京都ぎらい (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.08
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本棚登録 : 2030
感想 : 293
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736314

感想・レビュー・書評

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  • 著者は京都の洛外出身。
    「京都」がきらいなのではなく、「洛中」がきらいなんだなぁ。
    県民性を取り扱ったテレビのバラエティ番組でも、この「京都内格差」みたいなのは話題になっていたのでなんとなく知ってはいたけれど、そんな差別に関する恨み辛みの本(笑)。
    関係ない人でも、「洛中」が嫌いになること請け合い(?)です。

  •  私も著者と同じく京の洛外で生まれ育った身なので、本書で何度も言及されている「洛中の中華的価値観」には大いに笑わせてもらった。府外の読者には理解しづらいだろうが、確かに同じ京都府下といえど洛中と洛外では「ニューヨークとナメック星」くらいの差があるといっていい。

     本書では井上氏による京の文化論が展開されている。第一章では洛中の選民意識が著者の実体験から暴き立てられ、毒の強い文体で洛中人士の差別意識が糾弾されている。第二章以降では主に花柳界と僧侶の関係に焦点を当て、寺院のホテル経営や芸子の源流など珍しい視点から京にまつわる仮説が展開されてゆく。全体としては、坊主の世俗化を笑い飛ばすような論調である。終盤は洛中の優越に話が戻り、南北朝時代の歴史的考察を交えてその根源を探ろうと試みている。

     誤解のないよう言っておくが、私は比較的若い世代に属するせいか、自らを京都人だと公言することにさほど抵抗はない。それでも、本書で指摘されている京の「いやらしさ」は否定できない。特に第一章・第四章は洛外で生まれ育った者にしか理解されない面もあるだろう。著者独特の語り口もあり、洛中人士を茶化すような記述に「皮肉っぽくて気分が悪い」と嫌悪感を抱かれる方もいるだろう。しかし、その「嫌悪感」こそ洛外出身者が物心ついた頃から押しつけられてきた屈託そのものなのである。

     ありていにいえば「性格悪いもん同士の罵り合い」なのだが、若い世代に限っていうと、本書で井上氏が暴露しているほど洛中洛外の亀裂は深刻でない気もする。互いに足を引っ張り合うのが一種の様式美になっているというか、見もフタもない言い方をするなら、トムとジェリーのように仲良く喧嘩しているようなものだと思っている。この奇妙な対立関係ばかりは、実際に住んで育って体感するしかないだろう。

     余談だが、第五章で南北朝の歴史についての考察を興味深く読み進めていたところ、唐突に皇室や靖国への批判が始まった。政治的主張を織り込むのは構わないが、期待していた京都論とは無関係なので少々げんなりさせられた。

  • 2016新書大賞受賞作。
    著者は京都嵯峨育ち宇治市在住
    京大ご出身井上章一さん、ブラタモリで観た土塁以上に
    洛中と洛外には高い壁があるそう。
    舞子はんとお坊さんの夜のお付き合いやら
    有名寺社の写真提供1枚20万円以上など。
    旅番組や観光ガイドブックには絶対紹介されない
    憧れの京都の知らないことがいろいろ。
    東京は大阪を見倣って京都を図に乗らすなと
    主張されております。

  • 嵯峨育ち宇治暮らしの作者は京都人ではないのか。
    洛中の人からすると、嵯峨は京都市であるにもかかわらず洛外らしい。
    作者も言っているが、私の出身地広島でも、市内なのに、中心部に行くことを「市内に行く」と行っていた。同じ市内なのになぜ、と小さいときから疑問に思っていたが、そういうことだったのか。。

  • 洛外からみた京都を冷静に分析しつつ、一部痛烈に批判している。
    洛外と洛中の差は、それを現地の生活で感じた人にしかわからない、深い溝というか世界の違いがあるのだと思われる。

    花街の状況やそれを支える人々の変遷などは大変興味深かった。
    仏教界の存在感と影響力にもあらためて大きなものを感じる。
    まさに「聖と俗」が深く入り組んでいるのも、京都の長い歴史が示している気もする。今後も様々な変化を取りこみつつ、独特の京都らしさを維持していくのかなと思える。

    自分も一応、洛外に身を置くものではあるけど、普段の生活や仕事で感じるようなことは何もないけど、深く京都と付き合うようになると、そのような事があるのかも知れない。
    その意味では、このような事実を知っておくのはとても参考になると思う。
    但し、現在の複雑化・多様化した状況では、真の洛中の人々はごく一部であり、また仮にそのような人々であっても、外との交わりを断つことはできず、むしろ積極的に海外も含めた外の活力を取りこまないと、京都の良さ(檀家や氏子が減る宗教界や花街など)も維持できないのではないかとも思う。
    そのような状況を考えると、著者の洛中の人々に対する厳しい批判はやや行き過ぎている気もするし、一般的な状況と離れている気もするが、ご自身が受けた経験にも基づくところはあると思われ、それだけ根が深いということなのかも知れない。

  •  洛中洛外差別は現在も本当にあります。と、声を大にして言いたい。京都府民全員の共通認識ではないだろうけれど。私が出会った差別は前職のお局から受け、彼女は右京区出身だった。彼女に限らず選民意識が強い人が多く、住んでいる地域は言うに及ばず血液型から容姿まで(太ってるか痩せてるか)何かにつけて優劣つけたがる人が集まる会社だった。彼らも昔差別に遭遇し、その優越感や味わった悔しい気持ちから、また差別が連鎖していくシステムに組み込まれたように思う。まぁ、私は京都市にも属さない地域在住だが。
     ゆえに差別に遭う可能性を少しでも減らすため、洛中の家族経営の中小企業や個人商店には二度と就職しないと決めている。もちろん、中には良い人もいるのだろうけれど。著者が洛中人士の鼻を明かすために奔走するくだりは痛快で笑えた。

  • 京都市ではあるけれども「洛外」の嵯峨に育ち、現在は宇治に暮らしている著者が、「洛中」の人びとの差別意識に対するルサンチマンをみずから笑いながら、京都について語っている本です。

    国立民族学博物館には日本全国の方言で「桃太郎」を語る音声が流される装置があり、「京都府京都市」の音声は西陣出身で民博初代館長の梅棹忠夫本人の声が録音されています。梅棹の評伝などでもこのことは触れられており、京都生まれである梅棹の自意識が指摘されているのですが、著者は「全国の方言がまんべんなく録音されたこの装置に接し、多くの来館者は思うだろう。お国言葉に優劣をつけない、公平かつ民主的なしかけであると。猫をかぶったとしか言いようのないそんな見かけの裏に、私は京都人の中華思想を読む。ここには、嵯峨をあざけった西陣の選民意識がひそんでいる。そう大声をあげ、他の来館者たちにもつたえたくなってくる」と評しています。

    このような、ひねくれた自意識を対象化しつつ語られる京都論なのですが、著者の他の多くの本であれば、ここから対象の歴史にまつわるさまざまなうんちくが展開されていくのに対して、本書では著者らしい鋭い切り口は示されているものの、「思いつき」の提示にとどまっているように感じます。

  • 京都につかれた
    粋 スイ

  • 洛中だけが“京都”であり、そこに暮らす人だけが“京都人”である。洛外は京都市内であっても京都ではない。

    京都という土地にはびこる沈黙の掟を、嵯峨に育ち宇治に住む著者が解説する。そう、そのしきたりに従えば著者は京都人ではないのだ!

    僧侶の文化、芸妓の文化も交え、京都の寺院が行ってきた特権的な施策も捕らえ、洛外の著者が如何に“京都”が嫌いかを説いていくが、この本を紹介してくれた人曰くの、「著者は結局、京都が好きなんだよね」というひと言が象徴的。何のかんの言いながらも溢れる愛を感じてしまう。

  • 京都は、なんであんなにイヤらしいのか、よく分かった。洛中思想。

著者プロフィール

建築史家、風俗史研究者。国際日本文化研究センター所長。1955年、京都市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想』で芸術選奨文部大臣賞、『京都ぎらい』で新書大賞2016を受賞。著書に『霊柩車の誕生』『美人論』『日本人とキリスト教』『阪神タイガースの正体』『パンツが見える。』『日本の醜さについて』『大阪的』『プロレスまみれ』『ふんどしニッポン』など多数。

「2023年 『海の向こうでニッポンは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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