- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043756018
感想・レビュー・書評
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筆者が、共産圏で過ごした少女時代を振り返り、当時の友人3人をそれぞれ訪ねに行く。三者三様。皆、国や時代に翻弄され、それぞれの人生を歩んでいた。
「ちゃんと会えるのか?」「そもそも生きているのか?」と、ドキドキしながら夢中になって読める。
筆者の行動力と感受性の豊かさ、文章による表現力が素晴らしい。友人のキャラクターがしっかりと脳裏に残る。
そして自分の共産圏に関する無知も知った。世界史をきちんと学び直そうと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読書日:2017年12月25日-12月27日.
著者の在Praha Совет学校時代の親友三人を
探して再会する感動と笑いと時代を感じさせられる実話が
語られています。
ΈλληνεςのSolitaire(愛称:Ritzer)の大人びた言動や
嘘をついても皆から愛されるromâniのAgna、
Bosanci MuslimaniのJasmineka(愛称:Ясная)。
読めば読む程、個性的な彼女達に惹きつけられます…!
朝鮮人と日本人の混血である私は
AgnaとJasminekaには少なからず共感出来る部分があり、
彼女達の考え方に考えさせられる事もあります。 -
米原万里さんが在プラハ・ソビエト学校で出会った同級生たちとの思い出、そしてその後の姿を追ったドキュメンタリーエッセイ作品。
かつての同級生、リッツァ、アーニャ、ヤスミンカはそれぞれ個性的な人間性を持ち、抱える背景も今の日本人から見れば特徴的である。
リッツァは、故国ギリシャの青空を夢見ながらも、30年後には幼い頃の夢とは違いドイツで医者として暮らしていた。
アーニャは、共産主義に対する純粋無垢な気持ちを持ちながらも、自分の矛盾した言動に何も感じていない。
ヤスミンカは、成績優秀で芸術的才能もありながら、戦争と隣り合わせの生活を強いられている。
最近の日本で書かれる作品には、私的な、個人の中の気持ちにフォーカスした作品が多い気がするが、個人の気持ちを変えたところでどうにもならない問題は世界のここかしこにある。
社会の動きに翻弄され、様々な問題を抱えつつも、精一杯に生きている人たちがいる。
「事実は小説よりも奇なり」とは、まさにその通りで、現実をもとに描かれるドラマは、小説よりも面白い。
そして、翻訳の仕事をしていた米原さんならではの東西戦争の裏話もあり、非常に興味深い。
戦争に正義はない。日本では西側諸国が「正義」だと報道されていたが、現実はそうとは限らない。
様々な視点を与えてくれ、真実はひとつではないことを教えてくれる。
自分のいる共同体を、「国としてではなくて、たくさんの友人、知人、隣人がいる」という考えで愛する思想は、とても大事だと思う。
多くの日本人は、異国の人間と触れ合う機会が多いだろう。
その時に、自分の共同体のアイデンティティをどう考えるか。
世界には様々な文化があり、様々な人間がおり、様々な現実がある。
そのことを、改めて考えさせられる一冊。
「セカイ系」の物語では、個人の気持ちを変えることで世界が変わる。
確かに、そういう面もあるかもしれない。
だが、それは根本的な解決にはなっていない。
世界を変えるには、周りを動かす必要がある。
中には、動かせないものもあるだろう。
動かせない壁にぶち当たった時に、どうするか。
「セカイ系」の物語では、そこまで考えられていないように思われる。
それが、「セカイ系」が浅い理由であるように思う。 -
この本を読む前にYou tubeでこの本の元になった『わが心の旅』を観た。それで、興味が沸きこの本を読んだ。
アーニャの兄とのイタリアレストランでの会話が印象的。
共産主義というのは、みんなが平等に貧富の差がない生活を目指すべきなのに、幹部とその家族だけが特権階級の恩恵を享受し、とても豪奢な生活を続けている事に憤りを感じているようだった。
そして、あんなにも愛国心の強かったアーニャが、祖国をいとも簡単に捨ててイギリスへ渡ってしまった。
軽蔑が入り混じった複雑な気持ちになったのであろう。
そういうことがものすごく、はっきりと書かれていた。
今後の友情は大丈夫なのか。。。
小説のようなノンフィクションのような内容は非常に面白く、一気に読んでしまった。 -
先々月にプラハを訪れたこともあり、米原さんの描写に町並みを思い浮かべながら読みました。表紙もプラハを描いた絵、まさにあの通り赤い屋根が続く景色だったなぁ。
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今年読んだ中で最も強く印象に残った。
学校で習ったペレストロイカ、プラハの春等の社会主義の崩壊は
一体なんだったのか?
自分は文字でしか学んでこなかったという事を痛感した。
本編に出てくる3人の少女は個性的ながらもどこにでもいる女の子だ。
そんなどこにでもいる女の子たちが民族と国の問題に巻き込まれていく。
個人の力ではどうしようもない現実を嫌というほど感じた。
読んだ後、心の中にしっかり何かが残る作品だった。
作者が亡くなっているのが非常に惜しい。
その後、ヤスミンカ達が元気でいるのか非常に気がかりだ。 -
米原万里さんが幼少期プラハソビエト学校で過ごした日々と、その時に出会った3人の友人リッツァ、アーニャ、ヤスミンカとの関わりについて物語として描かれる。幼少期の印象に残る体験が大人になって蘇り、あの子はなぜあの時あの行動をしたのかを知ることになる体験は、実生活でもある。ソビエト学校での体験は、ネットが普及せずそれぞれの文化が現代以上に色濃いものだったに違いない。大人になって3人それぞれに会った時、当時知り得なかった事を知り…。
東欧の状況、民族紛争等、市民の視点で描かれて歴史理解も深まった。名著すぎる。 -
この本、面白い。
政治権力が行き着くところどこを見ているのかを遠回しに指し示していて、その中で民は途方にも暮れながらそれぞれが悪戦苦闘して生きていく他ないことを思い知らしてくれます。
しかし100年も経たない話ですか、これが。歴史って時代って動いていくもんですね、改めて当たり前のことを感じました。 -
自分の知らなかった世界。
この本を読んで良かったと思う。
自分の家族や友達、つまりは自分の生きてる視界には全くと言っていいほど実際かかわりがなかった世界を知れた。
きっと一生話すことのなかったろう人たちの話を聞けた。
東欧で生まれたらどんな人生になるのか。
社会主義、民主主義と政治的思想に翻弄されて生きるということ。
ナショナリズムが個人のアイデンティティにかかわるなんて当たり前のことだけど、
こんなに逃れられないものなのか。
米原さんの別のエッセイを読んだ時は、この人の作品あんまり好きじゃないなあ、と思ったんだけれど、この本には引き込まれた。