- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043707041
感想・レビュー・書評
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大学に市場原理を持ち込むな、には大賛成。マッドサイエンティストがいてもいいし、彼らを平均的な学者にするよりも、優秀な学者に金をつぎ込め、という。見通しがある研究の目論見を書いて資金を集めるが、本当のイノベーションは見通しなんかない研究の積み重ねからしか生まれない・・・・そんなことが書いてあったと思う。たぶんそうだと思う。
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元本は「狼少年のパラドクス」
持ってたけど、まあいいか。
半分以上はいつもどおり、ブログからの収録。2004~2006年にかけて大学淘汰への危機感にあふれた、切羽詰った日記でいっぱいです。
あらためて読むと特にこの本には(自覚はしていましたが)自分の良く使う決め台詞が多く収録されていて恥ずかしかったです…。
いいの信者だから。 -
<<現在の大学を取り巻くデータ>>
・日本の大学の40%は定員割
・4%のマンモス私大が志願者の45%確保
★18歳人口の減少→定員割→収入減→質のよくない学生の入学が容易に→大学の質の低下→大学に市場淘汰の波→統合・再編
日本経済の立て直しを、と言っている場合ではない。まずそれよりも先に日本の大学の立て直しを、とだいいちに叫ばなければいけないな、と相当な危機感を与えられた本書。
18歳人口の減少により、志願者数が減り、収入も激減。定員割が続けば私学の経営破綻はいずれ現実のものとなる。教職員数を削減したり、教育インフラへの投資を減額すれば短期的には支出を抑えることができるが、そのように教育サービスの質を低下させた大学に進んで行きたいという学生はいない。すべてがデフレスパイラル。進むも地獄、退くも地獄。
そこで著者が提案している戦略は「ダウンサイジング」である。
『学生が定員割してから教育サービスを劣化させるためのダウンサイジングではなく、十分な倍率で志願者がある段階で選別を厳しくし、学生数を絞り込み、1人当たりの教育リソースの集中を高め、教育活動とそのアウトカムの質を向上させていく』
学生の減少は収入の減少につながるので、大学のスリム化が必要になるが、リストラのことではなく、大学には削ぎ落とせる贅肉はたくさんある。数少ないマンモス校が市場淘汰戦略をとり。大学の統合やわけのわからない学部を設立して学生の興味を引いて、志願者を獲得することは学生の多様性を奪い、そして質が落ちていく要因にしかならない。子供が小学生から大学生まで同じ学校に通うことが当たり前になってしまう世の中になってしまったら、学生がすべてとはいわないが、同じような思想を持った大学生しか生み出さなくなってしまう。
文部科学省、一体どうするのだ。
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"ひとりでは生きられないのも芸のうち"と"街場の大学論"、2冊続けて内田樹を読む。相変わらず、歯切れが良くてユニークで読んでいて楽しくなる。以下2つは引用(いずれも"ひとりでは..."から)■「現行の社会秩序を円滑に機能させ、批判を受け止めてこれを改善することが自分の本務である」と考えている人たちをどのように一定数確保するか、私がこの本を通じて達成しようとしている政治目標はそういうことです。■危機に対する対処は要するに「常識ある大人」の頭数をもう少し上積みすること、それだけです。韜晦(風)も、内田樹の一つのスタイルだと思うけれども、上記もそれっぽく感じられなくはないけれども、でも、内田樹は、けっこう本気でそう考えているのだろうな、と思う。私も「常識ある大人」としての振る舞いをしなきゃ、等と書くと少し照れくさいが、時々はそういうことを思い出そうと思う。
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第3章までは、意識的にそういうものを選んでいるのかと思うほどに
妙に冷笑的というか、せせら笑いが聞こえてくるような
あまり愉快になれないブログ記事ばかりが採録されていて、
「どうも『核心に触れる』感じの得られない文章が続くなぁ」と
購入したことを少し後悔してしまったのだけれど。
第4章以降、いつもの鮮やかな語り口でクリティカルなことを言い出すので、
ホッとしながら読み続けられた。
第4章「大学が潰れてしまう」(悲惨な小題だなぁ)の中で紹介されるのは、
「多くの大学は生き残りのための戦略として、
一時的に入学者数を多くして収益を確保すべく、
実学的な学部を新設し、集客力の高いカリキュラムを増やし、
著名人を講師として招き…みたいなことをやって、
結果息切れしている」、といったこと。
一方で、内田氏が神戸女学院大学で取った経営判断は、
「入学基準を厳しくして、学生数を減らし、
教育の質を高め、長期的に高評価の維持とロイヤルティ高い学生の確保が
出来るようにしよう」と。
字義とおり『女学院』的な、ある種反時代的な在り方を目指すべきだと。
なんとなく、TVをはじめとするマスメディアの様相に相似している部分があるなぁと感じた。
「放送されているリアルタイムのタイミングで、なるべくたくさんの人に見てもらう」ことに、
第一義を置けなくなったって状況があるおかげで、
逆説的にコンテンツがすばらしくなっちゃってる番組に最近よく出会うものだから。
個人的には、大学経営に携わる大学人としての内田樹を
垣間見ることが出来て嬉しい一冊。 -
『狼少年のパラドクス』の文庫化
文庫化にあたって売れている「街場の~」にタイトルを変えたわけですね。
著者のブログから大学関係の記事を選んで載せているので、ひとつひとつの記事は短くて読みやすい。
■この本を知ったきっかけ
著者のブログ
■読もうと思ったわけ
「街場シリーズ」ということで -
学生をやっていて、大学ってそもそもどうあるべきなのか。そう思っていいよね。とくに自分みたいにコテコテの人文をやっている学生のとっては近年の実学指向、プラクティカルじゃなくちゃ意味がない、大学の学習内容と社会で必要な能力のリンクが必須などなどそういった主張にはかならずしも賛成はできないのが私情なわけで。読んでみました。
いってしまえば、この本は人文系のかたが書かれているので、個人的にはウンウンとうなずいてしまうような意見だったり、自分が問題に思っていることが言語化されていくときのあの感覚も味わえたのでよかったです。(というか今読んでいます)
後ほど感想を。 -
内田樹による、大学をめぐる事柄を取り上げた教育論。
時事的なことを取り扱っている部分もあり、しかも古いものでは10年前に書かれたものも含まれており、時間的な違和感を感じないわけではない。しかし、全体としては「大学」という機関とそこにいる「大学人」が果たすべき役割と課題が様々に論じられており、刺激を受けるところが多かった。本書は表題通り、大学教育についての論が中心だが、教育全般の問題として考えるべきことも多く記されていることも、多くの刺激を受けた要因だろう。
そして、先に書いた違和感をものともしないのは、著者の教育に対する誠実さが本書の通奏低音として全編に示されているからだと思われる。 -
学者や職員が書く高等教育改革論は多いけれど、現場の実務を担当した先生がそれを書くことは意外に少ないと感じるのは私だけでないはず。本書は、著者の日々の実感が込められた様子が綴られている。先生の授業中の雑談を聞いているような感じだ。
学びの源泉は「知的渇望の昂進」というが、まさにそのとおりだ。全ての分野で知的渇望を求めるのは、かない難しいはず。飽くなき探求のプロセスも含めて教養なのか。
ダウンサイジングの話もでてきた。私はかなり前から18歳人口のカーブを見て、どうみても縮小するか取捨選択して学部学科・対象の構造をがらりと変えないないと考えていた。「反時代的」と著者は書いているが著者自身この定員縮小に自信を持っている。 -
神戸女学院大学文学部で教鞭を取る著者による教育改革論(あるいは、反教育改革論)。著者も後書きでエクスキューズしているが、2000年頃から2010年までの文章が雑多に収められているため、主張にずいぶん幅がみられる。特に、大学内の研究者評価システムに対する姿勢は、はじめ推進派であったものが、最後には完全な反対派に転じている。大学の”成果”は、本質的に一握りの優秀な研究者によってもたらされており、その他大勢の研究者の底上げによるベネフィットは、優秀な研究者を忙殺することによる機会遺失を上回るものでないというのが、その主たる理由である。
それにも関わらず、大学を、「知」そのものに価値を見出し追及することが許される「場」として、市場原理からは隔離した状態で存続させねばならないという氏の信念は一貫している。大学の意義をその経済効果のみで図ることへの危惧と、大学経営を市場原理に基づいて行うことへの警鐘は、不況と採用難の現在において、むしろ価値を増しているように感じられる。
内田樹氏のニヒリスト的な性向は、もしかすると日比谷高校で圧倒的な能力の持ち主を目の前にし、”挫折”を経験した結果ではあるまいかと邪推する次第。彼は傑出しているというほどではないにしろ基本的に優秀な人物だが、そういった人にありがちな全能感が妙に欠如しているように思われる。最近の若者の右翼化傾向に対する攻撃的な姿勢は、単に学生運動に加担した経験だけではなく、右翼的言説と盲目的な全能感の結び付きを感じ取ってのことではないだろうか。以上、余談でした。