物理学とは何だろうか〈下〉 (岩波新書 黄版 86)

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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004200864

作品紹介・あらすじ

本書の完成を前に著者は逝去された。遺稿となった本論に加え、本書の原型である講演「科学と文明」を収める。上巻を承けて、近代原子論の成立から、分子運動をめぐる理論の発展をたどり二十世紀の入口にまで至る。さらに講演では、現代の科学批判のなかで、物理学の占める位置と進むべき方向を説得的に論じる。

感想・レビュー・書評

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  • (2015.11.30読了)(2007.03.10購入)(1999.04.05第36刷)
    【ノーベル物理学賞】1965年
    この本の上巻を出版して、この下巻を執筆している途中の1979年7月8日に著者は亡くなられたとのことです。この本が絶筆ということになります。
    第Ⅲ章はもっと手直ししたかったようですし、それに続く章が書かれないまま終わってしまいました。第Ⅲ章の後には、この本を書くきっかけになったという、講演の記録「科学と文明」が収録されています。
    第三章では、熱力学の話をしたかったようなのですが、残念ながらまったく理解できませんでした。それだけ物理学者も、四苦八苦したのだろうと思います。

    【目次】
    第Ⅲ章
    1 近代原子論の成立
      ドルトンの原子論
      気体の法則、化学反応の法則
    2 熱と分子
      熱のにない手は何か
      熱学的な量と力学的な量
      分子運動の無秩序性
    3 熱の分子運動論完成の苦しみ
      マックスウェルの統計の手法
      エントロピーの力学的把握
      ロシュミットの疑義
      力学法則と確立
      平均延べ時間(滞在時間)
      エルゴード性を支えとして
      ロシュミットの疑問の解明
      物理学生のための補足
      二十世紀への入口
    引用出典
    科学と文明(岩波市民講座・講演)
    解説  松井巻之助

    ●フィロソフィー(172頁)
    フィロソフィーは哲学と訳しているんですが、語源から言いますと知識を愛するということですね。フィルというのは愛するということなんだそうで、例えば音楽でフィルハーモニーというのがありますが、あれは調和を愛するという意味なんだそうです。ソフィアというのは知恵とか知識とかいうことです。
    ●色彩論(180頁)
    ニュートンが発見しましたのは、白色をプリズムで分解すると七色のスペクトルが出る、従って虹の七つの色の合成が白い色である、という考え方です。ゲーテはこれに非常に反対しまして、そういうことは考えられないということで、彼自身いろんな実験をやって、ニュートンの対抗する光の理論をつくろうと、『色彩論』という厖大な著述をしてニュートンを批判しています。
    ●朝永さんの執筆の意図(232頁)
    「素材の組み換えを行い、多くの天才たちの考え方の秘密や問題の立て方を明らかにしようと努力した」
    この本の上巻におけるケプラーのいわゆる「ケプラーの法則」に到達する過程、カルノーの「カルノー・サイクル」、クラウジウスの「エントロピー」という重要な概念導入の経路などにおけるこれらの天才たちの思考の進め方の追及、特に下巻におけるマックスウェルとボルツマンという悲劇的な死を迎える二人の天才物理学者の熱の分子運動論確立への道程にたいする先生の執拗ともいえる追及は圧巻です。

    ☆関連図書(既読)
    「鏡の中の物理学」朝永振一郎著、講談社学術文庫、1976.06.30
    「物理学とは何だろうか(上)」朝永振一郎著、岩波新書、1979.05.21
    (2016年5月20日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    本書の完成を前に著者は逝去された。遺稿となった本論に加え、本書の原型である講演「科学と文明」を収める。上巻を承けて、近代原子論の成立から、分子運動をめぐる理論の発展をたどり二十世紀の入口にまで至る。さらに講演では、現代の科学批判のなかで、物理学の占める位置と進むべき方向を説得的に論じる。

  • 数学はもともと好きでした。理科は得意分野と苦手分野がありました。中3の頃だったと思います。クォークという雑誌で神岡鉱山における陽子崩壊の実験について読みました。いまでいうスーパーカミオカンデの初期のものです。そのころから物理学、とくに素粒子論がかっこういいと思いだしました。大学では物理学を勉強する、そう決めました。高校2年生の夏のことです。朝永先生の本は最初に「物理学読本」を読み、それから「量子力学的世界像」を読みました。その中にある「光子の裁判」が印象的でした。ノーベル物理学賞をとるような方が、ユニークな文章を書くものだなあと感じた覚えがあります。そして、大学の合格祝いに、箱入りの著作集12冊を一括購入してもらいました。その中の第7巻が「物理学とは何だろうか」です。いまでも岩波新書で気軽に手に入れることができます。朝永先生はそうとう元の論文にあたって、その当時、執筆者がどういう想いで書いていたのかを探られていたようです。しかし、これは私が解説を読んで気づかされたことで、はじめて読んだときも再読中にも、朝永先生がこの本の執筆にどれくらいの時間をかけられたのか、どんな想いであったのか、そこまで考えをめぐらすことはできませんでした。実は本書は未完なのです。先生は本書執筆中に病に倒れます。最終節は病室にて口述となっています。内容的にはケプラー、ガリレオ、ニュートンから始まって、ワットなどによる科学技術の進歩からカルノー、クラウジウス、トムソン(ケルヴィン、絶対温度を提唱した人です)など熱力学への影響、そして分子運動論に至り、ボルツマンの苦悩・自死あたりまでとなっています。ファラデーやマックスウエルなどの名前も出てはいましたが、電磁気学についての詳しい記述はないし、ましてやアインシュタインはブラウン運動の話などでいくらか出てきますが、ボーアやハイゼンベルグは出て来ないし、量子力学や相対性理論誕生秘話など一番おもしろいところが全くありません。おそらく構想はあったでしょうし、本当いうと、そこらあたりがきっと同時代を生きて来られた朝永先生としては一番書きたかったことなのではないかと思います。私自身とても残念ですし、先生も悔しかったことでしょう。おそらく後半で先生が書こうとされていた内容が、市民向けの講演で話された「科学と文明」の中にいくらか表れているのだと思います。新書下巻に付されています。そこに出てくるエピソードから。ノーベル物理学賞・化学賞のメダルにある絵の話。「片っ方にはいうまでもなくノーベルの肖像です。片面には二人の女性が立っている絵が描いてある。真ん中に一人の女性が立っていて、それはベールをかぶってるわけです。字が刻んでありまして「ナツーラ」というラテン語が書いてあります。ナツーラは英語ではネイチャーで、自然ということです。その横にもう一人女性がいて、ベールをもちあげて顔をのぞいてる。この女性の横には「スキエンチア」と書いてある。スキエンチアとはサイエンス、科学です。これは何を意味するかといいますと、ナツーラすなわち自然の女神はベールをかぶっていて、なかなかほんとうの素顔を見せたがらない。サイエンスはそのベールをまくって素顔を見る。科学はそういうものだということを象徴しているのが物理学賞、あるいは化学賞のメダルになっているわけです。」中3で勉強する「慣性の法則」これはガリレオが実験(どちらかというと思考実験)で確かめるのですが、「物体に力が働かなければ、止まっているものは止まり続ける。動いているものは同じ速度で動き続ける。」というものです。実際の感覚とはちょっと違うわけです。止まっているものが止まり続けるのはいいとして、動いているものに力を加えないのに同じ速さで動き続けるとはどういうことか。実は、物体には空気の抵抗や摩擦力という力が働いている。だから減速し、最終的には止まる。しかし、力が働かないならば同じ速度で動き続けるのです。こういうことはただぼんやり眺めていただけでは見つけることはできません。ありのままの自然を見るには、なんらか実験などをして自然に働きかけなければいけない。ある意味ではこれは自然に対する冒とくなのかもしれないのです。こういうところまで先生は話を進めています。実はここに至る過程で、先生の思いの中には原子爆弾など、物理学者が犯してきた過ちがあったはずなのです。そんな中で、物理学の新しい動きに注目されています。それは、たとえば天気予報だったり地震の予知だったり、いわゆる地球物理学などの話です。いくらかの実験はもちろん必要なわけですが、複雑な現象をありのまま見つめようとするその姿勢が大切だとおっしゃっています。つまり自然の女神のベールをめくって顔を見るというようなぶきっちょなことをするのではなく、ベールをそのままにしながら自然を知るという方法が可能だということです。こういうことを実は40年前にすでに言われていたわけです。そしていま実際に、そういう分野が複雑系の科学として非常に重要視されています。実は私自身本書を再読して、朝永先生がここまで書いていらっしゃったのだということにはじめて気づきました。学生のころ読んだときにはそこまで知識もなかったし、何とも思わずに読んでいたのだと思います。逆に、熱力学あたりでは数式に全くついていけなくなっていて、読むのに苦労しました。学生時代は理解していたのだろうか・・・。小中学生の皆さんには、序章から第Ⅰ章とそして講演会の記録の最終章を読まれることをおすすめします。高校で物理の勉強を始めたら、Ⅱ章、Ⅲ章も読んでみてください。
    最後に、本書からは離れますが、朝永先生の十八番の笑い話。ロンドンだったかに向かう列車のキップを買おうとして、「トゥ ロンドン」と言うと2枚キップが出てきた。そこで「フォー ロンドン」と言い換えると4枚キップが出てきた。どうしようかと思って「エート」と言ったら8枚キップが出てきた。おあとがよろしいようで・・・

  • 執筆中に亡くなったため未完なのがつくづく残念。朝永振一郎の書く量子力学を読みたかった。

  • 統計力学がメインで、ホルツマンの業績に詳しい。エントロピーの確率的表現のしくみの大枠を捉えることができる。二〇世紀の部分は病室での口述で、絶筆である。岩波の市民講座を収めた「科学と文明」の章では、核開発競争や巨大企業の自然破壊の問題に、物理学の理論の普遍性と人間相互の恐怖心が関係していることを指摘している。科学史についても、魔術との混合・宗教との対立と和解・技術との結合・科学の謳歌、そして原爆による原罪の認識など整理された展開でなるほどと思う。ノーベル物理学賞のメダルには、知識(ソフィア)が自然(ナトゥーラ)のヴェールをめくりあげ素顔をみている様が描かれているそうだが、著者は科学には物理学の実験にみられるようなヴェールをまくりあげる方法だけでなく、自然の女神じしんに質問をする地球科学のような方法もあることを指摘しており、ありのままの自然をみる方法論が将来、優位になる可能性を指摘している。エコロジーの隆盛がみられる昨今の科学をめぐる現状を予測している。

  • 本書を読んで良かったと思えたことは、物理学者が偉大な発見をするまでの経緯を知ることができたことである。分子論について論じられていたが、具体的に得た知見は以下のとおりである。?熱力学第二法則の数式化の苦労(エントロピーの概念の導入まで)を知った。 ?分子論の展開と熱の正体の解明(仮説を導入しその当否を実験によって検証する手法)に至る苦労を把握できた。本書を読むことで、物理学者の偉大さと同時に、その人の業績の積み重ねが今の物理学を作っているのだなということを垣間見ることができた。朝永博士の急逝によって本書が未完となったことは非常に残念だった。しかし朝永博士は他にも多くの著作を遺している。それらを今後も読んでいきたいと思った。

  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN00741898

  • ◇第III章
    ・1 近代原子論の成立
    ・2 熱と分子
    ・3 熱の分子運動論完成の苦しみ

    ・引用出典

    ◇「科学と文明」

    ・解説 松井巻之助

  • 物理学学生のための説明が意外と多い。最後のほうは7項目もある。

  • #科学道100冊/科学道クラシックス

    金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18333

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN00741898

  • 下巻は主に力学と熱学についてである。

    高校の物理、特に熱力学の分野では圧力とは容器内の分子が容器の壁面に衝突している力の総和である、ということを学ぶ。実際に計算によって圧力を求めたりする。

    その際に、容器内の分子は平均的な速度Vを持って、とか壁面には等確率で分子が衝突する、というような仮定をおいて計算する。
    実際に、このような仮定をおくと観測値とよく合うけれど、よく考えると力学に確率的な考えを仮定している。

    しかし、である。力学に確率の仮定をおくことの合理性は一体何処に依るのか。実は起これは1900年前後で物理学者の間ではかなりの論争になったらしい。
    Boltzmannがこの理論の発展に大きく寄与したのであるがこの論争で?精神的に不安定になりついには自殺してしまったようだ。

    高校物理ではある程度当たり前だと思っていたが事項がこんなに精緻に議論され、今やどの理系の高校生も学ぶ分野になった。
    我々はそうとう精緻な土台の上で物理を学んでいる、ということを改めて実感した。これが、物理学か、と。

    朝永振一郎はNovel物理学賞を受賞した当代一流の物理学者である。この人が物理学とは何かを語っているので、真にも学べない、ということはないと思う。

  • 請求記号 420.2/To 62

  • NDC: 420.2

  • 科学道100冊 クラッシックス
    【所在】3F文庫・新書 岩波新書 黄版 86
    【OPACへのリンク】
     https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/book/14473

  • サイエンス

  • 「○○とは何だろうか」というのは、根源的な問いだと思う。

    ○○には何が入っても構わない。
    ○○、という存在そのものについて問うという行為は、たぶん、人という存在にとって、避けては通れない問題なのではないかと思う。
    その問いを発せずに成長した人の数は、かなり少ないものになる事は間違いないだろう。
    しかし、その問いに対して、満足な答えを出すことが出来た人の数も、かなり少ない。
    その数は、問いそのものを発しなかった人の数と同数か、もしくはより少ない数に留まっている可能性が高いと思う。
    なぜ答えを導き出すことが出来ないのか。その理由は、大きく分けて二つ。
    「考え続ける事が出来ない」こと。そして「考えるための下地が足りない」こと。

    考え続ける事は難しい。「○○」について考え続けるためには、常にその「○○」に接し続けていかなければならないのではないかと思う。
    だからこそ、物理学に接し続け、「物理学とは何か」を考え続けてきた朝永博士が残して下さった本書は、とても貴重な文献となる。

    物理学とは何か。
    そして、科学とは何か。

    科学とは、道具である。
    それは、良いものでも、悪いものでもない。
    それは、それだけでは何の色も付いていない、単なる道具に過ぎない。
    道具は、使うものによって価値を決定され、その使われ方によって性向が決められる。
    これは、過去の長きに渡って言われ続けてきたことでもある。
    <blockquote>科学というものは二つの面を持っている</blockquote>と「科学と文明」に記されている。
    「自然を痛めつけて」見つける科学と、「自然を痛めつけずに」見つける科学。
    後者のために、前者から生まれた様々な技術が必要となる、と。

    そしてこの構図は、そのまま「科学と文明」という構図に繋がっていく。
    科学は文明によって発展し、文明は科学によって推し進められる。
    この二つは、相補う関係にある。

    <blockquote>こんにちわれわれの生活のいたるところに物理学はしみこんでいます。</blockquote>という文章から本書は始まる。
    現在の生活において、その動作の仕組みを正確に把握できているものは、どれくらいあるだろう。
    誰かが作った便利な道具を、ただ便利だからといって使う。
    それは、高度に洗練された社会活動そのものだと言っても過言ではないと思う。
    しかし、それは極めて危険なことなのでは無いかと思う。
    洗練とは、完成されている、という事でもあるのだから。

    「なぜ」という問いを忘れてはいけないと思う。
    「○○とは何だろうか」という思索を止めてはいけないと思う。



    以上が本書を読んだ感想なのだけど、ずいぶん離れちゃったな、と。
    まあ、そんな感じで。

  • ドルトンの原子論から熱の分子運動論の確立まで。

  • 下巻はドルトン、マックスウェル、ボルツマンと解説して原子・分子論から統計力学の発展までを説明する。これは朝永振一郎の遺稿として、ここまでで未完となっている。最後に、朝永の講演会の内容を興した「科学と文明」という、人類と科学技術文明の付き合い方に関する考察が含まれている。

  • 最後の方にある、極限を探求する科学から日常の自然の中に法則を見つける科学にシフトしてもいい、というような話は興味深いと思った。

  • 未完だったのか。惜しいが、物理学とは何か、といことは、いかんなく書かれていると思う。統計物理は疎いが、ボルツマンの科学する精神には、感じるものがあった。

  • 我々が勉強する物理学は、これまでの数多くの研究者によって築き上げられたものである。
    しかしながら、教科書にはその結果しか示されておらず、それらを導くために研究者がどれだけ苦労し、試行錯誤したかを理解することは難しい。
    本書を読めば、有名な式の導出の苦労を研究者とともに味わうことができる。
    (化学・物理化学系教員)

    理数理 トモナ||2||6B 20003260

  • 2013/05/06-2013/05/10
    ☆3~4?

    東大駒場図書館KOMEDコーナーにあった本。

    著者が執筆途中に逝去されたため、この本は未完となっている。よって下巻には、熱力学の歴史から量子力学めいた所に入るか入らないかの所で終わっており、付録として過去の朝永先生のある講演の記録が載せられている。

    科学史から物理学を考えてみたい人にはお勧め。
    その他のレビューは上巻のレビューに書いてしまったのでここでは割愛する。

  • 【推薦文】
    この本は、物理学がどのように発展してきたかということと物理学の重要な概念を簡単に説明した名著である。内容は天体の運動といった力学やエントロピーといった熱力学・統計力学の話題が中心である。文系の人や物理学を専攻としない人でも気楽に読め、物理学とはどういう学問か雰囲気を味わうことができるだろう。
    (推薦者:知能システム科学専攻 M2)

    【配架場所】
    大岡山: B1F-一般図書 420.2/To/2, B1F-文庫・新書 081/Ic/86
    すずかけ台: 3F-一般図書 420.2/To/2

  • 物理学とは何か。
    残念ながら、下巻執筆中に著者が急逝してしまい、未完に終わっている。
    物理学に則った態度、科学を扱う態度、そんなメタ学問的視点が重視されており、物理学、ひいては科学に携わる人間の必読書といっても過言ではない。

  • 本書の完成前に著者が病気により逝去されたため、未完となった。上巻に続く内容として、近代原子論と熱の分子運動論に関する解説がなされており、この三章に加え、本書上下巻の原型となった講演、「科学と文明」が収められた形となっている。
    朝永先生は晩年、熱現象の物理学への組み込みとそれに関わる分子運動論に熱心に取り組まれたという話であるが、これらを通して、物理学とは何かという事に対し、納得のいく解答を得ようと努力されたのではないか。
    科学と文明においては、物理学の原罪について述べられている事が興味深い。知ってしまった事はもう取り消せない。現在の原発のような問題も、原爆の開発と同様に人間の本能に根ざす解決の難しい問題であろう。物理学の手法は自然を人為的に変える事によってベールの向こう側にあるものを見るのであるが、これからはこうした方法ではなく、自然をそのままに観察する事で自然法則を見出すような手法を持つ自然科学にある程度、席を譲る事になるだろうと述べている。これを読んで、寺田の物理学を連想した。要素還元法もやはり限界はあり、複雑なものを複雑なまま理解する手法を見出すのも必要になるのではないか。
    物理とは何かという問題を通して、著者が提起された現代科学と人間社会の関わりについて、今こそ一人一人が考える時が来ていると感じた。

  • 中盤における病室での口述部分を読んで始めて本書が未完の遺作であることを知る。上巻ではニュートン力学から熱力学、そして下巻での熱の分子運動論の完成で本書は終わるのだが、本当はこの延長線上で量子力学について語るつもりだったのではないだろうか。とはいえ、そこに至る過程において多くの物理学者が実験と観測、互いの論争を交わしながら認識を少しずつ進めていきやがて一貫した公式を見つけ出していこうとする姿勢はやはり科学として一つのあるべき姿だと思うし、その真摯な態度というのを何より伝えたかったのではないだろうかと思う。

  • 科学の成り立ちを学べるのは面白い。
    ただし個別の論点は物理の知識がなければ少し難しい。

  • ※上下巻同じレビューです

    物理学とは何か、ということをガリレオ、ケプラー、ニュートンあたりから始め、20世紀初頭の物理学あたりまでを科学史的な感じで語っています。
    バックグラウンドにある思想や哲学、社会状況にまで言及しているところが面白いです。

    ただ、物理学とは何だろうか、と言っておきながら、十全に理解するためには、そもそもある程度物理学を知っている必要があると思いました(笑)
    だいたい、大学教養レベルくらいの物理かな?

  • ボルツマンが分子論の立場に立って純粋に力学的な理論からどういうふうに熱学的な量を導くか非常に苦しんでいた。分子運動のエルゴード性については理解に自信がない。相空間で等エネルギー面上の運動について平均を取ることで、「長期のべ時間平均」を得る計算はミクロカノニカル分布を使った計算と同じだ。後者の計算はふつう等重率の原理から出てくるものでエルゴード定理とは関係がないとされる。ボルツマンが統計力学の基礎付けについて苦心したことというのは的外れだったのだろうか??
    ボルツマンの良き理解者だったマクスウェルは早世し、信奉者だったプランクは一足遅かった(ボルツマンはロシュミットやマッハの厳しい批判をうけて最後はうつ病で自殺してしまった) 結局彼の理論は実験的な裏付けが得られなかった。著者は完全な理論はそれ自体が正しいかどうかテストする実験を提唱できるものだ、みたいなことを言ってて興味深い。
    ボルツマンの理論について言えば、アインシュタインとかスモルコフスキイとかがブラウン運動について分子運動論に実験的な裏付けを与えたそうですが、それはちょうど彼の死のころのことだったそうだ。

  •  著者の急逝によって、この本にどのような結末が用意されていたのかは永遠の謎となってしまった。しかしそれでも、この本を読んでおく価値はあると思う。
     まずは上巻から読んでみると良いと思います。

     化学実験の発展により、化合物の生成比が整数であることから、物質の構成要素が存在するのではないかと考えられるようになる。そして、気体の研究から分子の存在が明らかになってくる。この分子が、熱の起源として注目され始めるのである。
     気体の分子運動論では、熱は分子の運動エネルギーであり、圧力は分子が壁に衝突する際の力であると考えられる。つまり、熱学における現象は、初めの条件を与えれば、分子の運動方程式を解くことにより明らかにできることになる。しかし、ここで問題になるのが分子の数である。空っぽの牛乳パックの中に入っている空気でさえ、0が20個以上並ぶような膨大な数の分子を含んでいるわけで、分子1個1個の運動方程式を解くなどということは、一生かかっても出来るわけがないのである。

     ここで、新たな着想を物理に導入したのがボルツマンである。そもそも、熱の問題を解くのに分子1個1個を個別に考える必要はないのである。なぜなら、温度計にしろ、圧力計にしろ、分子Aがぶつかったから圧力を受けた、などと感じるわけではなく、ともかく何かがいっぱいぶつかったから圧力を受けるわけである。そこでボルツマンは、空間を見えない小さな箱に分けて考えることにした。同様に、分子の速度もある間隔ずつのグループに分けた。例えば、秒速280~290m/sのグループや、秒速290~300m/sのグループという具合である。

     分子は自由に動き回るので、その箱から自由に出入りする。しかし、実験的に同じ温度では気体は同じエネルギー持っているので、この保存則も満たさなければならない。そこで、ある小さな箱の中にいる分子は、入れ替わったりはするけれども、速度のグループの割合としては変わらないという仮定をしたのである。例えるならば、あるアパートの201号室には60代の田中さんと40代の鈴木さんが住んでいたのだが、いつの間にか入れ替わって、60代の加藤さんと40代の佐藤さんが住むようになったという感じである。住む人は変わったが、201号室は60代1人と40代1人という構成は変わっていない。このような仮定を置くことによって、ある温度において分子がどのくらいの速度でどこにいるかという分布を考えれば、真面目に運動方程式を解かなくとも、物事を説明することができるようになったのである。

     しかし、このようなある種突飛な考えが簡単に受け入れられるわけもなく、おそらくもともと神経質だったボルツマンは、マックスウェルなど援護射撃をしてくれる物理学者もいたのだけれど、マッハなどにボロクソに言われ、鬱になり、自殺してしまうのである。それはさておき、物理学は、自然現象を説明する法則を見出すという方法に加えて、仮定を置き、それを確かめる実験を行うことにより証明するという方法を得たことになる。

     本書は、著者の他界により、ここで未完のままに終わっている。しかし、おそらくはこの後に続くはずだった議論を予期させるものとして、「科学と文明」という講演の議事録が掲載されている。
     物理学の扱う対象は自然現象であり、それ自体に善悪の区別はないが、物理学を扱う者は人間である。前述したボルツマンとマッハの関係ではないが、最終的には正しい主張をする者も、中途では無理解や中傷、攻撃を受けることもある。ナチスが核を持つのでは、という恐怖は、現実に原子爆弾を生み出してしまう。著者がこれらの事実を受け止め、どのように考えていたのかを知る方法は、もはや永遠にないのである。

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