著作で独自の物語論を展開する著者が、日本神話の意味とその魅力をわかりやすく語る。他世界の多くの神話と異なり、太陽神はなぜ男性ではなく「日の女神」アマテラスなのか?繰り返し現れる神々の「トライアッド」構造とは何か?母との一体性、トリックスター、英雄…さまざまな顔をもつスサノヲとはいかなる神か?「見畏む」男神たち、流し棄てられた神ヒルコは何を意味するのか…。『古事記』『日本書紀』の世界を独自の観点から、また世界の神話・物語との比較をまじえた広い視野からよみとき、日本人の心性と現代社会の課題をさぐる。
感想・レビュー・書評
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アマテラスを天の岩屋戸から引き出すために
アメノウズメが裸踊りをするという場面は有名だが、
アマテラスの影としてアメノウズメを考えると
なんと面白い・・・。
外国の神話との比較もあって面白い。
中空近郊構造に関しては、こういうバランスのとり方というのは思ってもいなかったことで、いわゆる日本人気質というのは、こういうところからきているのか・・・と納得した。
出雲と高天原との関係も面白く、勝者が敗者を支配下に置くという関係性がなく、巧妙に妥協したり、うまく補償しあったりして、古事記のなかの神々はすごいというか・・・
こういう物語をつくった日本人・私たちのご先祖さまたちは、ただただすごいなあというしかない。
「畏む(かしこむ)」ということに関しての記述も面白かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本人のバランス感覚は、神話にまで如実にあらわれているのだ。つまり「間をとって丸くおさめる」というやり方。父性の強い神が登場すれば、それを制御するのは母性的な神であったり、その逆も然り。ユダヤ教やキリスト教とは異なり、その容赦のなさが感じられないのが日本の神話。そこに、えもいわれぬユーモアが感じられて面白い。
「間」と「ズラし」というのは、『古事記』や『日本書紀』にあってはほとんど同義語に近いのではないかと実感。
カミムスヒノカミとタカミムスヒノカミが、それぞれ、反対の性を象徴するカミのバックボーンになっているというのにも顕著にあらわれている、古き日本神話においてさえ、出る杭ならぬ、出る神は打たれる、のだ。 -
さすが河合隼雄さん。
神話に見られる、トライアッド、トリックスター、ゆりもどし、中空均衡構造などに日本人の心を見る。
すごいなあ。『昔話と日本人の心』も読んでみたい。
序章 日の女神の輝く国
一 日の女神の誕生
二 神話の意味
三 現代人と神話
四 日本神話を読む
第一章 世界のはじまり
一 天地のはじめ
二 生成と想像
三 最初のトライアッド
四 神々の連鎖
第二章 国生みの親
一 結婚の儀式
二 男性と女性
三 意識のあり方
四 国生みと女神の死
五 火の起源
第三章 冥界探訪
一 イザナキの冥界体験
二 禁止を破る
三 原罪と原悲
四 原罪と日本人
第四章 三貴子の誕生
一 父親からの出産
二 目と日月
三 アマテラスとアテーナー
四 ツクヨミの役割
五 第二のトライアッド
第五章 アマテラスとスサノオ
一 スサノオの侵入
二 誓約
三 天の岩戸
四 アマテラスの変容
第六章 大女神の受難
一 大女神デーメーテール
二 再生の春、笑い
三 イナンナの冥界下り
四 イザナミ・アマテラス・アメノウズメ
第七章 スサノヲの多面性
一 スサノヲの幼児性
二 トリックスター
三 オオゲツヒメの殺害
四 英雄スサノオ
五 スサノヲ・ヤマトタケル・ホムチワケ
第八章 オオクニヌシの国造り
一 稲羽の素兔
二 オオクニヌシの求婚
三 スサノヲからオオクニヌシへ
四 スクナビコナとの協調
第九章 国譲り
一 均衡の論理
二 大いなる妥協
三 タカミムスヒの役割
四 サルダビコとアメノウズメ
第十章 国の広がり
一 海幸と山幸
二 「見畏む」男
三 第三のトライアッド
第十一章 均衡とゆりもどし
一 均衡のダイナミズム
二 三輪の大物主
三 夢を神
四 サホビコとサホビメ
五 結合を破るもの
第十二章 日本神話の構造と課題
一 中空均衡構造
二 他文化の中空構造神話
三 ヒルコの役割
四 現代日本の課題 -
日本の臨床心理学の先駆者である著者は、欧米(1950年代アメリカ、60年代スイス)への留学時に、日本神話が日本人の深層心理に強く影響を及ぼしていることを悟る。以来著者は40年余にわたって、日本人の心のルーツを日本神話に求めることをライフワークとする。神話がそもそも集団が部族としてまとまるために共有してきた物語であるならば、たしかにその研究の目的と対象は整合する。本書は、その研究成果の集大成として、著者が2007年に逝去(79歳)する4年前に刊行された。
一神教を基本とする海外の神話が「中心統合構造」を成すのに対して、日本神話は八百万の神が互いに均衡を保つ「中空均衡構造」を成すとの発見が研究のブレイクスルーとなる。他者及び新しい物事に対して“まず批判して議論する”外国人と“まずは受け入れて調和を図る”日本人との価値観の差がこの点に起因すると筆者は考察する。中心に絶対的優位者が居座りその求心力を重視する外国人と、中心に特定の物を置かず全体としての調和を重視する日本人という今なお継続する図式の根源を、このようにいとも簡単に説明してしまった。外国人にとって、ひとつの座標軸を設定し二分法(天と地、光と闇、男と女、自と他、善と悪、精神と物質、などの区別)に頼って二項対立的に処してゆく手法が一般的である。これに対して、アマテラス―ツクヨミ―スサノオのトライアッドの関係に見られるように、そこに第三の要素を加えてダイナミズムを与えるとともに、三次元的均衡を保とうとする調和的な感覚が古来から日本人には備わっていると筆者は強調する。欧米のみならず中韓にも押されがちな我々日本人が勇気を与えられる言葉だ。
「科学の知は、その方向を歩めば歩むほど対象もそれ自身も細分化していって、対象と私たちとを有機的に結びつけるイメージ的な全体像が対象から失われ、したがって、対象への働きかけもいきおい部分的なものにならざるをえない。科学の切り離す力は強い。近代科学においては、観察者は研究しようとする現象を自分から切り離して、客観的に観察して、そこに因果的な法則を見出そうとする。したがって、そこから見出された法則は、その個人とは関係のない普遍性をもつ」
日本神話は、奈良時代初期に完成した古事記(712年)および日本書紀(720年)に記されている。日本書紀は外国に対して独立国家の成立を示す政治的意図をもって古事記を改変して作られたものと考えられている。以下に日本神話のあらすじを紹介する。
天地が分かれてまもなく高天原(天上界)に性別のない神々(七柱)、男女対となった神々(五組十柱)が次々に出現し、最後に出現した伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の男女神に国生みが命じられ、大八島国(日本列島)が誕生する。伊邪那岐は自分から生まれた三柱の神、天照大御神、月読、須佐之男に、それぞれ天上界、夜の国、海原を治めるよう命じる。高天原を追われ出雲に降り立った須佐之男の六代後に登場する大国主は出雲国を栄えさせるが、この様子を見た天照大御神は出雲国を高天原系の子孫に治めさせることを決め、高天原系(国津神系)と出雲系(天津神系)の和議により、出雲の国譲りとなり、やがて天照大神の孫の邇邇芸(神武天皇の曾祖父)の日向・高千穂への天孫降臨へと繋がる。アマテラス系の天皇の統治する日本国家はこうして誕生する(天皇家の正統性を語るためにどちらかに中心を決める必要性があることから生まれた物語とされている)
なお、大国主が国譲りの要求を受け入れる見返りとして建立されたのが出雲大社の起源であり、邇邇芸の降臨した高千穂の峰に刺さる天逆鉾(あめのさかほこ)は、坂本龍馬新婚旅行の地として知られている -
●日本人の心性に反映されている日本神話の「中空均衡構造」とはいかなるものか。簡単に筆者の考えを記せば、「中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立や葛藤を感じ合いつつもら調和的な全体性を形成している」とのことである。
●日本人の心とは、「論理的整合性ではなく、美的な調和感覚」であり、それを神代から脈々と受け継いできたと読み取れた。 -
「神話と日本人の心」河合隼雄著、岩波書店、2003.07.18
350p ¥2,625 C0011 (2018.08.20読了)(2018.08.12借入)(2003.08.08/2刷)
Eテレの「100分de名著」、20018年7月は、「河合隼雄スペシャル」でした。そこで紹介されたのは、「ユング心理学入門」「昔話と日本人の心」「神話と日本人の心」「ユング心理学と仏教」の四冊でした。残念ながらどれも読んだことがありません。
近くの図書館の「蔵書検索」で「神話と日本人の心」だけヒットしました。
ということで、借りてきて読みました。
本の内容は、『古事記』『日本書紀』を題材にして、日本人の心(考え方の基になっている部分)を探るものです。比較のために他の国の神話なども随時紹介されています。
エッセンスの部分に関しては、下記の本が出ています。
「中空構造日本の深層」河合隼雄著、中公文庫、1999.01.18
「神話と日本人の心」よりは、読みやすいと思います。
【目次】
序章 日の女神の輝く国
第一章 世界のはじまり
第二章 国生みの親
第三章 冥界探訪
第四章 三貴子の誕生
第五章 アマテラスとスサノヲ
第六章 大女神の受難
第七章 スサノヲの多面性
第八章 オオクニヌシの国造り
第九章 国譲り
第十章 国の広がり
第十一章 均衡とゆりもどし
第十二章 日本神話の構造と課題
あとがき
索引
●神話(6頁)
その部族はどのような世界のなかで、どのようにしてできあがり、今後どのようになってゆくのか、それを「物語」るものとしての「神話」によって、部族の成員たちは、自分たちによって立つ基盤を得、ひとつのまとまりをもった集団として存続してゆけることになる。
●性(48頁)
性は人間にとって極めて重要なことであり、それが神話のなかで語られるのは、むしろ自然なことである。それを、卑猥とか下品と感じるのは、近代人の偏見と考えていいだろう。もっとも、人間の理性を重要視したいときに、理性をもっとも狂わせるものとして、「性」を拒否したり、低く評価したりしようとするのも了解できることではある。
●父親から生まれる(106頁)
イザナキが左の目を洗うときに、アマテラスが生まれ、右の目を洗うときに、ツクヨミ、鼻を洗うときにスサノヲが生まれる。
そして、アマテラスに対して「汝命は、高天の原を知らせ」、ツクヨミには「汝命は、夜の食国を知らせ」、スサノヲには「汝命は、海原を知らせ」と命じた。
ここでまず注目すべきことは、三柱の神が父親から生まれている、という事実である。
●日と月(109頁)
アマテラスとツクヨミ、つまり日と月は、それぞれ父親の左目、右目から生まれている。
●個人とイエ(304頁)
現代の日本人は、個人主義的な生き方と、かつての「イエ」を大切にする生き方の間にあって、苦悩していると言っていいだろう。
●日本型リーダー(313頁)
日本では天皇の中心は変わらないものの、その権力の「空化」が徐々に生じてくる。天皇は中空の象徴としての権威を保ちつつ、権力は他に譲る形になるのである。
小集団においても、日本人は中心統合構造の中心のようなリーダーを嫌う傾向がある。集団の長となるものは、全体をリードするものではなく、全体の調和をはかるものとして期待される。
☆関連図書(既読)
「古事記」三浦佑之著、NHK出版、2013.09.01
「古事記」角川書店編・武田友宏執筆、角川ソフィア文庫、2002.08.25
「楽しい古事記」阿刀田高著、角川文庫、2003.06.25
「日本書紀(上)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.06.10
「日本書紀(下)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.08.10
「子どもの宇宙」河合隼雄著、岩波新書、1987.09.21
「中年クライシス」河合隼雄著、朝日文芸文庫、1996.07.01
「日本文化の新しい顔」河合隼雄・日高敏隆著、岩波ブックレット、1998.01.20
「こころの処方箋」河合隼雄著、新潮文庫、1998.06.01
「中空構造日本の深層」河合隼雄著、中公文庫、1999.01.18
「未来への記憶(上)」河合隼雄著、岩波新書、2001.01.19
「未来への記憶(下)」河合隼雄著、岩波新書、2001.01.19
「泣き虫ハァちゃん」河合隼雄著・岡田知子絵、新潮社、2007.11.30
「生きるとは、自分の物語をつくること」河合隼雄・小川洋子著、新潮社、2008.08.30
(2018年8月22日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
日本を代表するユング派心理学者であり、『昔話と日本人の心』などの著作で独自の物語論を展開する著者が、日本神話の意味とその魅力をわかりやすく語る。他世界の多くの神話と異なり、太陽神はなぜ男性ではなく「日の女神」アマテラスなのか?繰り返し現れる神々の「トライアッド」構造とは何か?母との一体性、トリックスター、英雄…さまざまな顔をもつスサノヲとはいかなる神か?「見畏む」男神たち、流し棄てられた神ヒルコは何を意味するのか…。『古事記』『日本書紀』の世界を独自の観点から、また世界の神話・物語との比較をまじえた広い視野からよみとき、日本人の心性と現代社会の課題をさぐる。 -
まさに私の知りたいことがギュギュギュっと!!!
月読の存在感!
そう!そう!そ~ゆ~ことなんだって!!とうなずきながら読んだ。 -
日本人の心の特徴を神話に見出す、という視点が興味深い。中庸性など曖昧になりがちな漠然と、でもよく言われる特徴がいかに古事記に見出せるか。筆者自身が断っている通り、少々主観的だが、その考えの道筋は興味深い。
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日本人の「リーダーシップ」「自己主張」が無いは今に始まったことではなく、神話が出来た古代からの国民性なんだということがよく理解できた。
イザナキ、イザナミの最後のやりとりによって、日本における「死」の初めと、それでも人は「産む」のエピソードで、自然の厳しさに畏れの念を持ちながらも、未来へ力強い希望をもってるということにとても感動した。 -
「本書において、日本の神話について細部にわたって分析し、考察してきたが、これは、日本人が自分を確立するのにどのような過程を経てきたのか、欧米の個人主義を取り入れることがいかに困難なことであるかを、細部にわたって明らかにしてきた、ということもできるのである。(p.330)」