セクシィ・ギャルの大研究: 女の読み方・読まれ方・読ませ方 (岩波現代文庫 学術 217)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006002176

感想・レビュー・書評

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  • うーん。

    女性論の第一人者が、「セクシィ・ギャル」について、
    「女の読み方・読まれ方・読ませ方」について語っているですと!

    って、手に取った一冊。
    ショハナの小見出しが<「夫婦茶碗」のおそろしい秘密>から、<女が発情のお知らせ」をするとき>など、わくわくするようなもので、それもいなーと読んでみる。

    ところが。
    大きな章が5つあり、その5つがまたさらに、小見出しのついた細かな章組になっているんだけど、その小見出しごとに全部、読み切り?のような体裁になっている。

    そうしてその各章が、上野先生の章のまとめで閉じるのだが、
    なんともため息ともつかない愚痴のようなものであったり、強烈な皮肉であったりして、
    たかだか230ページ強の中で繰り返されるのが、少し疲れたのも事実。

    いわく、

    『ただし無力な子供の側に立つのは、いつもメスなのだが‥‥』
    『いずれにせよ、若い男女は、ますます現実逃避の麻薬患者の目に近くなっていくのである』
    『劣位のサルのような複雑な笑いを浮かべながら、媚びてすり寄っていかなければならないのは、女の方なのである』

    うーん、どれだけ行っていることが正論であっても、小見出しが28あってそのなかで、
    のべつまくなしに愚痴と嫌みを並べられると、正論がかき消されてなんだか、
    卑屈になってひねくれたおばちゃんと、膝付き合わせて永遠に終わりそうにない愚痴を聞かされている気分になろうと言うものだ。


    女性がいかに卑下されていて、男性社会という男性目線のなかで、
    媚びて自分を「受け容れてもらえる」商品として扱われていることか、
    という論旨自体は悪いと思わないし、それをメディアや広告のなかで上手に浮き上がらせる
    その作りは非常に読みやすい。
    であればもっと、章をわけて例示しながら、上野先生のご高説はもうすこし、まとめてびしっと、章ごとに述べるとか結論とまとめの中で書ききれなかったものだろうか。

    あともうひとつ。

    読みながらどうしても拭いきれなかった違和感があり、それは、挟まれたビジュアル。
    広告をそのまま転載する許可に問題があったのかはたまた出版社事情なのか、
    挟まれたビジュアルが全部、イラストなのだ。
    また、広告以外にたとえば明らかに文脈上、これは宮崎美子だな、と思われる、
    グラビア美女もなぜか、イラスト。しかも申してはなんだが微妙な。

    セクシィ・ギャル大研究として、女性の捉えられ方を視覚と記号で表した本書において、
    そのビジュアルに画家の画力のせいで、ビミョウにバイアスがかってみえる、といったら、
    怒られるだろうか。
    写真ならまだしも、より個性や癖の出るイラストで、視覚的に女性論を支援しようとする試み自体に、あたしなんかは疑問を感じてしまうなぁ。

    広告がそこにあるのであればそれを、写真があるなら素直に写真でいいと思う。
    広告であれば問題もあるかもしれないけど、サルの威嚇の顔までイラストにしなくても。。


    でも、ふと思って手元の岩波現代文庫を手にしたらそこにはイラストすら1つもなかったので、
    もしかしたらこのシリーズの特徴かもしれないけれど。
    ここに写真がばしっとあれば、それだけでちゃんと、広告や写真のいいカタログにもあると思うのになぁ。

    なんとはなしに、文章の勢いの良さと、
    それだけに浮かび上がらざるを得ない反イラスト(奇妙な)の微妙な不協和音ばっかりが、
    頭に残ってしまう、読書でしたとさ。

  • もう30年以上も前に発売された、上野千鶴子の処女作。

    人間関係は、コンピューター技術に比べればその変化はゆっくりしているとはいえ、大きく変わってきている点もある。

    その一つが「女は小柄でそれを大きな男が管理する」という「常識」。これは結婚(や離婚)したママタレ本人や家族の言動から崩れかけている。小柄な肉食系妻が背の高い夫の居ぬ間に若い子をお持ち帰りした事件がいい例。
    もちろん、まだまだ希少ではあるが、もう二次元だけの話ではないのだ。
    いい、悪いは別にして。

  • 当り前のことなのだが、上野千鶴子さんにも心配されるご両親がいらしたのだなあ。

  • 軽妙な語り口。なんとも。笑わずにはいられない(笑)限りなく男的目線な女による「男と女」についての分析だ。この本では大きな問題提起はないため、他の書も読んでいきたい。

  • さりげないしぐさは社会的な記号、メッセージで満ちている。その根幹となるシステムは性差を利用・喚起させるもの。男っぽさや女っぽさ、それは単に生物学上の男女に関わらずに組んず解れつ、知ってか知らずか、互いに読み合い読ませ合い、システムのバランスを作り出している。

    新書とかによくあるような、心理学的ハウツー本の学術方面からの先駆でありネタ本なんだろうなー。

  • 1982年カッパブックス刊。相互行為論というのを研究しているアメリカのアーヴィング・ゴフマン(1922-82)の書いたgennder advertisements という1976に書かれた本をもとに日本版応用編を書いたもの。「性からみた広告」という訳でいいのか? 1980年に刊行されたマスメディアに登場する商業広告ー「アンアン」「ノンノ」「モア」「ミセス」「プレイボーイ」「ポパイ」等に載ったものを対象にしている。広告にみられるポーズ・行動を通してそのメッセージを読むというもの。

    広告からは男女の「らしさ」ごっこが伝わり、その演じ合いは対等ではなく、女は演技者で男は観客で現実社会の力関係を現しているという。そして広告は時代の一歩先を行くのはいいが三歩先を行っては受けてにメッセージが伝わらないという。なので広告はその時代の了解事項を示しているので広告分析はその時代の典型的な考え方の基準が表現されているという。

    広告には魅力的な女性が多く登場するが、それは男から男への、女を媒介にした欲望のメッセージだという。女性向け商品であっても購買力のあるのは男という前提で、女性が登場する。女性が女性を見るときには男の色眼鏡をかけるー「男の目からみたらきっとセクシーに見えるに違いない」と。一方女性はセクシーな女性を見ても不愉快にはならず、モデルに同一化してナルシズムを味わうというのだ。

    これらは女性にとってはなんか目にゴミが入ったような生活上の違和感として現れるのではないか。それを上野氏が論理的に明解に書いてくれる。

    上野氏の第1作ということで、これからの数ある著作の側面があらわれている。

  • 上野チズコって下品なオバサンという印象しか持っていなかったが、書いてあることは普通のマトモな事だった。
    大昔読んだ裸の猿の続編みたいな内容。30年も前に書かれた本だが、草食系男子の出現や、化粧する男の出現を予言しているのは見事。

  • この人の女性学は面白い。
    痛いけどね。

  • おもしろい。そしてデジャブ感がある。講談??はたまた牧師の説教??(御両親がキリスト者であられる)
    真偽のほどは別にしても・・・と思わせるくらい、読み手を魅了する。処女作らしい。あの栗慎の勧めもあった・・ということで、本当の処女喪失であられなければよいのですが・・・(ゲスの勘ぐりですが)

  • 読み終えたとき、原克の『流線型シンドローム』(紀伊國屋書店、2008年)を思い出した。
    「へぇ~」「なるほど」「そんな見方ができるのかぁ」これが社会学のオモシロサだなぁと思った。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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