代表的日本人 (岩波文庫 青 119-3)

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  • / ISBN・EAN: 9784003311936

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  • 本書はキリスト教徒である内村鑑三が外国人に向けて過去の代表的な日本人を紹介した和訳本。当時の外国人達はこれを読んで大変感銘を受けたそうだが、私自身も感動を覚えずにはいられない。対象の日本人は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、そして日蓮の五人。100年以上前に書かれたもので、史実と違うところがみられたが、五人とも日本人の精神的豊かさや魅力が余すところ無く伝わってきた。それぞれが持つバックグラウンドは全く違うが、精神性や人格において幾つかの共通点が見受けられる。それは、彼らには利己的な考えはなく、徳の精神というものをもって民衆というものをこよなく愛するということである。彼らに共通するこの考えこそ、今経済至上主義に陥っている現代に立ち返るべき人間の原点であるし、永遠に忘れてはいけない人類の指標だと感じた。
    この五人の中ですべて知っているという日本人はあまりいないのではないかと思う。アメリカのケネディ大統領が尊敬した上杉鷹山も、実はこの本が元。海外でも有名な本なので、ぜひ読んでほしいと思う。

  • 読書記録


    代表的日本人
    1908年に出版。新渡戸稲造の武士道、岡倉天心の茶の湯と並び明治日本の精神性を世界に発信した本。

    西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を代表的日本人として紹介。
    ただこの5人が主役ではなく、この5人をつき動かす「天」が主役と内村は書いている。
    人は天に導かれる時どれだけいきいきと働けるのか?生きていけるのか?が描かれている。
    この5人は天と出会っていきた人々。
    天とは鈴木大拙の「霊性」ともいえる。
    霊性とは心霊写真の霊とは違う。人間のうちにあって人間をこえる大いなるものとつながる場所が霊。その働きが霊性。
    人間の生涯はこの世だけのものではなく、死んだあとも持続する永遠の存在。

    西郷隆盛
    人間は何かをするのではなく、人間は天の道具となって何かをする、を体現した人。天が主で西郷は従。
    内村は使命は個には属さないとかんがえていた。使命は一個人で完成されることなく必ず受け継がれる。使命はわたしの使命ではなくわたしたちの使命である。
    天は大声ではかたってくれない。静かなる細い声でかたる。
    人は黙して天の声を聞く。これが祈りというのが西郷の考え方。だから彼はすごく寡黙な人であった。
    そして彼は預言をうける。予言と預言は違う。予言は未来をいいあてること、預言は神の言葉を預かること。
    西郷の生き方は自己実現とは違う。目標を持ちそれを実現せよという考えとは逆。やりたいことをやるのではなく、天の使命を預かりやる。
    西郷は常に弱者の側にいる人であり、だからこそ最後は弱者としての士族のそばにいて、明治から戦をきす幕引きをして終えた。

    上杉鷹山
    最初にやったことは現場(現地)を見ること。当時としては画期的。
    現場で考えることの意味は、しっかりと現実をみるのはもちろんのこと、目に見えないものもしっかりと感じ取れること。そして自ら出向くとく態度が大切。
    人材教育の基本は有徳の人を育てる。経済と道徳を分けない。富は常に徳の結果である。民を愛するならば結果として富を生み出す。
    「賢者は木を考えて実を得る。小人は実を考えて実を得ない。」
    鷹山は民を「自己に天から託された人々」と考えていた。天は民を愛している以上、鷹山も必ず愛さねばと考えていた。
    物質的に豊かであることと幸せは一致しない。しかし必ず両者が交わる地平がある。」そこを発見しつくっていくのが藩主の務めである。
    俗世と宗教を分断して金はなくてもいいとは考えない態度であった。
    鷹山は人々を率いる外的な立場と人々に使える内的な立場の双方をともに生きることのできた人であった。これが真のリーダー。
    短所の奥なる長所。欠点はそれを自覚していたら長所になる。リーダーは完全でなくていい。ただし欠点は自覚しなければいけない。上に立つ人間は自分も弱みがある以上、決して弱みをもつ下のものを裁いてはいけない。(評価はするがさばきはしない)
    鷹山が死んだ時、大地も泣いたといわれた。鷹山は大地を神聖なものとしてあつかったから(自分の死後も自然がそうあってほしいな)

    二宮尊徳
    農民と為政者サイドの二つを経験。
    本当の仕事は見えないところで行われてることを痛感した。彼は見る側、見られる側の双方を経験している。

    中江藤樹
    中江藤樹の弟子に熊沢蕃山、その弟子に藤田東湖、その弟子に西郷。
    中江藤樹のキーワードは「聖人」。これは大いなるものの声を「聞く」という意味。
    聖人になろうと心に定めまずその手前に君子になろうと。
    彼にとって勉強とは、知識を得ることではなく、真の人間になること、つまり君子になること、英語でいうジェントルマンになること。もともと日本では学とは知識をえることではなかった。これが内村の強い意志。
    学校とは知識を得る場ではなく、真の人間になるための場であるが主張。
    内村は教育を「肉体的、知的、霊的」の3つに整理。それぞれは身、心、霊にあたる。
    でそれは、身体、意識、魂に対応する。人間は肉体と心でけではなく霊によって超越(神や天)して神につながることのできる存在。
    内村にとって学校とは霊性を陶冶する場所。
    自分を評価するときに決して他とくらべてはいけない。自分自身がどうあるべきかを考えること。

    後世への最大遺物
    まず内村が後世に残せるものを列挙。
    金銭を蓄え残す。有効に使うものに受け継がれる。事業もまた残せるもの。
    財も事業も残せることのできない人はどうすればいいか?それぞれの思想を言葉にして残せば良い。叡智といえる。
    内村の人生の成功の定義は、財産や事業や地位の成功とは違う。彼の成功とはsucceed(持続する成功)。うちへの、人間を超越するものへの働きかけを持続することこそが成功と定義であり「生涯」の目指すべきことだ。
    かれはしかしながら最大の欠乏はLIFEであると。
    LIFEは3つで構成。自分と他者との関係、自分と歴史との関係、自分と超越との関係。
    歴史とは年表とかじゃなく亡くなった人たち、死者。
    また次に生まれる世代ともいえる。
    種である自分は大木になることを知らない。そしてその木が何であるかをしってるのはその果実を食べる者。人間の生涯は自分が何をしたかなどはわからないまますぎる。それでよいじゃないか。と内村は主張。
    木は自らを語らない。寡黙でいい。
    生きることはいずれ来る者のための準備。

    自分が何をなすか?ではなく他者から何を受け継ごうか?と考えて人生と世界を見る。そのとき私たちは自分たちに先人から、歴史から受け継がれた遺物の豊かさに気がつく。
    生きることは自分の願いを成就することではない。先人たちの生涯から受け継ぐ者を見出すことができるか?が大事だ。


    「その他のよかった箇所」
    強い人は、弱い人が相手でないときもっとも強い」
    文明とは正義のひろく行われることである、豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」  これが西郷の文明の定義
    西郷の月収が数百円であったころ、必要とする分は一五円で足り、残りは困っている友人ならだれにでも与えられまし
    児孫のために、美田を買わず
    西郷は口論を嫌ったので、できるだけ、それを避けていました。
    天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」
    命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」
    人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」
    正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。
    地は高く、山は深く 夜は静かに 人声は聞こえず ただ空をみつめるのみ
    小人は自分を利するを目的とする。君子は民を利するを目的とする。前者は利己をはかってほろびる。後者は公の精神に立って栄える。
    ほどこし散らして、かえりて増す者あり、与うべきものを惜しみて、かえりて貧しきにいたる者あり*」
    自分に力と富とが与えられているわけ
    「わずかな資金でも、長い間つづけるならば巨額に達する」と言います。これを鷹山が五〇年つづけたところ、自分の始めた数千本の桑株は、しだいに株分けされて、全領内に植える余地がなくなりました。
    東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない
    富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみます。
    ゆえに賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない」。
    産業改革の目的の中心に、家臣を有徳な人間に育てることを置いたところです。
    「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる*」
    部下の評価にあたっては、自分自身に用いたのと同じように、動機の誠実さで判断しました。尊徳からみて、最良の働き者は、もっとも多くの仕事をする者でなく、もっとも高い動機で働く者でした。
    利益をあげることだけが人生の目的ではない。それは、正直で、正しい道、人の道に従うことである、とおっしゃいます。
    徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善をすると一悪が去る。
    道と法とは別で
    法は、時代の必要にかなうように作られたものである。
    日はまったくひとりで始めたのです!
    世が日を受け入れはじめるや、日は世を去ったのであります。

  • 若干脚色部分があるにしても読みごたえはあった。
    人物評については多大に評価している点があり、業績と一致しているのかは不明瞭だと感じる。

  • 恐るべし明治時代、恐るべし博識、教養

  • これまで読んだことがありませんでしたが、比較的近年の新訳で読みやすい。内村鑑三がどうしてこの5人を取り上げたのか、何を伝えたかったのか、を考えないといけませんね。

  • キリスト教的視点は、東洋にもあることを示す。
    天からの「命」によって生きる人々を欧米に紹介した本。

  • 日本の偉人5名(西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人)を紹介することにより、日本人の素晴らしさを外国の人に理解していただこうとした作品。

  • 藤原正彦先生の、名著講義で、紹介されていました。明治時代の知識人の凄さを見せつけられます。中学生高校生から読んでもらいたい本です。

  • 西郷隆盛や上杉鷹山など、歴史上の政治家や実業家や宗教家で、近代以降の日本に大きな影響を与えた5人の実績を賞賛した伝記。名前だけ知っていても、何を成し遂げたかよく知らない人が多いと痛感した。
    これの原書が日本人によって英語で書かれたというのがすごい。海外での評価は様々のようだが、素晴らしいと思った。翻訳もよい。
    意外に思えたのは、日蓮上人だろうか。どういう人物か何をしたのかほとんど知らなかったので、日本での仏教の広がりの歴史とともに勉強になった。
    二宮金次郎も、あの薪を背負って本を読む姿は有名だが、単に寸暇を惜しむ勉強家というわけではない。今の時代でいうと、経営コンサルタントのようなものらしい。江戸の町に金融システムを創り上げたという。
    日本人なら読んで損はない一冊。

  • 日本の偉人をキリスト教的な価値観で解釈し、国内外問わない普遍的な価値を主張した点は今読んでも新鮮。翻訳も読みやすい。

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著者プロフィール

1861年生まれ、1930年没。思想家。父は高崎藩士。札幌農学校卒業後、農商務省等を経て米国へ留学。帰国後の明治23年(1890)第一高等中学校嘱託教員となる。24年教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され退職。以後著述を中心に活動した。33年『聖書之研究』を創刊し、聖書研究を柱に既存の教派によらない無教会主義を唱える。日露戦争時には非戦論を主張した。主な著作は『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』など。
佐藤優
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。現在は、執筆活動に取り組む。著書に『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。おもな著書に『国家論』(NHKブックス)、『私のマルクス』(文藝春秋)、『世界史の極意』『大国の掟』『国語ゼミ』(NHK出版新書)など。『十五の夏』(幻冬舎)で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。ほかにも著書多数。

「2021年 『人生、何を成したかよりどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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