日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313335

感想・レビュー・書評

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  • 原研哉氏のエッセイ連載をまとめたもの。
    デザイン、ものづくりで日本を語るとき、表現はどうしても保守っぽい雰囲気になるんだな、と思った。
    それとも、敢えて、国の文化方面にウケの良さそうなネタにしているのか。
    それでも大陸や西洋のいい部分、参考になるところはきっちり紹介してあるし、日本礼賛部分も当然著者の広い経験と実績、深い知識に基づくもの。
    日本の文化を守る、伝えるというのはこうあるべきと思った。

  • デザインについて、車や家、素材など様々な視点から未来を描いたもの・

    ・富を所有するだけでは幸せになれない。
    手にしているものを適切に運用する文化の質に関与する知恵があってはじめて人は充足し、幸せになれる。

    ・良質な旅館に泊まると、感受性の感度が数ランクあがったように感じる。それは空間への気配りが行きとどいているために安心して身も心も開放できるから。しつらいや調度の基本はものを少なく配すること。
    何もない簡素な空間にあってこそ畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰の風情にそそられる。

  • クルマは「ドライブ」系から「モバイル」系へ。
    移動は個人から都市インフラへ。
     道路の白線という約束を頼りに運転の全てを委ねていた時代は過ぎ去るが、
     根源的な欲望としてのクルマも趣味性の高い乗り物として残る。
     
    「シンプル」が生まれたのは150年前。
     世界が「力」によって統治され、せめぎあって流動性をつくっていた時代には、
     人工の複雑さが威嚇の象徴だった。
     近代化という名のもとに、自由に生きることを基本に再編され、
     物は「力」の象徴である必要がなくなった。

    家を輸出する。
     テクノロジーにより家が制御され始めている。
     テレビもスピーカーも照明も壁と一体化していく。床がセンサーになる。
     靴を脱いで入る住環境は体と環境の新たな対話性を生み出す。

    世界で「評価される」より「機能する」
     日本独自の情報の流れを主体的に生み出していくこと。

  • 原研哉の最近の仕事、考えてること、これからやりたいこと。岩波の「図書」に連載されていた内容、ということで、「デザインのデザイン」よりは軽い印象。自身の概念や考えてることをここ最近はどう落とし込んできたか、みたいな。
    僕もその一人やけど、新書でなくて作品集ぐらいのレベルで図版もたくさん交えつつ、がっつり原研哉と向き合いたいって人は多いんではなかろうか。
    自らコミュニケーション・デザインが専門、というだけあって、相変わらず「モノが書けるデザイナー」さんだなぁと思う。

  • 新刊書なのにこれだけの人数が登録し、レビューも多い。それだけ期待された新書なのだろうか。それともこのデザイナーが有名なのだろうか。
    「安直にファッションという既存産業の仕組みにすり寄ってはいけない」
    西洋・アメリカに追従するのではなく・・・という視点が必要なのでしょう。今こそ、日本の「未来」のデザインを政府や行政がしっかり持ってほしいものだ。
    評価されることを期待するのではなく、主体性を持つことなのだ。

  • 建築もデザインも、仕事はおおむねコンペの連続であるから、これくらいではへこたれない。コンペに勝てなくても、全力で考えた思考の成果はアイデアの貯金として蓄積されていく。それがたまればたまるほど、クリエイターとしての潜在力や爆発力は増していくのである。

    [車が嗜好品から当たり前のものになり、実用性を優先して設計された似たような四角いデザインばかりになるのについて]
    これを寂しいと感じるか、ものに対するふさわしい認識が成熟したと見るかは難しいところだが、大事なことは、そこに他の文化圏にはないオリジナリティが生まれている点である。

    日本の車でユニークなもので共通意見
    ダイハツのタント

    ガソリンエンジンから電気自動車
    ドライブ系→モバイル系
    行くという能動性・主体性、エンジンを制御するという運転の美学
    →スムーズに移動するという合理性、トランスポートを最短、最少エネルギーで実現したい冷静な意欲

    若者の一人用マシンや歩行を好むベクトルも

    ドライブ/モバイル
    都市/自然
    パブリック/パーソナル

    宗教や文学、神話ではなく
    物の表面に偉容をなす細部を付与するための装飾紋様が動物化したと考えるべきである。

    阿弥とは、やや乱暴にたとえるなら、優れた技能や目利きの名称を付す「拡張子」のようなものだ。

    …長く使う構造体スケルトンと、可変性のある内装インフィルを分けて考え、良質なスケルトンを吟味して入手し、インフィルを自分の暮らしに合わせて徹底改修すればいいのである。

    伝統的な工芸品の再興に対して
    …問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらを魅力的に味わう暮らしをいかに再興できるかである。

    スピーカーは音響空間へ
    テレビは壁の中に埋まるか、より存在を主張するか
    照明器具は天井化
    環境は静かに人や身体と交感を始めるのだ。

    石元泰博
    モホリ・ナギ『ヴィジョン・イン・モーション』
    ゲオルグ・ケペシュ『視覚言語』

    働きアリと怠けるアリ

  • おもしろいと興味を持ってどんどん読み進められる部分と
    退屈で眠たくて、全く進まないような部分があって
    その差がものすごかったです

    だけどデザインという概念を通して日本の未来を考える良い機会になったし
    改めて日本のこれまで育んできた文化や未だ潜んでいるポテンシャルに誇りを持って、しかしおごることなく
    未来に向かって進んでいきたいなという気持ちになりました

  • デザインという「モノ」だけでなく、何のためにという自分や相手の主体性に寄り添わないと、暮らしも文化も熟成しない。
    西洋と日本のシンプルの違いがわかりやすかった。

  • 世界はデザインで溢れている。紙が四角いのもボールが丸いのもデザインだ。四角いから省スペースにたくさん書けるし、丸いから転がっていく。デザインは人の行為の本質に寄り添う必要があるが、日本の生活に根付いたデザインを探っていく。

    ダイハツの「タント」や日産の「キューブ」は、ヨーロッパの車と違い、四角いデザインだ。欧州ルーツの車は、空気抵抗を軽減するため、四方のウインドウは斜めに傾いている。したがって、タントやキューブは、遅そうに見える。しかし、空力特性を捨てることにより居住性が優先され、構造が安定するので前後のドアの間にある側面の支柱も不要になった。

    現在、「シンプル」という言葉は、良い意味として捉えられているが、その概念が生まれたのは150年ほど前のことだという。シンプルを意識するためには、それとは逆の複雑さが存在しなければならない。昔から、物には権力の象徴という側面がある。椅子や青銅器、建築物にしても、所有者の権力や財力を示すために、きらびやかで複雑なデザインになっていった。しかし、近代社会の到来によって、価値の基準は、人が自由に生きることを基本に再編され、国は人々が生き生きと暮らすための仕組みを支えるサービスの一環となった。これによって、本来の機能を最短距離で発揮させようとする合理主義的な考え方が主流となり、デザインもシンプルなものが好まれるようになった。
    日本の室町時代の書院造は、時代を先駆けてシンプルさを追求していたように映るが、筆者によれば、それはシンプルさとは違う「エンプティネス」(=空っぽ)だという。何もないことによって豊かな想像力が喚起される。そういう美しさだ。

    他方で、現代の日本の家庭を見ると、(ボクも含め)ごちゃごちゃと物に溢れている家も多い。ものが少ないということは、それだけで美しい。もったいない精神を発揮するのではなく、エンプティネスを重視するのも良いかもしれない。

  • 日本を代表するデザイナー・原研哉による日本のデザインの魅力・可能性に迫った一冊。

    プロダクトやファッションから自動車、素材や観光業まで、カテゴリーを超えた話が200ページ強に詰まっていて、読み応えがあった。特に、日本には昔「阿弥」と呼ばれる茶道や華道、能から空間の演出まで手がけた、今でいうデザイナーのような人がいた、という話が面白かった。華美な装飾や複雑さがなく簡素さ、潔さ、モノの本質を突き詰めることを是とする美意識が日本人の中に宿っている、と言われている一方で、街の景観など俯瞰した時の美しさには鈍感だ、という話にはハッとさせられた。
     
    今まで以上に文化や価値観が世界中から混ざり、人種や国籍以上に個性が問われる時代だからこそ、「日本人」や「日本の文化」という観点から日本特有のセンスについて改めて考えさせられた。

著者プロフィール

グラフィック・デザイナー。1958年岡山市生まれ。武蔵野美術大学教授。日本デザインセンター代表。
文化は本質的にローカルなものととらえつつ、日本を資源に世界の文脈に向き合うデザインを展開している。広告、商品、展覧会、空間など、多様なメディアで活動。
著書は『デザインのデザイン』(岩波書店/サントリー学芸賞受賞)、『白』(中央公論新社)ほか多数。

「2014年 『みつばち鈴木先生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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