橋本龍太郎外交回顧録

制作 : 五百旗頭 真  宮城 大蔵 
  • 岩波書店
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244718

作品紹介・あらすじ

大臣として、首相として、湾岸戦争や対米貿易摩擦、日米安保再定義と普天間基地返還問題、台湾海峡危機、ペルー大使館人質事件など、冷戦後の外交・安全保障における新たな地平を模索した政治家・橋本龍太郎。二〇〇一年から〇二年に三回にわたって行われたインタビューを収録する本書は、彼の唯一の本格的な回顧録であり、日本外交への示唆に富むものである。

感想・レビュー・書評

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  • 【由来】
    ・多分、図書館の岩波アラート。

    【期待したもの】
    ・鈴木宗男やら折田本やら孫崎享の本やらを読んだので、yet anotherな証言を読みたい。

    【要約】
    ・ポマードな首相という印象しかないのだが、まぁ、なかなかに武闘派で、しかも率直な人だったらしい。当時の状況をズバッと本音っぽく語っているのがなかなかに面白い。所詮、政治家が自分の過去を振り返って語っているのだからというフィルターが自分の中にないではないが、そればっかりではあまりにも世知辛い。

    【ノート】
    ・「(法制度上の準備ができていないときは、結局そういう「超法規的」と称する違法行為をやるしか)仕方がないのですね。(P59)」

    ・「公邸にいるときに当時の田中均外務省北米局審議官が「県内移設が前提だったら、返すという可能性があるかもしれません。ただ、事前に出せません。押してみていいですか。どうしましょうか」、と。「押してくれ」と、すぐ私は答えたのですが、そのときに「ああ、やっぱり同じことを考えてくれたな」と、ものすごくホッとした記憶があります。(P70)」

    ・「橋本:中国を牽制するためにロシアをアジアのプレーヤーのなかに入らせるということを本気になって考えていました。(P81)」

    ・「何だかんだと言われていますが、実はスハルトはジャカルタに入ったときに買った家にずっと住んでいたわけです。想像するよりは慎ましいと思います。一般庶民から見れば非常に贅沢だということになりますが、あの国の贅沢というなかには入らない家でした。彼がいかにプライドを傷つけられたか(P93)」

    ・「インタビュアー:マルチにおいて、どういうところがポイントなのでしょうか。
    橋本:最大公約数をみつける能力でしょうか(P97)」

    ・「とにかくわれわれはここで日米交渉を決裂させちまえと。ただし、どんなことがあっても先に席を蹴って帰るのはアメリカにしようと。そして帰るやつに「まだ話そう、話そう」と言って、それを振り切ってアメリカが席を立ったら、立った瞬間に世界中に手分けしてその状況の説明に回れ、というのを手ぐすね引いておりましたので、これは非常にその通りにいきました。(P124)」

     こんな感じで、考えて、シナリオを練って、タフな交渉に臨んでくれてるんなら、それが裏目に出ても責めることはできないわね。

    ・「湾岸危機から湾岸戦争のときに、まったくそういう設備(オペレーションルーム)がありませんで、官邸の小食堂と大食堂の間の「喫煙室」といわれる部分に機器を入れ、大食堂を仮睡の場所にして使ったのが最初です。これが反省で、「オペレーションルーム」と称するものを作ったのです。言いたくないないのですが、いまの官邸の主、官房長官はまったく使い方を分かっておられないですね。(P131)」

    ・ペルー大使館の占拠事件についての口述もまた、なかなかに生々しい。「救出作戦自体は、フジモリがいばったようなものではなくて、計画はずいぶん失敗しています。そしてそれは私自身、あとでお礼に行きましたときに公邸のなかに入って、それまで言われていた『誰がここで死んだ』という記憶と当てはめてみましたところ、やはり違いました。階段の途中でセルパは殺されたというのですが、なるほど階段の途中には血痕はありますが、人一人死んだ血痕ではありません。SPに同じことを『きみ、どう思う?』と聞くと、彼らはさすがにプロで、『弾痕がありません』と言いました。(P140)」

    ・「ややもするとわれわれは中国共産党の首脳部と中国政府の首脳部を考えるのですが、人民解放軍の影響力を見落としてはいけないということです。(P146)」

    ・「日本は安全保障という点で、私はこれからも出すぎる能力を持つ国ではないと思いますし、また持てないだろうと思います。これもあまり表にバレずに済んで、私は幸せに辞められたのですが、例えばソ連海軍と海上自衛隊は、私が辞める前日から最初の共同訓練をスタートさせました。オーストラリア海軍と共同訓練をやりました。これもやって、全然バレずに済んで、私は非常に幸いなのです。インド海軍と日本の海自の共同行動、共同訓練を視野に入れてアプローチをしてきていますし、その切り口は海賊対策です。(P157)」

  • 特にいい印象を持てなかった政治家だったが、この回顧録では自分の失敗について率直に語り、わからないことはわからないと言い、よく知っているであろう人を紹介したりする姿を知ってかなり印象は好転した。最低限のことではあるのだけれど、その最低限のことをしようともしない政治家があまりにも跋扈しているから。

  • [新たな地平を求めて]沖縄、通貨・日米貿易摩擦、対ロシアといった様々な外交課題に向き合った橋本龍太郎のインタビューを収めた一冊。通産相、蔵相、そして首相としていかに日本の対外関係を仕切っていったかを、自身の言葉でつぶさに明らかにしています。編者は、防衛大学校長などを歴任された五百旗頭真と日本とアジアの外交関係に詳しい宮城大蔵。


    冷戦後の世界地図に直面しながら、「漂流」しかかる日本の外交政策を改めて位置付けるという課題に向き合わざるを得なかった政治家の一人、という側面が色濃く垣間見えたインタビューでした。時のトップのみが知っているであろう話も多数盛り込まれていますので、冷戦後の日本外交を考える上で極めて有益な一冊だと思います。なお、橋本外交を概観する解説がしっかりと載せられているのですが、これがすっきりとまとめており、インタビュー内容を咀嚼し、理解する上で大変役に立ちました。

    〜私は「俺はロシアが「戦略的パートナー」としてアジアで欲しいんだ。ロシアだって日本と組んで損はないはずだ。だとすれば、この問題は平和条約なしでできないし、国境線の確定しない平和条約なんてないだろう」という議論をしました。〜

    私的なエピソードも考えさせるところがありました☆5つ

  • クリントンは勘が良かった。知的好奇心旺盛で少女暴行事件のときも感度良好に対応された。
    橋本さんはスハルトとも本音で付き合えた。
    橋本は外交にうってつけだった。永田町で群れることが嫌いな橋本は国内政治の利害調整などは好きでなかった、戦略をいろいろと考えるのが好きで外交が向いていた。危機管理も強いこだわりを持っていた。

    冷戦後に揺らいだ外交基軸としての日米同盟を固め直志、その一方で冷戦後の世界における日本の外交的地平の拡大に果敢に挑んだのが橋本外交だった。

  • 地元の図書館で読む。

  • ・イラン・イラク戦争時、海自から内緒でいろいろな装備を保安庁が借りた。
    ・河川をコンクリートで護岸して、寄生虫を退治したが、その後コンクリートをはがすべきだった。

  • 現在の総理の訪露で日露関係の再スタートというタイミングで、16年前の大きな契機について振り返ることができた。

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