村田エフェンディ滞土録 (角川文庫 な 48-1)

著者 :
  • 角川書店
4.08
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043853014

作品紹介・あらすじ

時は1899年。トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり…それは、かけがえのない時間だった。だがある日、村田君に突然の帰還命令が。そして緊迫する政情と続いて起きた第一次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく…爽やかな笑いと真摯な祈りに満ちた、永遠の名作青春文学。

感想・レビュー・書評

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  •  本書の不思議な表題は、くだけた表現だと『村田君のトルコ滞在記』となるでしょうか。エフェンディは現地語で学者等の尊称とか。滞土録の「土」は土耳古(トルコ)の「土」です。
     時は1899年、洋の東西を結び異文化が融合するイスタンブールに留学した村田君の見聞録です。

     下宿先の女主人、使用人、同居する友人たちとの交流が、生き生きと描かれています。異文化、多宗教が混在する複雑さや歴史も感じますが、不思議と懐かしさが漂う独特な印象をもちました。第一次世界大戦前の青春小説もなかなかないですね。

     大学の要請を受け、村田君は帰国しますが、懐かしくも哀しい知らせが届きます。時代・歴史は、育んだ友情や輝かしい日々を引き裂いてしまうのでした。言いようのない気持ちにさせられます。

     村田君や友人たちは「風の人」で、外目線で「土の人」が気付かない良さを見出しながら、互いに認め尊重し合っていたはずなのに、それを簡単に切り裂いていく「国」とは何なのでしょうか? 著者の問いが、未だに戦争・紛争が絶えない世の中、読み手に突き刺さります。

     鸚鵡(おうむ)の悟ったような言動が、時代と歴史の証言者でもあり、癒しの存在でもある気がしました。

  • 『さてさての眠りを覚ます大音量、たった5回で寝坊も出来ず』。イスラム教の国に行かれたことがある方は、夜明け前の早朝から、モスクの尖塔に付けられたスピーカーが発する大音量の人の声にビックリして起こされた経験のある方も多いと思います。一日5回、最初は夜明け前から始まるこの人の声。イスラムの礼拝が始まることを呼びかける『エザン』と呼ばれる合図です。前夜遅くにイスタンブールに入って3時前にようやく眠りにつけた私、お陰様で寝坊も出来ずに日の出前に目覚めさせていただきました。今では世界に色んな人々が暮らし、色んな文化があり、そして色んな宗教があることがその国に出かける前に簡単に知ることができます。私が驚いたのは事前の情報収集が足りなかったためでしたが、時代を遡ればどうだったのでしょうか。『泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も寝られず』。そんな言葉から明治の世が開け、この国が少しづつ世界にその存在を知られていった時代、そんな時代に異国の地に旅立つことになったなら…。この作品は、そんな時代に土耳古(トルコ)へ留学した一人の日本人の物語です。

    『私は名を村田という。土耳古皇帝からの招きで、この地の歴史文化研究に来た』という留学生の村田。1890年に起こった『土耳古皇帝から日本国天皇への親書を託した使者を乗せたフリゲート艦、エルトゥールル号』の遭難救助のお礼に始まった招聘制度により研究員として最長四年の任期でトルコに滞在します。『エフェンディ』とは『おもに学問を修めた人物に対する一種の敬称』この敬称でも呼ばれる村田。『この国の婦女は宗教上の戒律からひどく自由を束縛せられている』と感じ、家族が英国に帰った後も下宿屋を営むディクソン夫人の元に滞在することになります。『隣の部屋の住人』で学者でもあるオットーや、回教徒のムハンマドなど、多くの友人と交流を深めていく村田。そんな時、『通りで鸚鵡(おうむ)を拾った。鸚鵡に出会ったのは、アルラッハの神の思し召だというわけだ』とムハンマドが鸚鵡を連れてきます。この後の村田の歩む物語の色んな場面で、村田の人生を彩ることになる鸚鵡との出会い。そして、村田のトルコのゆっくりとした時間の中で、でもそれでいてやがて時代に翻弄されてゆく人々の日常が淡々と描かれていきます。

    この作品では、第一次世界大戦後のトルコ革命に至る波乱の時代の土耳古の人々の暮らし、当たり前の日常を丁寧に、そして梨木さんらしく独自の視点から描いていきます。異国の地の文化との数々の出会い。『此の地と日本の、明らかに異なる点は、その宗教の特異な行動様式であろう』と村田はまず綴ります。『今はもう馴れたがやはり最初のうちは、エザンという町中に響き渡る経典朗誦の声に度肝を抜かれた』というエザンの響き。今の世であっても眠りを覚ますこの合図に、明治の世の村田の驚きが目に浮かぶようです。一方で、こんな見方があるんだと感心したのが『町に体臭があるとすれば、ありとあらゆるものが混ざり込んだようなこの臭気こそ、この町独自の体臭に他ならなかった』という、『町の臭い』に焦点を当てた箇所です。村田は『日本にいるときは、町に体臭があるなどと考えたこともなかった』と答えます。それに対して山田は『それが母国というものさ。自分では自分の体臭は分からぬものだ。たとえあっても気にならないのだ』と返します。海外に赴いた際に似たような思いに囚われたことがありましたが、この山田の返しにとても納得できるものを感じました。

    『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』。友人であったディミィトリスが村田に教えてくれた古代羅馬(ローマ)の劇作品に出てくるというこの言葉。『帰国してからも、私は永くこの言葉を忘れない』というこの言葉が村田の胸に去来するあの国、あの日々、そしてあの人々との出会いは一方で『国とは、一体何なのだろう、と思う』という命題を村田に与え続けます。だからこそ、『ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)』という鸚鵡から教わったこのラテン語の響きにとても心を打たれます。そして、予定より早く帰国することになった村田に『貴方の望む研究が十分に成されたのならいいのですが』と慮るハムディベー氏に、『十分、と思えるときは多分、一生来ないでしょう。しかしここで学べたことは私の一生の宝になるでしょう』とこたえる村田。その貴重な経験は帰国後の村田の中で大きな意味を持って村田の人生に息づいていきました。決して飾らない木訥とした村田の言葉の数々も含め、最後まで新鮮さを失わない村田の生き方、考え方にもとても魅了されました。

    後半ではあの「家守綺譚」に不思議な繋がりを見せるこの作品。でも作品の印象が全く異なるために本来的には繋げるのは難しいはずのこれら両作品。にも関わらず、あまりに自然に繋がっていく様は、まるで長年に渡って閉じていたこの国が、世界に門戸を広げ、外から入ってきた文化をまるでこの国に根差していた物であるかのように貪欲に取り込んできたその大らかさ、懐の深さにも繋がるものがあるような印象も受けました。

    そう、この作品は「家守綺譚」のあの世界をこよなく愛する方には是非とも読んでいただきたい作品。梨木さんの逸品だと思いました。

    • hotaruさん
      さてさてさん

      こんばんわ。
      すっごく素敵なレビューに、もう夜中なのに興奮してしまいました。

      さてさてさんのレビューは、丁寧なのになんだか...
      さてさてさん

      こんばんわ。
      すっごく素敵なレビューに、もう夜中なのに興奮してしまいました。

      さてさてさんのレビューは、丁寧なのになんだか不思議な勢いというか、落語の名調子みたいな感じで一気に読んでしまいますね。

      私は今まで訪れた国の中でもトルコは大好きなので、この作品まったく知らなかったのですが、すごく読みたくなりました。
      そして、作者がまさか梨木さんとは。私の中の梨木さんのイメージと勝手ながら少し違ったのでびっくりです。

      教えてくださってありがとうございます。
      2020/05/21
    • さてさてさん
      hotaruさん、コメントありがとうございます。

      私のこの感想を起点に『読みたい』に登録いただいたとすると頑張って書いた甲斐があります。あ...
      hotaruさん、コメントありがとうございます。

      私のこの感想を起点に『読みたい』に登録いただいたとすると頑張って書いた甲斐があります。ありがとうございます。
      もし、お読みになるなら、私も読んだ後に結果論で知ったのですが、梨木さんの「家守綺譚」という作品にリンクする部分があり、そちらを先に読んでいるとおおおっと感激します。なので先にそちらを読まれるのをおすすめします。「家守綺譚」は梨木さんの絶品ということもあります。

      今後ともよろしくお願いします。
      2020/05/21
  • 異国の風、匂い、喧騒。
    祈り、神、信仰。
    そういう本来目には見えないはずのものが、五感を通じて伝わってきます。ちゃんと「ここ」に「ある」のですよと、私に語りかけます。
    行ったことのない国、時代なのに、どうしてこんなに懐かしいような気持ちになるのだろう。
    ああ。そうなのか。
    「もう既に最初から繋がっているのだ」

    忘れないでいてくれたまえ
    そう言った、きみの気持ちが今ならわかる気がします。

    もう二度と戻ることの出来ない土耳古での青春の日々。大切な友とのかけがえのない時間。
    時は無情で。あれほど記憶に深く刻み込んだはずの思い出も、まるで夢の中の出来事だったように輪郭がぼやけていきます。
    だけど、遥かな海を渡り、彼のもとにたどり着いた鸚鵡。歴史の荒波を乗り越えた籠の中の鳥。
    ─友よ。
    その甲高い叫びが、彼に再び輪郭を与えたのでしょう。土耳古での日々を、異国の友人たちを。
    ちゃんと彼の中に「ある」ことを。

    • 地球っこさん
      mofuさん、こちらこそいつも「いいね」ありがとうございます(*^^*)
      そして、コメントありがとうございます!
      最後のシーン、私も泣き...
      mofuさん、こちらこそいつも「いいね」ありがとうございます(*^^*)
      そして、コメントありがとうございます!
      最後のシーン、私も泣きました。
      このような結末を迎えるとは、全く想像していませんでした。
      思い出すたびに、胸が締め付けられる……
      そんな心に残る物語となりました。
      2019/10/12
    • さてさてさん
      地球っこさん、はじめまして
      いつもありがとうございます。

      地球っこさんが書かれていらっしゃるとおり、私も『異国の風、匂い、喧騒』をとても感...
      地球っこさん、はじめまして
      いつもありがとうございます。

      地球っこさんが書かれていらっしゃるとおり、私も『異国の風、匂い、喧騒』をとても感じた作品でした。100年も前の異国の地がどう見えるのか、我々以上に驚きに満ち溢れた日々だったのだと思います。村田のかけがえのない時間がとてもよく伝わってきました。まさかの「家守綺譚」への繋がり含めとてもよく出来たお話、地球っこさん書かれている通り、心に残るお話でした。

      今後ともよろしくお願いします。
      2020/05/20
    • 地球っこさん
      さてさてさん、おはようございます。
      コメントありがとうございます。

      『村田エフェンディ滞土録 』をはじめ、
      『家守綺譚』『冬虫夏草...
      さてさてさん、おはようございます。
      コメントありがとうございます。

      『村田エフェンディ滞土録 』をはじめ、
      『家守綺譚』『冬虫夏草』とても大好きな物語です。
      どのお話も何か懐かしいものを感じます。
      目には見えなくても「ここ」に「ある」もの。大切にしていきたいです。

      さてさてさんのレビュー、いつも楽しみにしています。
      毎日レビューを書かれているんですね。
      とても驚きです。すごいですね(*^^*)
      こちらこそよろしくお願いします。
      ありがとうございました!
      2020/05/20
  • 梨木香歩 著

    以前、読んだ 梨木香歩さんの「家守綺譚」が、あまりに素晴らしく気に入った本だったので、その作品の中に登場する人物にさえ、愛おしさを感じてしまう(笑)

    だから、「家守綺譚」に登場した綿貫の友人、土耳古に行った考古学者の村田の話だと
    勝手に親近感を持って、そこに繋がる話のようにワクワクしながら読みました。

    「村田エフェンディ滞土録」タイトルにも惹かれて 土耳古という異国の地で、色んな異国の友人に巡り合い 自分の生きている位置や、それぞれに違った国の歴史を背負う人々の軌跡の中に息づく気質を感じながら、交流してゆく。 
    ディクソン夫人、ムハンマド、ディミィトリス、オットー…個性的な人々と交わりながら、村田の土耳古での滞土録を描く。
    個人的にディミィトリスは知的でクールな印象が好きだな(笑)

    何だか、遠い地に降り立ったような不思議な感覚なのに、妙にしっくりくるのだ。
    きっと、それぞれの個性の中で、ぶつかり合うものがあっても…お互いを認め合ってることがクールで、相手を気遣う思慮深いところが、とても、心地よく感じられた。

    それに…そっか、綿貫に似通った感覚を持つ村田自身が 綿貫同様、淡々としているが、むやみに決めつけた態度でなく、自然に物事を受け入れ、自分の価値観と相手の価値観を照らし合わすという二人の人間性に、より魅了されてしまうのだと思う。

    日本に戻って、綿貫の家に(元々は高堂の家)に下宿を決めて帰ってくる 綿貫に会う前に、同じく旧友の高堂と顔合わせするのだが、綿貫と同じように懐かしい思いの方が勝っており、躊躇なく自然に語り合っているところには、本当に笑えた(^^)

    やはり、綿貫と村田の気質は似ており…驚くが、受け入れてしまうという二人の思慮深き人間性に、和んでしまった。

    日本に帰国した村田に綿貫は云う

    「おまえは向こうで最先端の方法論のような
     ものを身につけてきたかも知れないが、
     歴史というのは物に籠る気配や思いの集積
     なのだよ、結局のところ。」
    ーいや、俺はそのことに異を唱えるつもり
                なぞ全くないさ。

    お互いの心持ちを、すぐに理解できる友人である関係性が、ストンとこちらの心に落ちる

    私の心に落ちた言葉は、
    勿論、こればかりではない
    常に含蓄ある言葉を村田に発するディミィトリスもまた、、
    ーテレンティウスという古代羅馬の劇作家に
     出てくる言葉、セネカがこれを引用して
     こう言っている。
    「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの
     必要な者に手を差し出そうではないか。
     この一句を常に心に刻み、
          声にだそうではないか。
     『私は人間である。およそ人間に関わる  
      ことで私に無縁なことは一つもない』」

    この言葉が、村田同様…心におちたことは言うまでもない そして忘れずに心に留めおきたい。

    私達の生きる世界は進化し
    日々、変化し続けている、あまりの進歩の速さに戸惑いながらも、追いついていこうとしてるのか?ただたんに、静観しているだけのような気もする
    はたまた、進歩し続けることが、スキルアップしているように感じ、錯覚してるだけで、
    実際には、何も変わってないのかもしれない
    と、ハタッと立ち止まってしまう感覚に襲われる。
    梨木香歩さんの作品を読んでいると、その根本的な切実さを改めて、胸に刻む思いがする
    歴史は、ただの過ぎ去りし思い出ではない。

    今の、自分たちの人生の真実に立ち返り、それを、改めて見極めようとする物語だと思う

    ディクソン夫人が親愛なるムラタに宛てた手紙には、涙が溢れ、泣けてしまった。
    そして、ムラタのもとに、はるばる異国から届けられた鸚鵡
    ラテン語の「ディスケ.ガウデーレ」とともに…

       “楽しむことを学べ。”
    ー友よ。

    我にかえったように、ハッとした!
    生きることは、辛いことばかりじゃない
    楽しむことを学ぼう 自分の魂の声を聞き逃さないように…頑張ろうと小さく拳を握りしめた。

    • kurumicookiesさん
      hiromidaさん、

      家盛奇譚の異国版的な要素で、最後に伏線として描写させているところがワクワクですよー。コメントを拝見して、思わず「そ...
      hiromidaさん、

      家盛奇譚の異国版的な要素で、最後に伏線として描写させているところがワクワクですよー。コメントを拝見して、思わず「そうそう」とか頷きました。
      私は表紙の絵にら惹かれ文庫で読んだのですが、途中の挿絵も可愛くて、ついつい読書雑記帳(笑)に、その絵を真似て書いていました 笑

      でも、戦争の話しが絡むので、最後の方はちょっと胸が苦しくなりました。

      家盛奇譚の続編、「冬虫夏草」も本棚登録ができていないのですが、面白かったです!
      2021/02/22
    • hiromida2さん
      Kurumicookies さん こんにちは!
      コメントありがとうございます♪
      同じように、ワクワクして読まれたこと、嬉しく思います。Kur...
      Kurumicookies さん こんにちは!
      コメントありがとうございます♪
      同じように、ワクワクして読まれたこと、嬉しく思います。Kurumicookies さんのレビューに詳しく丁寧な文に感激(^。^)読後にまた読ませもらえたら、より一層深く味わえます。
      絵も水墨画のような素敵な挿絵でしたよね(表紙もいい!) 美術好きなKurumicookiesさん 流石です(^.^)絵を真似て読書雑記帳に描くなんて♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
      戦争で命をおとす描写は、あまりに悲しいけど、どの時代に於いても、何処であっても、戦争を風刺する物語として、心に留めておきたいですね。
      「冬虫夏草」も読まれたのですね 何だか嬉しい(^.^)
      心が穏やかに緩和される物語でしたね。
      2021/02/22
    • 本ぶらさん
      「裏庭」は、確か梨木香歩ですよね。
      それだけ読んだことがあります。
      「家守綺譚」は文庫で出た時、読もう読もうと思って、まだ手が出てない本...
      「裏庭」は、確か梨木香歩ですよね。
      それだけ読んだことがあります。
      「家守綺譚」は文庫で出た時、読もう読もうと思って、まだ手が出てない本ですね。
      「歴史というのは物に籠る気配や思いの集積
       なのだよ」
      「およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」
      がちょっと引っかかったので、読んでみようと思いました。

      >実際には、何も変わってないのかもしれない
      昔、「YOU」って番組が教育テレビ(今のEテレ)でやっていて。その100回記念の回(だったかな?)の再放送をこの間やっていたのを見たんですけど。
      ちなみに、それって、1984年の6月に放送したものらしいんですよ。
      でも、そこで語られていることが、「今(当時)は流行らしい流行がなくなって、個人個人が発信するようになった」等々、現在とかぶることが多くって。
      ケータイだ、PCだ、ネットだ、スマホだ、SNSだと世の中は無茶苦茶変わっているんだけど。でも、人はそんなに変わってない、というか、そうそう変わらないものなんだろうなーなんて思いました(^^ゞ
      2021/03/09
  • 1899年 スタンブール
    土耳古帝国からの招きで、この地の歴史文化研究に来た村田。
    同じ屋敷に住むのは、ディクソン夫人と、家事を努めるムハンマド。
    遺跡を発掘している独逸人のオットー、考古学者の希臘人ディミィトリス。
    そして、ムハンマドが通りで拾った鸚鵡。

    驢馬を連れた行商人の爺さんや、ヘジャウ”-を纏った女性たち。異国の地にもかかわらず、どこか懐かしい感じがする。
    異界との不思議な交流もあり、日本への帰国後、村田が寄宿することになった綿貫の家でも面白い仕掛けが待っていた。
    「家守奇譚」としっかり繋がっていて、梨木香歩さんのファンタジーの世界にすっかり魅せられてしまった。
    「友よ」と甲高く叫ぶ鸚鵡の声。楽しむことを学べ。
    友人たちと過ごしたかけがえのない、村田の輝かしい青春の日々を思うと、目頭が熱くなる。

  • 村田エフェンディ滞土録。
    エフェンディは先生。
    土は土耳古。
    つまり”村田先生のトルコ滞在記”となる。
     
    村田は、著者の「家守奇譚」の主人公、綿貫征四郎の友人である。
    先に「家守奇譚」を読んでからこちらを手に取るのを強くお薦めしたい。
     
    時は明治。
    トルコに留学した考古学者、村田の滞在記。
    中盤までは本物の滞在記のように感じますが、これはフィクション。
    後半はファンタジー要素も出てきます。
    そして、せつない。
    最初から出てるオウムが最後まで良い味を出します。
     
     「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要なものに手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁のことは一つもない』と」
     帰国してからも、私は永くこの言葉を忘れない。
     
     私の スタンブール
     私の 青春の日々
     これは私の 芯なる物語
     
    うん。やっぱり梨木香歩さんはいいなー。

  • 【書評】『村田エフェンディ滞土録』梨木香歩 - 横丁カフェ|WEB本の雑誌(2014年1月9日)
    http://www.webdoku.jp/cafe/sakai/20140109105859.html

    村田エフェンディ滞土録 - WEB本の雑誌
    http://www.webdoku.jp/shinkan/0406/t_3.htm

    「村田エフェンディ滞土録」 梨木 香歩[角川文庫] - KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/200702000663/

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    角川から新潮に移るらしい…
    中村智の挿絵は?近藤美和のカバーイラストは?気になってるのはソコかい!
    いえいえ、今新たに出される意義の重要性は勿論気になりますし、
    加筆・改訂されたりする?解説は誰?と色々気になってますよ。。。

    実は、さらに先の世界が見たいと思っていたのですが、それは夢かな、、、

  • 今まで読んだ梨木香歩氏の本で一番好きです。
    トルコに訪れたことがなくても、不思議と文章から異国の雰囲気を感じ取れ、物語への没入感を味わえる本でした。(hiromida2 さん、本をご紹介して頂きありがとうございました!)

    異国の地で、怪我の療養をする日本人(木下)を元気づけようとする場面があります。
    ギリシャ人のディミィトリスは、たまたま貿易商が持ち帰った醤油のことを思い出し、貿易商から分けてくれるよう図り、主人公の村田に醤油を渡します。

    村田は、「彼(木下)にとって異国人である君の思いやりが、彼をどれだけ励ますことか。」と感謝します。
    それに対し、ディミィトリスは、「こんなことはなんでもないことだ。『私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない』」と、ローマの劇作家(テレンティウス)の言葉を述べます。

    生まれた国が異なる登場人物たちですが、優しさに溢れており、読書をしながら温かい気持ちになりました。それにしても、やはり食事は醤油や味噌玉(削った鰹節を炒って粉状にし、ネギと一緒に味噌に入れて球状に丸め焼いた兵糧食)で作ったお味噌汁が恋しくなるところは、異国にいても日本人だなっと読みながら思ってしまいました。

    ちなみに、鸚鵡が意外と物語のスパイスになっており、愛おしいキャラクターです。

    • りまのさん
      Reyさんへ はじめまして。
      おはようございます!
      いいね と、フォローのお返しを、ありがとうございます。
      とても、嬉しかったです。
      梨木香...
      Reyさんへ はじめまして。
      おはようございます!
      いいね と、フォローのお返しを、ありがとうございます。
      とても、嬉しかったです。
      梨木香歩さんのこの本、私も、気になっていたので、明日にでも、書店注文、しようと思っています♪
      これからどうぞ、宜しくお願いいたします。

      りまの
      2022/03/10
    • Reyさん
      りまのさん

      おはようございます。こちらこそ、いいねとフォローありがとうございます!
      りまのさんのお名前をブク友さんのタイムラインで時々お見...
      りまのさん

      おはようございます。こちらこそ、いいねとフォローありがとうございます!
      りまのさんのお名前をブク友さんのタイムラインで時々お見かけしてたので、フォローのご縁ができて嬉しいです。

      この本は、hiromida2さんのご紹介で登録しました(^^)皆さまの影響で読書の幅が広がり、日々勉強になっています。

      こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します!

      Rey
      2022/03/10
  • 昼休みに注文したランチを待ちながらラストを読んでたのですが、胸がいっぱいになって、あやうく泣いてしまうところでした。悲しいけれど、愛おしくて。
    この本を教えてくれたブク友さん、ありがとうございます。

    第一次世界大戦の時代。欧米列強の脅威と革命の萌芽に揺らいでいたトルコへ留学した村田青年の現地での生活と、その後を描いています。

    村田の下宿のオーナーはイギリス人でキリスト教徒の老婦人ディクソン夫人で。
    回教徒で小間使いの奴隷ムハンマドがいて。
    村田以外の下宿人はドイツ人のオットーとギリシア人のディミィトリスで。
    いろいろな言葉を覚えて喚く元気な鸚鵡がいて。
    しかも、色んな宗教の色んな神様が色々な怪異現象をもたらしたり!?

    異なる文化的背景と、それ以上に異なる個人の特性を、互いに尊重したり議論したり(人によっては無頓着)しながら、一つ屋根の下の生活は豊かかつ鮮やかに過ぎていく。
    あの時の生活と友人たちの記憶は、帰国しても村田の心からは消えなかったのに。むしろ、あくせくする疲弊した日々の支えになる程大切な思い出だったのに。
    第一次世界大戦と革命の激動はトルコに残る友人たちの人生に大きな影響を与えて…。

    本当に悲しくも愛おしい。
    ただただそう繰り返すしかないくらい、語彙を探すよりも胸に迫ります。
    ディミィトリスが村田に言った「およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。
    この言葉の意味は、何気ないようで、重い。

    トルコは今まで私が行った約20か国の中で一番好きな国。
    ISやシリア問題、テロの気配など微塵もなかった約10年前は、とても平和で治安もよかったのです。
    イスタンブールが国一番の観光地(特にドイツなどヨーロッパの客が多い)だからというのもあったのだろうけど、街中の割とどこでもトルコリラだけでなく、ユーロやアメリカドルが平然と使えて(当然レートはそれなりだったけど。トルコの人って結構したたかかも)。
    トルコ人と一言で言っても、アラブ系っぽい顔立ちの人もいれば、ヨーロッパ系、アジア系、それらが混じり合った顔立ちの人もいて。

    ずっと昔から、西欧と亜細亜の文明の十字路であった歴史的背景をなんだか強く噛み締めたものです。

    とはいえ…いえ、だからこそ、融合や共存だけでなく、目を覆いたくなるような対立や殺し合い、奪い合いが幾度もあり。

    梨木さんは多くの作品で、異質(自分と異なる部分を持つもの)な人やものとの共存や孤独を描いてきた人でしたが、歴史的事例を素材に書いたものの中では本作が一番好きかもしれない。

    そして、あの懐かしき日々の象徴となった鸚鵡を使ったラストよ…それこそが、一層この物語に強い余韻を残しています。

    ちなみにこのお話は、梨木さんの別作「家守綺譚」と少なからず繋がっているため、ブク友さんが先にそちらから読むように助言くださいました。助言どおりに順番に読んで、確かに「おお!」となりました。
    教えてくださって、本当にありがとうございます。

    梨木さんファンにも、そうじゃない人にも、おすすめしたい作品。

    • さてさてさん
      hotaruさん、こんにちは!
      この作品、本当にトルコの良さをとても感じられる雰囲気感に溢れた物語だと思いました。私もトルコ、イスタンブー...
      hotaruさん、こんにちは!
      この作品、本当にトルコの良さをとても感じられる雰囲気感に溢れた物語だと思いました。私もトルコ、イスタンブールを旅したことがありますが、その情景が重なる部分を感じました。そして何よりも「家守奇譚」が絶妙に効いてきますよね。その先の「冬虫夏草」にはまだ到達できないでいますが、梨木さんの世界観はとても好きです。
      またこの世界に浸りたい、そう思いました。
      2020/10/15
    • hotaruさん
      さてさてさん、こんにちは!
      さてさてさんの素敵レビューのおかげて大好きになる本に出会えて本当に良かったです。
      梨木さんの本はそんなにたくさん...
      さてさてさん、こんにちは!
      さてさてさんの素敵レビューのおかげて大好きになる本に出会えて本当に良かったです。
      梨木さんの本はそんなにたくさん読んでいるわけではないのですが、また色々読みたくなりました。
      2020/10/16
  • エルトゥールル号海難事件が機縁でトルコに考古学の留学をする村田くんは英国人のディクソン夫人の屋敷に下宿します。そこには、オットー(独逸人)、ディミトリス(希臘人)や使用人のムハンマドがいて会話が国際色豊かです。また、19世紀末のスタンブールの雰囲気も活写されます。村田くんがこうした環境で生活する日常が青春小説らしく明るさがあります。ときおり挟むファンタジーは梨木テイストです。時代がきな臭くなって、迎えるラストが切ない。村田くんの帰国先が「家守綺譚」の梨木ワールドに繋がっているなんて!

  • 『家守綺譚』に時折登場した「村田」を主人公にした物語。

    今からほんの百年前、東西の文明の交錯する土耳古(トルコ)に考古学研究のためやって来た村田。
    初めは心細い思いをした村田も、同居人達や鸚鵡(オウム)と共に楽しく暮らす。
    やがて日本に帰国し綿貫の元に転がり込む…。

    あの時代に単身異文化の国に住み、国とか民族とか主義主張等を越えた、かけがえのない友情を育んだ村田の想いがとても切ない。

    ラスト、年老いて何も喋らなくなった皆の大切な鸚鵡が村田に向かって言いはなった言葉に泣けた。
    友よ!
    ディスケ・ガウデーレ!
    楽しむことを学べ!

    • さてさてさん
      mofuさん、はじめまして
      いつもありがとうございます。

      鸚鵡については全体的にとても印象が強かったと感じました。mofuさん、お書きのと...
      mofuさん、はじめまして
      いつもありがとうございます。

      鸚鵡については全体的にとても印象が強かったと感じました。mofuさん、お書きのとおり鸚鵡の言葉にも印象深いです。鸚鵡も英語とか多国語を喋るんだとまあ言葉を返しているだけだから当たり前なんですが、ふとそんなことも感じました。mofuさんも書かれるようにとても切ない印象も受けましたが、一方でなんだか懐かしいような不思議な印象も受けました。とても印象深い作品でした。

      今後ともよろしくお願いします。
      2020/05/20
    • mofuさん
      さてさてさん、はじめまして。
      こちらこそ、いつもありがとうございます!

      鸚鵡の言葉には切なくて大泣きしました。
      鸚鵡は国も言葉も関係なく、...
      さてさてさん、はじめまして。
      こちらこそ、いつもありがとうございます!

      鸚鵡の言葉には切なくて大泣きしました。
      鸚鵡は国も言葉も関係なく、他国の人同士を結ぶ役割もあって、とても印象深く覚えています。
      こんな経験はしたことがないのに、何故か懐かしい。。胸の奥をくすぐられた気がします。

      コメントをありがとうございました。
      今後ともよろしくお願いします(*^^*)
      2020/05/20
  • あの鸚鵡に泣かされるとは…不覚。

    梨木香歩さんの作品の中でも、これは特に好き。
    民族独立のテーマは少し重いが、よろよろと頼りない足取りで近代への扉を開けてゆく真面目で融通のきかない日本人たちの描かれ方に、とても共感できる。漱石や鴎外もかくなむ。

    家守綺譚に繋がるストーリーだが、印象はまるっきり異なっていて、異文化同士の交わりの中から香り立つ面妖さが独特の空気を醸し出している。

    不思議なことに、この本を読み終えてからしばらく街歩きをしている間、鼻の奥で香辛料の混ざったような…アジアや中近東のイメージに近い香りがずっとしていた。デパートの書店でもホテルのトイレでも。

    人それぞれの神々への信仰のありようが交錯するところに最も興味を惹かれる。価値観の衝突と受容、融合は梨木香歩さんならではのもので、不穏な空気の漂う物語なのに、なぜか安らいだ。

    この作者の文化や文明、歴史や宗教への造詣の深さにはいつも驚かされるのだが、さらに、大きく腕を広げて全てを受け容れてしまう寛容さには、つい心解かされてしまうのだ。

    村田の亡くなった友人たちのために…神を持たない私も、何かに祈りたくなった。

    最後に問いたい。やはり人間は人間として生きる限り、人間に関わるすべてのものから切り離されはしないのだろうか。

    私は…切り離されることの方が幸せに感じるのだが。。

  • 以前読んだ『家守奇譚』の兄弟のような本。
    村田がイスタンブールで経験したことを描く。
    少し不思議なことも起こるが、どちらかと言えば、下宿人全てが違う人種であることからくる微妙なすれ違いや違和感などを記しているように感じる。
    その中でも、やはり梨木香歩作品には欠かせない「ありようの違う」者たちが出てくるのが面白い。リアルでありながらどこか夢を見ているかのような感じだ。

  • 明治時代にトルコへ留学に行った村田青年。人々との交流、現地での生活の様子、不思議な体験。梨木さんの他の作品に出てきた馴染みの人物や生き物も出てきて胸がいっぱいに。

  • 梨木果歩だってー?「西の魔女が死んだ」は読んだけどぴんとこなかったなー「オズの魔法使い」じゃね、「裏庭」だって「トムは真夜中の庭で」や「思い出のマーニー」なんじゃあ!? と、豊潤さ芳醇さを予感しつつも遠ざけていた著者。
    思いもかけぬ人からおすすめされて読み、単純にも、大いに感動した。
    語り手の恬淡さや、時代がかった物言いが功を奏して、面白味を齎し、きな臭さの仄かに舞う中、爽やかな味わいが作品を浸していたが、
    一転、終盤、死が充満する。
    だからこそ波状攻撃を仕掛けてくるノスタルジー、無力感。
    「主義主張を越えた友垣」、「楽しむことを学べ」、「人は過去なくしては存在することは出来ない」、そして「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」。
    小説が骨組みや肉付けをしたからこそ、読み手の骨身に沁みる、これぞ小説。

    ちなみに解説の茂木健一郎、文庫裏表紙のあらすじは、的外れ。

  • 「冬虫夏草」を読み、「冬虫夏草」とダムについて書いてる書評を探してて出会った本。
    この本は、「家守奇譚」、「冬虫夏草」のに出てくる、「トルコにいる村田」の物語で、執筆の順番から言えば、上記2編はこの物語の続編ともいえるけど、お話としてはパラレルで進行している。
    考古学を専門としている村田が出会うのは、トルコ人、ドイツ人、ギリシャ人、イギリス人、そして、彼らがそれぞれ信仰する神々たち。加えて、鸚鵡。
    物語は、第一次世界大戦前夜のトルコでの、研究や日常、さまざな人々との交流という現実世界の話と、現実からわずかにずれた、でも、それぞれの登場人物の精神世界とは繋がってるような不思議な体験が、渾然一体となって語られる。
    物語のかなめのように登場する鸚鵡がすごくいい。人の言葉をいくつか覚えてるのだけど、絶妙なタイミングで発する言葉は、含蓄がある、ように思えてしまって、ニヤリ、としてしまう。
    鸚鵡が賢いのか、鸚鵡の言葉に人間が意味を見出してしまうだけなのか。物語の終盤、悲しい出来事が続いて話さなくなった鸚鵡が、村田と再開した時に叫んだ言葉は、どちらでもあるようで、胸がいっぱいになる。
    で、この話がどう、冬虫夏草に繋がるのか、については読んでのお楽しみ、というこにしておこう。

  • 裏表紙のあらすじを読んで想像する話とは…絶対に違う、と思うのはわたしだけではないはず。
    なぜこんなあらすじ紹介になっているのか。

    基本的には、国も文化も宗教も違う登場人物たちの日常がとても穏やかに描かれている。
    宗教の違いに関しては、もの言いたげにする人物や場面がちょこちょこ出てくるが、そぶりだけで言わない。
    それは「国が違う・文化が違うから当たり前」ですませているのではなく、登場人物みんながお互いを個人として尊重しているからこそだと思う。
    そしてその個人と個人の尊重や思いやりは同じ場所で同じ時間を共有して生まれるもの。

    神様たちの縄張りの張り合い(?)や、神様に説教する村田など、ユーモアもたっぷり。
    だが、物語の後半から徐々に革命の気配が漂う。

    帰国数年後にディクソン夫人が手紙で報せてくれた切ない顛末。
    鳴かないはずの鸚鵡の一声で、かつてのみんながいた穏やかな日々に心が飛ぶ。
    切ないけれど余韻のあるラスト。


    ファンサービスというわけではないのだろうけれど、綿貫や高堂の登場は「家守」好きには嬉しい。

  • この著者は、前に『裏庭』というのを読んだことがある。
    その時は、ふんわりした話を書く人なんだなという印象を持った。
    『裏庭』は『裏庭』でよかったのだが、でも、普段は「殺人事件だ!」「ギャー!」みたいな本ばっか読んでることもあってw
    もうちょっと刺激的な方がなぁーなんて(^^ゞ
    そんなイメージだっただけに、これは読んでびっくり!
    この著者って、こんな骨太な話を書く人だったんだなーと。
    いやはや。おっそれ入谷の鬼子母神!
    って、江戸っ子かw


    実はこれ、ある方の本棚にあった本で。感想を読んでいて、妙なひっかりを感じて。
    「あ、これは読みたいかも!」と読んでみたのだが、いやいや、どうして。そんな単純な話ではなかった。
    いや、面白いのだ。淡々としているわりに。『裏庭』のような、ふんわりした感触もある。
    でも、読みながらも感じたのは、これって、たぶん、この著者なりの歴史観を描いているんだなーと。
    だからこそ、物語の舞台が東洋と西洋が交差するイスタンブールで。
    ま、その辺りの歴史は自分は疎いのでなんとも言えないが、主人公を明治の日本人にしたのは、世界(史)を素の状態で見て語らせるためなんだろうなーと思っていた。
    ただ、もちろん、著者にその意図はあったんだと思うのただ、むしろそれは余禄みたいなもので。
    著者が書きたかったことは、それよりも、西洋と東洋、キリスト教と他の宗教、男と女等々、お互い違うものを安易に融合しようというのではなく、違いを認めて尊重し合おう…、と言っちゃうと、今っぽくて、毒にも薬にもならないきれいごとになってダサいから、登場人物の言葉を抜き出すと。
    「もう止めてくれ。耐えられない。だが、貴方の話を聞いている内にわかったことがある。僕はこういうことから、抜け出したいがために西洋を目指しているのだ。理に適った法、明晰な論理性、そういう世界を僕は目指しているのだ」
    と言う日本の日本人である木下に対して、イスタンブールの人でありながらキリスト教に改宗しているシモーヌはこう言う。
    「そういう世界、知らなくもないけど。あまりに幼稚だわ。わかるとこだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう。という、そういうことよ」と。

    人(国)というのは、論理と感覚、どちらかに偏らせると、衰退したり、他(国)を侵略しようとしたり、おかしなことになる。
    論理で言う人、感覚で言う人、異なる人がいるのは、論理で言う人と感覚で言う人が意見をぶつけ合うことで、人(国)をよりよくしていくためなんだ、みたいなことを、19世紀のイスタンブールを舞台に明治の日本人である主人公に言わせたんじゃないのかなーと。

    さらには、著者なりの感性として、西洋の論理(科学性)を、(科学が)わかっていることだけではなく、(科学が)わかってないことにも適用されている状況、つまり、現代人の論理への盲信を、「何かおかしくない?」とあなた(読者)の感覚は警鐘を鳴らしてないですか?と問うているんじゃないだろうか。

    ていうか。著者が言いたいことを、そういう風に文章として書いてしまった時点で、それは西洋流の論理になってしまっているんだろう。
    著者が伝えたいのは、そうではなくて。それを言葉や文字にして理解するのではなく、この本の登場人物たちの言動から“感じてください”ということな気がする。
    つまり、“多様性が大事”だとか、“ダイバーシティ”、“お互いの違いを尊重”と言葉や文字にしてしまったら、それはその途端、西洋流の論理になってしまう。
    西洋流の論理というのは、「わかるとこだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう」なのだから、わかることが増えてくれば、論理が変わることで必然的にその価値観も変わってくる。
    でも、この物語の主人公がイスタンブールで他の登場人物との関わりで感じた本質は変わらない。
    その文字でも言葉でもない“見えないもの”を、見えないからと言って無視しようとする「論理」は人(国)をおかしくする。
    そういうことなのかなーと思った。

    上記のことは、正直まだ巧くまとめられない。他の人が読んでも、何が何やらだろう。
    でも、それを上手くまとめたら、それは「論理」になってしまう。他人がその「論理」を読んだら、それは「情報」になってしまう。
    それでは絶対駄目なのだ。



    追記
    4/11(日)、朝のNHKニュースでカズオ・イシグロのインタビューをやっていて。
    その中で、ふーん。なるほどなーと思って聞いていたのが以下。
    自分の信じたいものこそが正しい。それが真実だという、おかしな考えがどんどん広まっていると感じる。
    多くの人が、自分が感じていることだけが“真実”だと主張する、この状況を見ると、感情を描く小説家としては、とても不安になる。
    (中略)
    私たちは、自分の思いだけで突き進み、自分が聞きたくない意見は聞かないという風潮に抗っていかなければならない。
    一方で、他人の意見など聞きたくないというのも人間の性でもある。
    だからこそ、小説や本、ドラマやドキュメンタリーなどが大切なのだ。

    いや、“自分の思いだけで突き進み、自分が聞きたくない意見は聞かない”って、まさにそれがNHKなんじゃん!とも、思っちゃったんだけどさ(爆)

  • 「村田エフェンディ滞土録」(梨木香歩)を読んだ。
    綿貫や高堂の物語と繋がってはいるけれど、この物語独自の大きなうねりが読者を呑み込む。
    名作だと思う。
    それにしてもテレンティウスの
    『私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない……。』(本文より)
    は重いなあ。

  • 中東滞在者にとっては堪らないほど現地の空気が行間から匂い立つ稀有な小説。静かな詩情を漂わせながらも静かに高まるストーリーが素晴らしい。ラストのセリフが胸を打つ

  • 鸚鵡がいい味を出している。後半から狐が出てきて不思議な世界に(予想外でした)。

  • とりあえず、文庫の紹介文(「BOOK」データベースの内容も同じ)に違和感が・・・。まず、なぜ主人公を「村田君」と呼ぶ? 作中は一人称の「私」であり、呼ばれるときは「ムラタ」なのに。そして、日本への「帰還命令」以後の「第一次世界大戦」が大きく取り上げられているが、「そこじゃない感」が半端ない(それは、かなり終盤の出来事であり、ネタバレに近い)。何より、「永遠の名作青春文学」とされているが、これは「青春文学」なのだろうか? まぁ、どこに注目するかは読み手次第なのかもしれないが・・・。

    個人的には、梨木作品のもつマジックリアリズム的な雰囲気を大いに楽んだ。舞台が明治という時代の狭間であり、土耳古という洋の東西の狭間でもあるせいか、古代の遺物やら日本のお守りやら、何でも不思議とマッチしてしまう。

    登場人物もそれぞれに異なる文化や宗教をもっており、自分の考え方をしっかり主張しながらも、相手のことも尊重している。そんな彼らのやり取りから、文化の違いや変化について、考えさせられることは多かった。

    出版社も違うしタイトルからも想像はできないのだが、本作は「家守奇譚」(と、その続編「冬虫夏草」)に繋がっており、それぞれの主人公が友人として他方の作品に登場する。また、謎の一部が共有されていたりもするので、本作が気に入った方は、そちらも読むべき。

    また、異文化の下宿人が集う村田の下宿先は、著者のイギリス留学時代の下宿先を想起させた。エッセイ「春になったら莓を摘みに」で紹介されているので、興味がある方は是非。

  • もう最高峰だと思います。色気といい(色っぽい話は1割もない)、情感といい、匂いまで感じるような文章。陰影の深さ、それでいてさらりと乾いている。これだけの作品にはそうそう出会えません。心から敬愛します。長編で読ませる本は沢山ありますが、中編でここまで泣ける本は無い。文句なしの傑作です。

  • 「そしていつか、目覚めた後の世で、その思い出を語り始めるのであろうか。」
    心に残る。
    そして、そうあってほしい。

    その時、真剣に過ごした人達との思い出はいつまでも色あせることがない。

    ディミィトリス「君には君の仕事がある。」……「忘れないでいてくれたまえ。」
    そして最後の「楽しむことを学べ。」
    鸚鵡はゆっくりと目を開け…
    一「友よ。」
    胸がつまりました。

    今後の人生に必要な本の1冊。
    生活場所が変わっても部屋に置いておきたい本。

    感謝です。

    • 9nanokaさん
      最後のシーン、ほろっときましたね。喋ったぁ! って感じでした(;_;)
      ディミトリスに何があったのか、考えてしまいました。生き急いじゃった...
      最後のシーン、ほろっときましたね。喋ったぁ! って感じでした(;_;)
      ディミトリスに何があったのか、考えてしまいました。生き急いじゃったんですかね…
      青春を心の糧に生きる人もたくさんいるでしょうね。でも同じ場所に戻ったとしても上手くいかないんでしょうね。切ないなと思いました。
      2015/01/12
    • komoroさん
      確かに9nanoka さんの言う通り青春を心の糧にしている人はいると思いますし同じ場所に戻っても上手くいかないと僕も思います。
      いいこと言...
      確かに9nanoka さんの言う通り青春を心の糧にしている人はいると思いますし同じ場所に戻っても上手くいかないと僕も思います。
      いいこと言いますね~。素敵。
      2015/01/12
  • 続いて「夏の100冊」。最近になって、梨木香歩さんの書かれるものをすごくしっくり感じるようになった。よく言われるように、本には「出会い時」っていうのがあるんだなあと思う。

    これも非常に良かった。心にしみた。淡々とした調子で始まるが、次第にお話は陰翳を帯び、深みを増し、読み終わったときにはずっしりと手に残るものがある。梨木さんの小説にいつも感じる、静かな怒りや悲しみが、ここにもある。

    人と人が互いに思いやったり心を通わせていく上で、国や人種や宗教や、そういうものって大して問題じゃない。でも悲しいことに、現実にはそうしたものに縛られて人は生きていて、それをどうすることもできない。哀切なディクソン夫人の手紙を何度も読み返しながら、人の運命ということをつくづくと考えさせられた。

    • たまもひさん
      シンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

      私は大体ガサツでせっかちな早読みなのですが、これはゆっくり深呼吸する気持ちで読み...
      シンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

      私は大体ガサツでせっかちな早読みなのですが、これはゆっくり深呼吸する気持ちで読みました。
      梨木さんの文章っていつもそういうリズムですよね。今頃になって「家守綺譚」とか読んで、その世界をしみじみ味わっています。

      粗製濫造の感想を読んでくださって、ありがとうございます。ほんとに誰に頼まれてるわけでもないのに、いつも張り切って書いちゃうのはなぜかしら、とよく思うのですが、読んでくださる方があるのはとても嬉しいです。
      2014/09/10
    • シンさん
      返事がおそくなってすみません。

      いやほんと、なんで自分はこういうのを書いているのか、不思議な気がします。 私は読んだ本すべての感想を...
      返事がおそくなってすみません。

      いやほんと、なんで自分はこういうのを書いているのか、不思議な気がします。 私は読んだ本すべての感想を書いているわけではなく、『村田エフェンディ滞土録』も読み終えて、面白かったのだけど、レビューを書こうという気にはならないんですよね。この線引きはなんなんだろうって思います。つまらないから書かない、というわけでもないし。

      でもいい本ですよね。近藤美和さんのカバーイ ラストも中村智さんの挿絵も小説の世界観に 合ってて。梨木さんの本は、油彩じゃなくて水 彩画のイメージです。
      2014/09/15
    • たまもひさん
      まったく、梨木さんの世界は水彩画ですよねえ。雨や川や、湿気のある表現がとても好きです。
      私はいつも、感想を文章にしてみることで読んだ本を自...
      まったく、梨木さんの世界は水彩画ですよねえ。雨や川や、湿気のある表現がとても好きです。
      私はいつも、感想を文章にしてみることで読んだ本を自分の中に落ち着かせているような気がします。
      どんどん忘れていく加齢現象に対抗する、という面も大きいですが。いやもう困ったもんです。
      2014/09/16
  • 美しき人たちの美しき魂が私の心にも宿りました。「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。国だとか宗教だとか超越した人間としての尊厳を保ち続けたいと強く思いました。ラストに押し寄せる世相の無情さとのコントラストがあまりに哀しく涙腺が決壊。ぽろぽろ泣きながらもキラメク清浄な光を感じるのはまさに梨木さんならではのマジック。大切な宝物の仲間入りです。

  • 砂ぼこりと乾いた空気の中で深呼吸したような、ざらっとした読後感。サラマンダーかわいい。

  • 1899年、トルコ革命や第一次世界大戦前のひととき、
    東西が交差する土耳古スタンブールの下宿先で
    人種も宗教も思想も異なる仲間たちが
    中庭や居間で語らい、笑いあうのをずっと見ていたい一冊でした。

    ガラタ塔やアジを釣った橋、地理を想像しながら読み進めるのも楽しかったです。
    イスタンブールには一度しか行ったことが無いけれど、
    きっと路地裏やバザールの感じは100年前当時とあまり変わらないのではないかな。
    そういった空気や温度、匂いが思い起こされるようでした。

    最後は戦争により引き裂かれてしまい、
    あの夢のような場所は、もうどこにもないのだと、大変寂しく、出先で読んでいたにも関わらず涙してしまいました。

    神々の喧嘩や石畳に浮かぶ亡霊など、説明のつかないことも起きるけれども、生活の場として泰然と受け入れる様が印象的で、ムラタも少しずつ図太くなっていったからこそ、
    帰国後に高堂と会っても自然と受容できたのかな。

  • ★4.5
    鸚鵡に始まり鸚鵡に終わる、日独希の若者が土耳古で紡ぎ出すちょっと不思議な物語。恋愛についてはほのめかされるだけで、人間たちを描くことに重きを置いているのがいい。

  • 家守綺譚のスピンオフ、綿貫征四郎の友人村田のトルコ滞在記だ。国籍を越え、宗教を越え、同じ時間と空間を分かち合った人達の友情と別れ。切ない。

    家守綺譚では各章のタイトルが植物名だったが、こちらは主に動物名。そのためか血と脂の匂いを感じる。

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

梨木香歩の作品

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