- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043410033
作品紹介・あらすじ
十代のはじめ『アンネの日記』に心ゆさぶられ、作家への道を志した小川洋子が、アンネの心の内側にふれ、極限におかれた人間の葛藤、尊厳、信頼、愛の形を浮き彫りにした感動のノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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ミープさんやアンネのお友達だった方の言葉に重みを感じる。この本とアンネの日記を読むと平和を願う気持ちが強くなる。
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小川洋子の作家になる原点が、『アンネの日記』というのが、よくうかがえる。小川洋子は中学一年の時、『アンネの日記』を読み、日記を書く喜びを知った。その積み重ねが小川洋子という作家を作った。アンネに対する信愛の情が、この本にはある。小川洋子のつむぎだす文章が温度があると感じていたが、そのことを納得する。そして、1994年にアンネ・フランクのほんの僅かな人生を送ったところを訪ねる。そしてアンネにまつわる人にインタビューし、アウシュビッツ収容所を見る。人間の殺伐として残酷な歴史を自分の目と身体から感じる紀行文。アンネ・フランクの存在を言葉で表現する。小川洋子はいう「アンネを語ろうとすれば、当然ナチスドイツや人種差別問題やホロコーストについて考えなければならないだろう。けれどわたしが本当に知りたいのは、一人の人間が死ぬ、殺される、ということについてだ。歴史や国家や民族を通してではなく、一人の人間を通して真実を見たいのだ」いやはや。なるほど。その視点が、文学の起点だね。
1994年6月30日出発。アムステルダム到着。7月1日。アンネフランクハウス、アンネの家族の隠れ家。7月2日。アンネの日記を見つけたミープ・リースにあい、インタビューする。ミープは1987年に『思い出のアンネフランク』という本を出している。7月3日。フランクフルト。隠れ家、アンネの生家。アンネフランク展。7月4日。ポーランド。クラクフ。7月5日アウシュビッツ。第二アウシュビッツ。7月6日。ウィーン。7月7日。二人のユダヤ人に出会う。たった1週間の旅行であるが、濃密だ。
小川洋子は、「なぜ小説を書くようになったか」という質問にうまく答えられない。小川洋子は『アンネの日記』がきっかけで、自分の日記をつけ始めた。因縁の人だ。
アンネの日記は、1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。アンネは、1929年生まれ、1945年15歳で亡くなった。アンネはアウシュビッツに送られ、その後ベルゲンベルゼン収容所でチフスで死んだとされている。アンネの母、姉マルゴーは死に、父親オットーは、アウシュビッツで生き残った。戦争が終わり、アンネの日記を世に送り出した。
小川洋子は、アンネの自由さ、伸びやかさ、10代の少女が悩む姿などをうまく掬い上げてアンネのいた場所に佇む。50年以上の時間の隔たりを感じさせない完成でそこにあるものを見る。実に叙情的な文体とアンネを思う気持ちが吐露される。
アウシュビッツで、メガネだけの部屋、靴だけの部屋、髪の毛だけの部屋の展示に身が悶える。
「アウシュビッツ収容所で生き延びるために、一番必要だった条件はなんでしょう。体力でしょ羽化。それとも精神力?」と問うと、ユダヤ人アントン・ウインターは「誰が生きのび、誰が死ぬか。そこに条件などありません。運命を知っていたのは神だけです。そして、絶対に自分は生きのびる、と信じていた」。ウインターは「遺体を焼いたあとの骨を、粉々にする作業、これだけはつらくて私にはとてもできなかった」という、そういう凄惨な体験をしている。それでも生き残ろうとした。
小川洋子の成り立ちがよく理解でき、その視点が一人の人間の目で見ようとしている。なんのために生きるのかを知り得た作家だった。戦争の持つすざましいほどの人間の破壊力。あらためて戦争はしてはいけないと思った。本当に、人はなぜ戦争をするのだろうか -
アンネ・フランクの記憶を辿る、小川洋子の旅。
ナチス・ドイツや人種差別問題、ホロコーストは頭のどこかで「遠くの」「昔の」事だと思っていたのですが、こうして小川洋子という好きな作家が、アンネ・フランクと交流のあった方に取材をされている事でかなり地続きに感じられました。
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「アンネの日記」は完全版を読んでいて、あまりにも生き生きしているので自分の友人のように感じ、その子が理不尽にも命を奪われたことが悔しくてならなかった覚えがある。そのアンネの足跡を小川洋子さんがたどる。これは読まねばならないでしょう。
アンネにまつわる人々を訪ねていく様子を、比較的静かに淡々と描いてると思うんだけど、グッと来るものがあり、涙が知らず浮かんで来ることが多々あった。悼む気持ち。労る気持ち。でもきっと当事者の心の傷みを完全には理解できないという、負目のようなもの。それらが深い感情となって、胸を打つ。
訪ねた先で小川洋子さんが尋ねる質問は、アンネの気持ちに寄り添ってないと出ないような内容で、だからこそ、ただの取材では聞き出せないようなこと、見せてもらえないようなものを見せてもらえているように感じる。お互いの友人を懐かしむように。
その後、アンネをたどる旅はアウシュビッツへと向かう。この、人間の残忍さを凝縮したようなアウシュビッツ。人間って、ここまでしてしまうのか、とその事実に慄いてしまう。それを無かったことにせず、残して対峙し続けているところに救いがあるとも言えるけど…。一方で、アンネの周囲には、どうにかして友人を助けようとして奔走し心を砕いた人がいる。この人間の両極。両極は、表裏でもあるだろうし、いつ自分がどちらに転ぶかもわからない。恐ろしいけれど、この本を読むとそう感じます。
願わくば、アンネの周囲の人たちのように暖かく強く、誇りを持って生きられますように。私の友人が、二度と理不尽に命を奪われることのありませんように。
そう願う。 -
最近立て続けに何冊か読んだ小川洋子さんがアンネフランクの足跡を訪ねるエッセイを書かれていることを知り、他の人がどのようにアンネフランクの日記を読んだのか興味を持ち手に取りました。
旅の様子の合間に、著者の所感が挟まれていくのですが、感じることはあまり自分が思うところと変わらないのだなということに、却って意外性を感じました。そういえば、先日読んだプリズンブッククラブの囚人たちについても同じようなことを感じたことをふと、思い出したりも。
それと、インタビューを受けた方達の「時代がそうさせた」というコメントが心に残りました。人々の営みが時代や文化を形作るように思っていたのですが、そちらもまた真なのかも。自分にそう感じるような経験が過去にあるのかどうか。
私がアンネの日記を読んだのは中学生の頃ですが、今では私はアンネのお母さんと同じくらい、息子がアンネと同年代になっていることに気がつき何やら不思議な気持ちです。
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自分がもしアウシュビッツの職員だったら、非人道的な行為を拒否することはできただろうか。拒否したら罰せられるから仕方なく、と言い訳することはできるかもしれない。それで良いのか?
We were no heroes, we only did our human duty, helping people who need help
この言葉のように、人間として当たり前のことをしたい。人間としてしてはいけないことは、いかなる場合でも拒否できる強さを持った大人になりたい。第二のアンネ・フランクを生み出さないために。 -
史実を読むだけでも胸が詰まるような悲惨な出来事ではあるが、それを小川洋子という一人の人間の感性を通してみると、アンネ・フランクという1人の少女の生活や当時の息の詰まる雰囲気がまざまざと感じられて最後は涙無しには読めなかった。
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「アンネの日記」を教条的な読み物として捉えず、「友の日記」として寄り添い、その瑞々しい言葉と記憶を自らの胸に刻んだ時はじめて、あの時代に起きた夥しい死が、真に心に迫ってくる。
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「アンネの日記」に続いて、小学生ぐらいの頃に読んだ。その後、大学生ぐらいになってから「博士の愛した数式」を読んで、同じ小川洋子さんが書いたものだと知った。そう思って読んでみるとまた違った感じがありそうなので、もう一度読みたい本。