- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041083031
感想・レビュー・書評
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短編集。10編からなる。
舞台は小野寺さんの作品でおなじみ『みつば市』です。
その一隅で暮らす人々の物語で、名前だけですが『片見里市』も登場します。よく知る町のような気がして何か嬉しい。だから登場人物にも親近感が湧いてきます。
読ませる場面も上手い切り取りかたをしていて、それが読後じんわり効いてきて、さすが小野寺作品だとニンマリしました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルの通り、町の片隅で生きるさまざまな人々の姿を描いた群像劇だ。
クラスメイトと野球観戦に来た不登校の少女、若く破天荒な母親との三者面談を終えた男子高生、はじめてのデートに臨む男子中学生。
ひとつひとつの話は決して派手なドラマも感動もないけれども優しくて、読み終えたときに、なんていうことのない日常って大切だよな、としみじみ思う。 -
やはりこの作家さんの作品
好きだなぁ。 -
みつば町のあちこちで、別れたり出会ったり、人をちゃんと見ると思わぬことに気づいたり。そんな短編集。「君を待つ」「ハグは15秒」が良かった。「梅雨明けヤジオ」は島ちゃん可哀想な気がする。
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小野寺史宜『今日も町の隅で』(角川書店、2020年)は現代日本を舞台とした短編小説集。それぞれの話は独立しているが、東京近郊の蜜葉市という架空の都市を舞台とする。海堂尊の桜宮サーガのようである。自分の物語世界に愛着を持ち、大事にしている著者の姿勢は好感が持てる。
それぞれの話は視点人物が異なる。11歳から42歳まで年齢順に物語が登場する。良くも悪くも学校の影響が大きいと感じる。大学を卒業して長年経過している人物でも人物像を描くために学生時代の描写がある。日本の学校にはイジメや集団主義の同調圧力など負の面があることも確かである。本書でも冒頭の「梅雨明けヤジオ」で描かれている。一方で、社会に出た後も自分が何者かを説明する上で、どのような学校生活を送ったかが出てくるという現実も否定できない。
高校野球の県予選大会の応援者の「やる気を見せろ」との野次に不快感を抱く描写がある。「やる気があるのに負けることもあるのだ。勝つ気を見せたところでどうにもならないこともあるのだ」(11頁)。これは正論である。昭和の精神論根性論は全てを不幸にする。野球がサッカーよりも人気が下がった要因も昭和の精神論根性論者に支えられている面があるだろう。物語は精神論根性論の野次を放った人物を否定する話ではないが、精神論根性論者にも良い人がいると理解すべきではない。野次とは逆にエース一人が優れていても限界があることを理解している(25頁)。本音は精神論根性論ではないから、良い人になる。
「靴を見れば人がわかる」との言葉に対する反感が面白い。「靴が見えているなら、履いてる人のことも見えてるだろ。なのにわざわざ靴を見てんじゃねえよ。靴一つで人の価値を決めようとしてんじゃねえよ」(146頁)。アウトプットではなく、外面だけで評価する前近代的な感覚への批判になる。 -
前作などの登場人物が多く出るスピンオフ的短編10作。
・梅雨明けヤジオ
・逆にタワー
・冬の女子部長
・チャリクラッシュ・アフタヌーン
・君を待つ
・リトル・トリマー・ガール
・ハグは十五秒
・ハナダソフ
・カートおじさん
・十キロ空走る
蜜葉市を舞台に、ソーアンやアパートの住民など、前作で出てきた人がたくさん。
そんな登場人物いたなぁと思いつつ、面白くバックボーンを感じつつ読了。
「ハグは十五秒」が一番良かった。 -
時々、不思議な所に句読点があります。
例:「勝てばベスト16らしい。16なら。ベストという言葉を使うのはまだ早い気がする。」など
ただ私は気にならずに読めました。
1話が短く、休み時間や就寝前にサラッと読めます。
全体を通して優しいストーリーとなっており、文章も読みやすいです。
10代・20代の若い方も十分楽しめますが、30代など、中年の始まりの世代は、共感できる部分が多くより楽しめるのではないかと思います。
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上手。
しかし、この話を最後に持ってくるのは意地悪じゃないかなぁ。
ダメ男で終わり。
それが街なのかな。 -
装画:Cinta Vidalさん
装丁:坂詰佳苗さん