硝子戸の中 (岩波文庫 緑 11-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101124

感想・レビュー・書評

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  • 古本屋で1983年出版のこちらを発見し手に取ってみた。
    私の中の夏目漱石といえば写真のイメージのみで、はっきりとこの作品読んだといえるものはない。
    中でもこちらはエッセイで新聞に掲載されたものだそう。
    読み始めて、驚いた。
    いくら現代語訳されたものとはいえ、1933年ごろに書かれたとは思えないくらいスラスラと読める。単純に面白い。
    堅苦しい難しい言葉の羅列など一切なく、夏目漱石の過去の思い出、部屋に出入りした人とのやりとりなど回顧録の形を取っている。読んでいて夏目漱石の人柄がプラスになった。気難しく繊細なイメージだったが、気の利く(というより効かせすぎる?)、優しいおじいちゃん、と言った感じ。
    大作家先生にこの絵を評価して、とかあげたお茶返せ、とか、しまいにはお茶はいいから金かえせ、とか大迷惑厚顔無恥のような人はいつの時代もいるものね。結果一生残る本に登場できたんだから良かったのかも?
    他の作品も読んでみよう。

  • 夏目漱石が好きな方から、よく勧められるのが『硝子戸の中』だった。

    当初、私は漱石は読まない。という変な意地を持っていて、随筆なんてとてもと思っていた。

    そんな私を変えたのは『それから』との出会いである。なので、この機会に数冊読んでみることにする。

    読み終わった感想として、今の私にはまだここに至らないな、が一番である。
    私には、ふとした死を受け取る機会が全然ない上に自分を省察する時間もない。

    ただ、漱石が死を尊びながらも生を説き、そんな自分の心中を半信半疑で見つめている。
    この文が、ひたすらに残った。

    自分を振り返る機会に恵まれたとき。
    私も漱石のように、明るい部分を照らし出せたら良いと思う。
    確かに人は苦労を重ねて、そんな話に共感や同情がゆきがちだけれど。

    暖かい光で春を感じられるような心が残っていれば、それが幸せであるように思う。

    ちなみに私は若冲の鶏は大好きである(笑)

  • がらすどの「うち」 と読む方がいいようだ。
    漱石がすでに亡くなった親族のこと、昔住んでいた場所のこと、犬猫のこと…と身近な材料で語る。

    印象的だったのは、妻と喧嘩していたり、義理で引き受けた講演会の謝礼が届いてなんかイラッとしたりする、めんどくさおじさんの漱石が透けて見える箇所と、死に美しさを感じながらも生に固執もしてしまう中で、とある女性に「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と声をかけるところ…。

  • 「硝子戸の中」夏目漱石著、岩波文庫、1933.09.10
    139p ¥210 C0195 (2020.12.18読了)(2020.12.16借入)(1990.04.16/58刷)
    「硝子戸の中」は、「こころ」と「道草」の間に書かれたもの、ということです。
    「道草」は、漱石の自伝小説といわれます。「硝子戸の中」で紡ぎだされた思い出話は「道草」で使われているのでしょう。
    現在、日本経済新聞で「ミチクサ先生」伊集院静著、が連載中です。夏目漱石の評伝小説です。関連で、「道草」夏目漱石著、や「漱石の思い出」夏目鏡子著、を読めるといいのですが、その前準備として、この本を読みました。

    103頁に「兄などよりもずっと年歯上の男であったらしい。」という文章がありました。「年歯上」は、どう読めばいいのでしょう。「年は上」の誤植なのか、と思ったのですが、念のため、ネットで調べてみました。「年歯」と書いて「とし」と読む事例が挙げてありました。
    漱石用語でしょうね。

    【目次】(「解説」から借用)
    一 (序)
    二 (卯年の写真のこと)
    三~五 (犬・ヘクト―のこと)
    六~八 (或女の告白を聞くこと)
    九~十 (旧友Oのこと)
    十一 (書いたものを読んで欲しいという女に話したこと)
    十二~十三 (作越の男のこと)
    十四 (昔、私の家へ泥棒が入ったこと)
    十五 (講演料のこと)
    十六~十七 (床屋の亭主と昔語りをしたこと)
    十八 (頭の中が片づかないといって相談にきた若い女のこと)
    十九~二十一 (私の旧宅、馬場下界隈のこと)
    二十二 (元気な人が死んで病気がちな私が生き残っていること)
    二十三 (喜久井町の生家のこと)
    二十四 (年賀客のした憐れな物語のこと)
    二十五 (大塚楠緒さんのこと)
    二十六 (益さんのこと)
    二十七 (元日の芸術論のこと)
    二十八 (猫の病気のこと)
    二十九 (両親と私のこと)
    三十 (継続中ということ)
    三十一~三十二 (喜いちゃんのこと)
    三十三 (他人に対する私の態度のこと)
    三十四 (高等工業学校での講演のこと)
    三十五 (南龍と馬琴のこと)
    三十六 (長兄のこと)
    三十七~三十八 (母のこと)
    三十九 (結び)
    注・解説  竹盛天雄

    ●ヘクト―(13頁)
    それは『イリアッド』に出てくるトロイ一の勇将の名前であった。
    ●死について(24頁)
    不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。そうしてその死というものは生よりは楽なものだとばかり信じている。
    ●人間(93頁)
    世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然他と交渉の必要がどこからか起こってくる。

    ☆夏目漱石さんの本(既読)
    「三四郎」夏目漱石著、新潮文庫、1948.10.25
    「それから」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.30
    「門」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.25
    「坊ちゃん」夏目漱石著、新潮文庫、1950.01.31
    「明暗(上)」夏目漱石著、新潮文庫、1950.05.15
    「明暗(下)」夏目漱石著、新潮文庫、1950.05.20
    「虞美人草」夏目漱石著、新潮文庫、1951.10.25
    「道草」夏目漱石著、新潮文庫、1951.11.28
    「こころ」夏目漱石著、新潮文庫、1952.02.29
    「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石著、新潮文庫、1952.07.10
    「行人」夏目漱石著、新潮文庫、1952..
    「坑夫」夏目漱石著、角川文庫、1954.05.30
    「草枕・二百十日」夏目漱石著、角川文庫、1955.08.10
    「吾輩は猫である」夏目漱石著、旺文社文庫、1965.07.10
    「彼岸過迄」夏目漱石著、岩波文庫、1939.11.29
    「文鳥・夢十夜」夏目漱石著、新潮文庫、1976.07.30
    「続 明暗」水村美苗著、筑摩書房、1990.09.
    「漱石先生の手紙」出久根達郎著、NHK人間講座、2000.04.01
    「夏目漱石『こころ』」姜尚中著、NHK出版、2013.04.01
    「夏目漱石スペシャル」阿部公彦著、NHK出版、2019.03.01
    (2020年12月24日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    常に書斎のガラス戸の中に座し、静かに人生を思い社会を観察した著者の小品集。余り多く自己の周囲を語らなかった著者がほとんど初めてここに自己の周囲を回想し観察し、その姿を赤裸々に描写した。中には著者の哲学と人格とが深く織り込まれているが、軽妙、洒脱、絢爛な筆致も特筆すべきものである。
    (アマゾンより)
    自己を語ることに寡黙であった漱石が「自分以外にあまり関係のない詰らぬ」事を書くとことわって書いた連作エッセー.記憶の底に沈んでいる体験や回想に光をあてることで静謐にして一種不思議な明るさに充ちた表現世界を生み出している.この作品は『こころ』のあと『道草』の前という漱石の晩年に書かれた. (解説・注 竹盛天雄)

  • 表題のエッセイは、作家の内省的な思考の結露だが、明治150年経た今でもうなってしまうほどの読みごたえはある。当時からめんどうくさい読者はいたのだな。

  • 高校時代に祖母(故人)から貰った本
    もともとは祖母の友人から祖母へ読んでみろ
    と送られた本だったらしいのだか興味がなかった
    らしく私に回ってきた
    祖母が昔勤めていた地方の名前が出てくるらしいが私にはさっぱりわからなかった。
    唯一現国の授業の時、夏目漱石の作品をいってみろと
    先生に言われ、思いだしていったところが役にたったところ。
    作品の中身の話で覚えているのは余所で死んだ猫を引き取りに来いと使いをやった家の主人は偉いと思う。

  • まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。猫が何処かで痛く噛まれた米噛を日に曝してあたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で私は一寸肱を曲げて、この縁側に一眠り眠る積である。

    無事冬休み突入です。連日徹夜して無事ファイナルを終え、飽和した眠気のあまりに天地万物に祝福されているような気分になり、もう意地でも起きないぞと安心して眠りにつく時、私は「硝子戸の中」最後の文章を思い出します。

    今学期はファイナル直前でも淡々と作業することができました。いつもこんな風に提出日に怯えず、心乱すもの無く、現時点で自分にできることを思いっきり楽しめれば良いのですが、どうしても不安で手が止まる時もあります。過去に味わった素晴しい睡眠はそんな時、何の助けにもなりません。前の時も乗り越えられた。足さえ止めなければ突破できる。そう言い聞かせてコツコツと片付けていくしかない。そうやって自分を信用できるのは心強いものです。

  • 漱石の私生活にスポットを当てた作品。
    随筆も素敵。品のあるおかしみがあってよい。
    作者漱石は詰らないとことわっているが、面白く読めた。

  • 最初は書斎の中での話なのかなと思いましたが、案外そうでもなかったです。有名、無名に関わらず色々な人が出てきましたが、短命な人もそれなりにいたのが少し悲しかったです。明治時代ということを考えると仕方のないことかもしれませんが。

  • 請求記号 913.6-NAT(上野文庫)
    https://opac.iuhw.ac.jp/Otawara/opac/Holding_list/detail?rgtn=096029
    日本を代表する文豪漱石。彼の命を奪うことになる宿痾の病である胃潰瘍で大吐血し人事不省に陥ったいわゆる「修善寺の大患」後、九死に一生を得て帰京し都内の胃腸病院の病床で書かれた作品です。誰しも病気にはなりたくないのですが、病気にでもならない限り一息つくことが許されない現代社会に生きる辛さが綴られています。後年弟子たちによって大患後に漱石が悟りの境地(則天去私)に入ったとされているのが偶像化の産物であったこともよくわかります。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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