- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022510556
作品紹介・あらすじ
中学二年生の名倉祐一が部室の屋上から転落し、死亡した。屋上には五人の足跡が残されていた。事故か?自殺か?それとも…。やがて祐一がいじめを受けていたことが明らかになり、同級生二人が逮捕、二人が補導される。閑静な地方都市で起きた一人の中学生の死をめぐり、静かな波紋がひろがっていく。被害者家族や加害者とされる少年とその親、学校、警察などさまざまな視点から描き出される傑作長篇サスペンス。
感想・レビュー・書評
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転落死した男子中学生をめぐって、被害者家族、加害者とされる少年たちとその親、学校、警察、検察までも巻き込んで、それぞれの感情と思惑が錯綜する様子が描かれている
死亡した少年の背中にはつねられ内出血した痣が数多く残っていた。携帯には、いじめられていたことを窺わせるメールが
自殺か? いじめによる殺人か? 事故死か?
真相を明らかにすべく刑事と検察官の取り調べが並行して行われる
読んでいて一番感じたのは、中学生とは何と不安定で危なっかしく、掴みどころのない世代なのかということだ
文中にも中学生を評してこんな描写がある
自分の意思とは異なることを、なぜか起こしてしまう。彼らが一番恐れることは、孤立で、ノリが悪いとか、真面目だとか、そう思われたくないばかりに常識を踏み外してしまう
池に浮かぶ水草のように根っこがなく、不安定
おまけに集団の空気にいとも簡単に呑み込まれ、流される
ゲームと現実の区別がもっともつきにくい年代ゆえに、中学生には陰惨な事件が多い
子供でもなく、もちろん大人でもない
子供から大人へと成長するために、絶対に通過しなくてはならない大きなハードルのようなものなのか
大人には見せない中学生の世界が実に巧みに描かれている
自分の中学生時代のあれこれを思い出しながら、楽しいことももちろんあったが、友達関係でしんどいことも多かったことを思い出した
大人になってしまえば、ああ、あの頃は・・・と思い出して、どうってことないのだが詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
朝日新聞の、あの長方形の欄に、一年2ヶ月に渡って連載されていた作品。ちらちらと折を見て紙面で読んでいましたが、全部は読めていませんでしたので、「早く書籍化されないかなあ」と心待ちにしていた作品です。
中学二年生の転落死は、事故か自殺かー?警察は同じ中学の同じテニス部のメンバー二人を逮捕、二人を補導する。殺人容疑で立件しようとするなんて、無茶な・・・とは思いましたが・・・
逮捕された二人は14歳。補導された二人は13歳。クラスメイトでありながら、年齢だけでここまで身分が変わってしまうなんて。私、知っているつもりで全然知らなかったです。
「なぜうちの子は逮捕されているのに、よその子は逮捕されていないのか」と不当に思う母親の気持ちは、もっとも。そのあたり、読んでいて辛かったです。
しかし、奥田さんは、専業主婦の心情を描くのが本当にうまい。この人自身、専業主婦なんじゃないの?というか、女じゃないの?と毎回思ってしまいます。堀田弁護士や、名倉康一郎のようなイヤミな男を描くのもうまい。妙に、オネエっぽいセリフをいう彼らに寄り添いながら、ああー、今回も出してきたねえ、こういうキャラ・・・って思いながら読みました。
被害者の親の視点になれば、そちらに心を寄せるし、加害者の親の視点になれば、そちらの方に心を寄せてしまう。単純にどちらにも肩入れできない私がいました。、確かにそうだよなあ、親は誰しも自分の子供は一番可愛いもんなあ、と思わずにはいられません。
明るく笑って暮らせる世の中など、永遠に来ないのかもしれません。少なくとも、中学校にはそんな世の中は存在しないのだと思いました。中学校の3年間は人生で一番のサバイバル期ですから。
人が一人死ぬことは、やはり大きいことなのだなあと感じました。死なずに生きていられる限りは、生きていきたいです。 -
ある田舎町で、裕福な呉服店のひとり息子
中学二年の名倉祐一が、学校の部室の屋根から転落して死亡した。
屋根の上には5人の足跡が残されていた。
自殺か?事故か?それとも……。
やがて、祐一がいじめを受けていた事が明らかになり
いつも一緒居たテニス部の4人
傷害の容疑で2人が逮捕2人が補導される
お調子者た゜が明るくクラスのリーダー的存在の 市川健太
大柄で無口だが他人を思いやる気持ちが強く裏切らない 坂井瑛介
小学時代にいじめられていた小心者の二人 藤田一輝と金子修平
藤田の祖父は県会議員
被害者家族と加害者とされる少年達とその親
警察の意地・検事の思い・学校の戸惑い・マスコミの思い
それぞれの思惑が交錯する。
小さな町の実態
小さな町は一人の少年の死亡によって静かに揺れている
当事者ぞぞれに立場があり、言い分があり、守りたいものがある。
いじめをした生徒といじめられた生徒の生前の様子が丁寧に描かれている。
小さな閉ざされた世界で何故いじめがあったのか
何故いじめがエスカレートして行ったのか
被害者を発達に偏りがある子を想像させ
非があるというニュアンスを感じさせる。
中学生が池に浮かぶ水草の様に
根っこがなく、不安定
おまけに集団の空気にいとも簡単に呑みこまれ、流される
ゲームと現実の区別がもっともつきにくい年代
中学生が残酷な生き物だというのもよくわかる
大人でもなく子供でもなく
中学の3年間は一番残酷な3年間かもしれない
どこで起こっても不思議ではない、現実感に溢れています
登場人物それぞれの立場や気持ちが丁寧に描かれていました。
それ故に人間のエゴも多々見えてしまい
気持ちが暗くなる部分もありました。
『いじめ』という重いテーマなので、
心躍る小説ではありませんが
とても読みやすく、分厚い本ですがあっという間に読了しました。
しかし、胸に重いしこりが残った作品でした。
重い問題を考えさせらました。 -
最後の一行を読み終わったとき、手が震えていた。
それまで小説世界を追いかけていた気持ちが行き場を失ってうろうろした。
「え?これで終わり?」
そう思った。急いでネットで感想を検索すると、新聞連載終了時のものがいくつかヒットした。
みな「これは打ち切りじゃないのか」と書いている。
連載終了とほぼ同時期に、大津のいじめ自殺事件が起きたのだが、その現実と小説のあまりの符合ぶりと、唐突とも思えるような小説の終わり方から、そういう疑問が出たようだった。
私は連載を読んでいないので、単行本がどれくらい加筆修正されているのかわからない。それでもあのラストは意表を突かれた。
ただ、読み終わってしばらく反芻していると、じわじわと「やはりあのラストしかなかったのだ」という思いが浮かび上がってきた。
この作品は、作者の意図はどうであれ、「物語」として存在することを否定していると思う。
「物語」であれば、作者の思想信条や、価値観などが根底にあって、ひとつの完成した世界を作る。
その中では、登場人物の気持ちや行動の動機が読者に納得しやすいような形で提示されるものだ。
「行って帰る」が物語の基本形なので、どんな展開であろうとも最終的にはすべてを回収し納得の地点へ着地させるのが物語なのである。
それは、現実が決してそういう形をとらないがために、あえて「物語」という結構の中ではきちんと解決させようという人間の願望なのだと思う。
「1人の中学生の死によって周囲に波紋が広がる」という話ですぐに思い出すのは、宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証」全3巻である。
あれも、1人の生徒の死をめぐって、さまざまな思惑が交差する話なのだが、決定的に違うのは「ソロモンの偽証」はそれなりに決着がついている、ということなのだ。こちらの物語世界はきれいに完結している。出てくる中学生がやけに大人びているじゃないか、とか、こんなこと(中学生が裁判を行なう)現実にはできるわけがない、というような感想は出てくるけれども、「いや、そういう物語なんです」と言い切れるものがある。
ところが、こちらの「沈黙の町で」では、そんなスーパー中学生は一切現れない。出てくるのはほぼ等身大の中学生と、いやになるくらいリアルな大人たちばかり。
奥田さんはこういう「閉塞感あふれる田舎町」を描写させたら天下一品なのだが、そういう町で暮らすとはどういうことか、を、ちょっとしたエピソードや展開でくっきりと描き出している。
いじめの首謀者とされている中学生たちの親の様子は、吐き気がするほど現実的だった。他人の話ならいくらでも正義感を発揮できても、いざ本当に自分の子どもがこういう事態に陥ったらきっとあんなふうになる。
そして、男子中学生の無口さ、不器用さもまたリアルだと思った。彼らは無口なんじゃなくて、「自分の気持ちを言葉で表現すること」自体に不慣れなのだ。いちいち全部言葉で表現するなんてめんどくさいと思っている。あるいはカッコ悪いとすら思っている。(だって、「言い訳するんじゃない!」って怒られたりすることすらあるんだから)
また、中学生の時期には、自分で自分の気持ちがわからなくなることが多くなる。いろんな思いが頭のなかをうずまいて、どう説明したらいいのか見当もつかない。それなのに大人はひどく単純な言葉で問い詰めてくる。「どうしてそんなことをしたの」「なぜそんなことをするの」こんな質問に理路整然と説明できるような中学生がどれだけいるだろう。そしてたいてい大人は最初から答えを決めつけているのだ。
作中で、大人が中学生に質問する場面がいくつかあるが、読んでいるこちらは中学生の様子を描いた場面を読んでいるからなんとなく想像がつく。しかし、実際にそれを説明するとなったら、そりゃあ無理だと絶望的な気持ちになる。
この作品には答えがない。結末もない。決着はつかない。「物語」のカタルシスを求めて本作を読むと非常に欲求不満がたまるだろう。
しかし、これほど現実的な小説はないと思う。現実はこの小説以上に曖昧模糊として何も解決せず、ウヤムヤのままに流れていくのだ。
最後に描かれる「事件の真相」らしき場面も、もしこれが現実の事件だったとしたら絶対知られることのない事実だ。小説だからこそこの場面が書けるのである。
こうやって、ぽんと材料だけが提示されて、「さてこれをどう受け取りますか」と作者に問われているような気がする。受け取り方は千差万別だろうし、考えることはいくらでも出てきそうだ。そういう問題意識の継続のためのひとつの材料としてこの小説があるのではないかと思った。
作者の見識を打ち出してある小説を読むのも、小説を読む楽しみの一つだが、本作は断片だけを提示されてあとは自分で考えろという作品であるため、読んだあとも深く深く考えてしまう。
ラストの「終わってない感」は、「SP」という映画を思い出させる。あれも、「革命篇」で完結と言われているのに、見終わった人の何割かは「絶対続きがあるはず」と思っている。「だって謎が全部解明されてないじゃん」というわけだ。
私はあの映画のラストはあれしかないと思ったし、十分完結していると思ったが、「物語」として見れば確かに全部謎解きされているわけではないし、行ったきりの話になってしまっているから、終わってないと思う人がいるのも無理は無いと思う。
同様に、この「沈黙の町で」も、たぶん連載当時に「こんな中途半端で終わるはずがない」と思った人がたくさんいるのだろう。そういう人が単行本化された本作を読んでどう感じるのかちょっと興味がある。 -
やるせない気持ち
最初から最後までこれに尽きる。
何が悪いのか、どこが間違っていたのかはっきり分からない
大なり小なり虐められる側にもプライドがあるからいじめは連鎖する
最後の章、いよいよ当日か…とため息に繋がりました
そして警察側には判明しなかった残り7人分のつねった痕。たぶんこれが1番リアル。 -
シリアスなほうの奥田英朗。湊かなえが「告白」で、宮部みゆきが「ソロモンの偽証」でそれぞれ挑んだテーマに、桐野夏生「柔らかな頬」的筆致(特に終章)で迫る感じ。要は手垢がついたテーマなので難しいはずなのに、楽々と持っていきましたね。新聞連載だからか、伏線をまったく回収しきれてないが(要らない登場人物多数)、現実だとこんなもんか。何を書いてもネタバレなので難しいですが、湊かなえや貫井徳郎(「乱反射」にも近いものがある)ほどエグい奴揃いでなく、宮部みゆきほど英雄主義でなく、ドライな感じが好きな方にお薦めです。
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中学校で、ひとりの生徒が転落死。
自殺か、事故か、それとも誰かに強要されたのか?
一体何があったのか。
気になって、読む手が止まらなくなる。
遺族側、加害者側、警察、検察、学校にマスコミ。
さまざまな立場を描く。
だれもが単純に善や悪に割り切れず、人間的で、リアル。