百合のリアル (星海社新書)

著者 :
  • 星海社
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感想 : 58
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061385429

作品紹介・あらすじ

パリで国際同性婚した著者が語る、「女の子同士」のリアル
私は、女性として生まれ、最愛の妻と結婚をしました。同性愛者は“少数派”です。しかし、決して“少数”ではありません。自身が同性愛者であることを公表する人も増え、セクシュアルマイノリティの知識は、現代人の基礎教養となりつつあります。女の子同士はどこで出会うの? どうやってセックスをするの? 家族へのカミングアウトはいつ? 同性同士の結婚って可能なの? 私の経験からお話できることのすべてを、この一冊に凝縮しました。私と一緒に、「性」と「知」の冒険に出ませんか? あなたの“百合観”変わりますよ。

感想・レビュー・書評

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  • 770

  • 性別は男と女だけではないし、恋愛対象もヘテロだホモだと割り切れるものではない。多様な性についてライトな対談形式と、筆者の経験や考えなどがよくまとまっている。名前をつけて自分と切り離し、分かった気になり、イメージを共有する。妖怪発生のメカニズムと同じだと筆者は言う。「わからないものをわからないまま置いておくのは恐い。人間は、理解できないものを恐れるものだから。その未知への恐れに、名前をつけることで理解した気になり、他者とイメージを共有した、それこそが妖怪の正体だ」この部分がとても印象的だった。

  • とても勉強になる一冊。小学生の教科書にしてもいいのでは。人と関わる上で必要なことがここにあります。

    セクシャルに関する分類がたくさんあって、そんなに名前が付けられているのかと知りました。名前がそんなにあることも驚いたし、それに当てはまる人がいるということを知りませんでした。

    この本で伝えられているのはカテゴリで分けないで、その人をその人として見るということ。

    私は今それができていないと思います。LGBTに関する本は読んできていて理解がある方だと思っていました。しかし、染み付いた異性愛主義を捨てることは難しく、今周りの人間を傷つけていないか心配になってきました。

    【人間は、理解できないものを恐れるものだから。その未知への恐れに、名前をつけることで理解した気になり、他者とイメージを共有した】
    本文中の一文です。その通り過ぎて心に深く刻むべきだと思いました。

    何度も定期的に読み返し、この本が伝えたことを忘れないようにしなければと思います。

  • 無知に怯えるのは、誰しも同じなんだなーと思いました。
    指紋ほどに性とは多様なものだけれども、
    一人ではない「属するものがある」と知ることは、
    私にとってはすごく大切でしたね。

  • *

  • モテるとはなんだ? 普通の男女恋愛ってなんだ? とSimi labばりに切り込んでいく。違うのは「んなもんガソリン火つけて燃やしちまえ」という態度でなく、立ち止まって見つめなおしてみようとするところ。

    著者がレズビアン・ライフ・サポーターであるからレズビアンの方を中心に語っているけれど、同性愛者のみならず異性愛者(つまりは自分を普通だと思っている人たち)にも天啓の一冊となるだろう。

  • レズビアンのことが分かるという期待を超え、自分とは何か?を問いなおせる本。LGBTやセキシャリティに疑問を持つ人は、この本を読むことで何らか得られると思う。

  • 牧村朝子さんが「モテる」という言葉から「セクシュアルマイノリティ」について解きほぐす本です。もともと「百合」「星海社」というキーワードで、創作系の「百合」という意味だと勘違いして読んだ本でしたが、読んで良かったと思いました。全体的に軽いノリなのですが、内容はいたって真面目。同性愛に賛成か反対か別にして、誰もが知らなければいけない、また考えないといけないことだと感じました。読みやすいので、ぜひ若い人に読んでもらって考える糸口にしてもらいたい。タイトルは勘違いするので、もう少しなんとかならなかったものか。

  • LGBTQの本棚から
    第40回「イメージはイメージ、個人を見よう!」

    今回紹介するのは『百合のリアル』(牧村朝子)です。

    この場合の百合というのは花ではなくて、女性同士の恋愛のことを指します。
    百合=女性同士の恋愛
    薔薇=男性同士の恋愛

    GL(ガールズラブ),BL(ボーイズラブ)とも言ったりします。

    まあこの表現は実際のことより、漫画やアニメ関連のことに使われる言葉という印象です。

    本の紹介に戻りますと、この本は、とある講座の先生と4人の生徒の対話形式で、ちょこちょこ漫画をはさみつつ書かれていて
    『モテるとはなにか?』
    から始まります。

    そこから
    ・ジェンダーロール(性役割)
    ・異性愛規範、異性愛主義
    ・自然界での同性愛
    ・性別の定義って?
    などなど…
    いろいろなことを考えていくんです。

    まずは『ジェンダーロール(性役割)』
    性役割とは男は、女はこうあるべきだというような性別によって持たされる役割のことです。
    「男性は働いて、女性は専業主婦」みたいな……。

    この考え方、セクマイじゃなくても嫌だったりしっくりこない人も少なくないのでは?

    こういう役割や『オス/メス、男/女』という二分法にとらわれてしまうと、その中での個体差を見失ってしまって
    『自分はこうあるべきだ』と思い込んでしまったりするそうです。
    社会的な役割はあくまでイメージであって "決まり" ではない、ということを忘れないようにしないと……。

    『男だから奢ってくれて当然』
    『女だから男をたてないと!』
    と思っていて、相手がそうしてくれないとイライラする……、なんて誰も得しないし、バカらしくないですか?
    イメージはイメージ、相手は個人。
    目の前の、生きて実在している人を尊重するほうがずっと大事なのでは?

    といってもそんなイメージに囚われて相手個人を見られない人がたくさんいるのが悲しい現実です。
    大切なのは
    『集団の傾向や関係を、あくまで集団のものとしてとらえ、個人に押し付けないこと』
    です!

    そういうことを言われてムカついたら
    「あなたにとってはね!!」
    と心の中で(口にしてもいいですが)言ってやると、効きますよ(笑)。

    さて次の話は僕が最近力説された話が関係してきます。
    恋愛の話から性欲がどうとかの話をしていて、その人は
    『種の存続が生命の第一の存在理由だ』
    『だから子孫を残さないのは生物として間違ってる』
    といいました。
    僕は
    「でも性欲がないひとも一定数いますよね」
    とささやかな反抗をしてみましたが
    『大多数の中での少数は異常になる』
    そうです。
    (あなたにとってはね!)

    僕がFtMと知っていて言っていたら相当性格が悪いと思いますが多分知らないと思うので、純粋にそういう考えの人なんでしょう。

    確かに大多数の中での少数は異常ともとれますけど、大多数の中で少数であったところで何か問題があるかと考えると、僕は特にないように思います。

    だから何か言われたからといって、自分を責める必要はないでしょう。
    少なくとも僕はそう思います。

    余談ですが同性愛は人間だけ!
    という人がたまにいるんですが、450種の動物に同性愛的行動が記録されてるそうです。
    自然界に存在するなら、同性愛もまた自然の一部なのではないでしょうか。

    最後に
    『女性って誰ですか?』
    という話題が出てきます。
    『女性器がある人ですか? 子どもを産める人ですか? 戸籍に女性って書いてある人ですか? 女の格好をする人ですか? 自分を女性だと思っている人ですか? あなたにとって女性だと思える人ですか?』

    う〜ん…
    そう聞かれると明確な基準ってないよなあ…

    僕は戸籍上は女性だけど、僕に会って女性として見る人はほとんどいないと思いますし…。

    つまりそんなものは曖昧で、個人の見方や解釈によって大きく変わるものなんですよね。

    だから大事なことは
    『相手を個人として考えること』
    『自分のことも個人として考えること』
    だと、この本は教えてくれました。

    この本のはじめに
    『この本は、レズビアンのためだけの本ではありません。同性愛者の自伝でもありません。』
    とあります。

    読んでみると確かにそうで、誰が読んでも何かしらいいヒントが得られそうに思います。

    特に
    ・ジェンダーロール(性役割)に疑問を持っている人
    ・自分の性のあり方に悩んでいる人
    にはオススメです。

    もちろんそれ以外の人も、教養として新しい知識を身につけたいかたにも……。

    学校図書館に置くなら中学校からがいいかなーと思いますが、ちょっと難しそうな、見慣れない漢字にはルビがふってあるので、小学校高学年でも読めると思います。

    ぜひ読んでみてください!

    2018年03月12日

  • 確か2年ほど前に「この本、いいよ」と言われたことがあって、それからいつか読みたいと思いつつ、今になってしまった。というのは、つい最近知り合いが「レズビアンのことが知りたい」と言い出して、そのときにこの本を思い出して薦めたのだが、自分が読んでないのに薦めるのもなんかおかしいかなと思ったのだ。

    「本当のモテを考える恋愛セミナー」で集まってきたのは、シスヘテ男女2人、MtFレズビアン1人、自分のことはまだよく分からないけどもしかしたらレズビアン?1人の計4人がレズビアンの先生にいろいろ教わる、という体裁を取っていて、各章の導入部分が漫画なので、入っていきやすく、またほとんどが登場人物5人の会話形式なので読みやすい。

    題名の「百合のリアル」って何?という話なのだが、多分別の「リアル」なものを求めていた人にとっては「なんじゃこりゃ」な話になると思うが、一方で確かにこれがリアルだよなあ~とは思う。ただ、ここにも書かれているように、これはいくつかの例を挙げたに過ぎず、ここに書かれていることだけがすべてじゃない。著者の牧村さんは自分がレズビアンであると言うことに対し、いろんなことを悩み、考え、いろいろ経験し、そしてその結果「自分はレズビアンである」という考えに達したようだが、わたしは「自分がレズビアンである」と言うことに対しては全く悩んだことがない。「なんだ、そうだったのね」程度にしか思ったことがない。そういう意味でもこの本で挙げられていることはほんの一部に過ぎなく、これを読んですべてが分かるわけではない(ということを著者もあちこちに書いている)。

    まぁこの本はレズビアンについて、というよりも性のあり方、要するにセクシャリティについて一緒に考えてみましょうみたいな話もある。また同性愛者をめぐる法律的な話(いわゆる同性婚)に対して、自分はどう関わればいいのか。レズビアンはどうやってセックスをするのか、という話からセックスをする、ということは結局どういう意味を持っているのか。あとはカミングアウトの話もあった。そういう意味では「性を巡る考え方」全般について触れた本だと言えると思う。そういう点ではなかなかいい本だと思う。

    が、最後の章の著者の考え方とわたしの考え方はちょっと違っていて、まぁこの部分はこの人の考えなので、別に否定はしないけど「誰もが加害者に成り得る存在で、誰もが被害者に成り得る存在」と結論づけるのは、わたしはあまり好きではない考えだ。というのは、同じ人格を否定する言葉を投げつけられたとしても、多数者と少数者ではその受け取り方が違うとわたしは思うからだ。多数者は例え「多数者である部分」を否定されたとしても、自分が異常でこの世から消えてしまいたいとまでは思わないだろう。しかし、少数者にとって「少数者である部分」を否定されると、自分が異常でこの世から消えてしまいたいと思ってしまう人もいる。そのことで悩む人がいる。だからこそ、少数者なのだ。

    (例えばシスジェンダーへテロセクシャルに対して、性的少数者が「シスヘテのくせに」と言ったとしても、シスジェンダーへテロセクシャルは自分がシスジェンダーへテロセクシャルであることについては、それが「普通」でそれが「多数」だから、そこの部分については何も悩むべき要素がないと言うこと)

    そう考えるのは、別にわたしがシス異性愛者に対してひどい言葉を投げつけたいから、というわけではない。わたしには、いわゆる「ヘイトスピーチ」は多数者に対してはヘイトスピーチたり得ないということが常に頭にあるからだ。そういう意味では日本国内では圧倒的多数者である日本人に対する「日本人ヘイト」は有り得ない(こう断言するのも、実はちょっと違う部分もあるのだが(日本人であることについて悩む人もいなくはない)、でも「日本人ヘイト」という言葉を使う人に対しては有り得ないと思っている)。なので「誰もが被害者になるし、誰もが加害者になる」と言ってしまうのは、ある意味、少数者であり人格を否定されて悩んで自分をこの世から消し去りたいと思う人に対し、その人に向かって差別発言をした人(加害者)から「お前も加害者になるから言葉遣いに気をつけろ」と言われているようで、このことはとてつもなく少数者に対してきつい言葉になり得ると思う(というか、現実的にこういうことは頻繁に起こっている)。なので、わたしはこのような考え方については否定的な立場を取る。

    「レズビアンはどうやってセックスをするのか」、これについてはわたしも興味があった(笑)そういう意味ではすごくこれを書くのには勇気が必要だったと思う。が、んー。これがレズビアンのセックスの王道なのかな。今まで読んだことがあるものとさして変わりがないような印象。。(今まで読んだことがあるもの→「女を愛する女たちの物語」とか「アニース」「カーミラ」等)てか「貝合わせ」、やる人はやるんだ。。そこだけは「へー」って思った。ちなみにわたしはやりません。あれで気持ちがいいと感じたことはない。あっ、まてよ。ここでもし「実はディルドを使います」なんてことを書いたら、この著者に対して変な妄想を抱く変なヤツが出てくるかも知れない。ということを考えてさし当たって無難なセックスの仕方を書いたのかも知れない、と思うのは深読みのしすぎか。。ただ、道具を使うことを異様に嫌うレズビアンが多いのは確かなような印象をわたしも持っている。

    その他、4点ばかり気になることがあった。

    1点目。
    53ページ。SRSしていないMtFは名前が変えられない、とあったが、名前を変えるのは、SRSしている、していないにかかわらずできるはず。1年間だったか、一定の期間、その名前で暮らしていて、家庭裁判所に訴えれば名前の変更は認められます。これはシス、トランス関係なく自分の名前は変更できる。確か妹尾河童さんの元の名前は違う名前だったんだけど、長年「河童」を使ってて、今や親兄弟まで全部その名前で呼ばれてるということから家庭裁判所に訴えて変えられたというのを30年ほど前に聞いたことがあるし、わたしの友人でSRSしてないトランスの人も名前を変えている。なのでこの記述は誤りなのでは。。

    2点目。
    60ページ。「モノアモリー」という言葉。日常でこの言葉を聞くたびに「本当にその言葉ってあるの?」って思っていた。こういう英単語が昔から存在しているかというと、おそらくない。その証拠に「monoamory」で検索を掛けると約3,010件しか出て来ない。一方「monogamy」で検索を掛けると約3,980,000件出てくる(2017.5.24現在)。「monoamory」という言葉は「polyamory」の対義語としておそらく最近作られた言葉(あったとしたら)だと思う。もう一つ、「monogamy」の対義語として「polygamy」という言葉がある。ちなみに「polyamory」「polygamy」の方は検索を掛けると、それぞれ約2,430,000件、約8,580,000件出てくる。いずれにしても約3,010件よりは桁違いに多い。

    意味の違いは「~gamy」の方は制度を示している(一夫一婦制、一夫多妻性または多夫一妻制)言葉で、「~amory」の方は関係性を示している(一対一で付き合う人、複数同士で付き合う人)言葉だ。この検索件数の結果から考えると、英語でも「一対一で付き合う」という関係性を持った言葉が今までなかった、と考えられる。というのは、一対一で付き合うことが「普通」「多数」で、そこに名前など必要がなかったのだろう。それは「同性愛者」に対する「異性愛者」という言葉と同じ道をたどっているようだ(103ページにちろっとそんなような話が)。

    もちろん、英語にないからと言って、こういう言葉はありませんというつもりはない。Xジェンダーだって、日本でしか通じない言葉だし。ただ、使うのには要注意なのかな~という感じがする。約3,010件、検索に引っかかってくる英文に何が書かれているのかは分からない。もしかしたら新しくできた「monoamory」という言葉についての議論なのかも知れない。興味深いところだが、わたしは英語が読めないので仕方がない。

    3点目。
    134ページ。各種公正証書の活用の相談先に行政書士がない!(笑)確かに公正証書を作成するのは公正役場だし、登記は司法書士の仕事だが、行政書士だって各種公正証書の案は作れるし、実際公正証書を作るお手伝いをしていたり、公正役場で証人になる行政書士も多いのだが。。その前の項の養子縁組についての相談先には行政書士が入ってるのに、公正証書のところで入ってないのがすごく気になります(笑)

    4点目。
    この本全般的に。確かにAセク、非性愛、無性愛のことは用語の説明として触れられているは触れられているが、話の始めが「モテ」だったからだと思うが、誰も好きにならない、恋愛することだけが人生の楽しいことではない、恋愛をしなくてもおかしくない、愛が全てではない、その言葉が一言欲しかったな。。全般的に性的少数者への配慮が行き届いている中で、そこが惜しかったと個人的には思います。

  • 人に薦められて読んだ本。同性愛者とか異性愛者とかそういうようなおおざっぱな枠組みにしばられるんじゃなくて、自分が好きだって思える人をまっすぐ好きでいることが幸せなんだろうな、って思いました。やさしい気持ちになれる本です。

  • その手の人たちには生死に関わるほどの問題なんだろうけど、そうでない人にしてみれば、忌憚なく言えばどうでもいい・関わりたくないと捉えられていることは変わらない。その現実を無視してジェンダー論を弄ぶかのように細分化先鋭化させても、マジョリティは離れていく一方である。理解ある人も多い海外からジェンダーの概念を輸入するより、日本の人心風土に即した解決策を見つけなければならないのでは?
    加えてヘテロ憎しを隠そうともしない著者もどうかと。そこさえ我慢してればジェンダー論を学ぶ本としては悪くないのに。

  • 『同居人の美少女がレズビアンだった件。』を読んでから、牧村さんの新書を手にとって読み始めるようになりました。『同性愛は病気なの?』と合わせて購入し、最後まで読まさせていただきました。

    メインはレズビアンの話のようでいて、内容はしっかりした「ジェンダー/セクシャリティ」全般に関する入門書です。いろんなキャラクターが出てくる対話形式なので読みやすくていいですね。何もレズビアンに限らず、どんなセクシャリティの人が読んでも面白く読めるのではないでしょうか。

    しかし、複雑で分かりにくく取っ付きづらいセクシャリティの話を、非常にラフで分かりやすい言葉に落とし込んで書けるというのはすごい。「性のあり方」について考えるということには、どうしても自分の体験を通した先入観が最も強烈に働くがゆえに、理解しようとする前から拒絶反応を示してしまうということが付きまとうものです。この本ではそこをうまく解きほぐす工夫が全体的に行き届いている。「モテ」という、レズビアンに限らず多くの人が悩むところに間口を設けるというのもその一つですが、ここらへんはもうさすがという他ない。そして、こういうラフなところから間口を設けていながらも、内容まで単なるラフということはない、やはり背景としてものすごく勉強してらっしゃることも伝わってくる。『同居人の…』で牧村さん自身のライフヒストリーを読まさせていただいたこともあって、決してご自身で悩み考え抜いてきただけでなく、多くの人と対話する中でご自身のセクシャリティと向き合ってきたということがあって書ける文章なのだと感じられます。

    にしても、「モテ」ってなんでしょうねぇ。「誰かしら彼氏/彼女を作らなければいけない、彼氏/彼女がいない自分は未熟なんだ」という強迫観念でしょうかね。「自分の性欲のはけ口が欲しい!」という貧困から来る飢えなんでしょうかね。私はこれまで「モテたい」という欲求をどこか「生殖本能」だとか「動物として当然の欲求」だとかと考えて、無疑問的に肯定してたところがありました。そういう中で、「世の中には男と女の2種類しかいない」「男は女を愛し、女は男を愛するものだ」ということを当然、常識、普通、自然なこととして、そうでない人を異常だと、変わった性癖なのだと考えるということがあったのだと思います。
    セクシャリティの多様性というところに目を向けると、そういうことが決して当たり前でないことをまず知らされます。そして、当たり前でないことを知らされると同時に、当惑が起こります。同性愛に関して言えば、例えばこんなところでしょうか。「同性愛は異性愛とどう違うの?」「そもそも本当に愛なのか、愛は成り立っているのか?」「何か愛でないものを愛だと勘違いしているのでは?」……。このような「未知に対する当惑・疑念」をどう乗り越えていけるのか。ここに根本的な課題があります。百合に限らず、多様なセクシャリティを生きる人達の「リアル」をなぜ私達が知らなければいけないのか。「未知に対する当惑・疑念」故に自分も他者をも傷つけてきたからです。性差別においては、誰もが加害者であり被害者だと思います。

    私はこの本を通して、「自分」という性のあり方を受け取っていくことが本当に大切なことなのだということを教えられました。そして、「自分」という性のあり方に立てば、そして自分以外の人もそれぞれ固有の「自分」という性を生きている人だと思えば、ある意味我々は皆「異性愛者」だとも言えるのではないでしょうか。「性のあり方は誰かと同じでなければならない」ということすら、やはり強迫観念でしょう。誰もが異なる性のあり方をしているし、誰一人として同じ性のあり方をしていない。そこに立って、では「自分と異なる性のあり方をしている他者とどのようにつながって、愛していくか」を考え直さなければならないのだと思います。

  • これまでクィア理論やゲイスタディーズはゲイ男性の側から語られることも多く(語られたとしても多くはフェミニスト女性の立場からだった)レズビアン女性は長らく沈黙の時代が続いていたので、違和感を覚えるセクマイ女性も多かったことと思う。その意味ではこの本はかなり画期的な著書と言えるのではないだろうか。牧村さん自身の体験も交えつつ、対話形式でLGBTについてより細分化された基礎知識が語られている。セクシャリティについて悩む思春期の子たちにも読んで理解を深めてもらいたい一冊です。個人的には泣けた。

  • レズビアンだけでなく様々な性の種類に対する考察。
    導入に漫画があるのが良いですね。
    オスとメス、男と女は違うという事。

  • 16.apr.4

    レズビアンとセクシャルマイノリティ、それを定義する社会、さまざまな視点から噛み砕いて書かれている良書。

    私は差別をしない、マイノリティを理解したい、という一心で、世の中が貼ったラベルに固執気味だったことに気づいた。
    「レズビアンの人はこう考える」という決めつけをしかけていたと思う。そこに気付けたことが大きい。

  • マジョリティと思われる人々にも、必ずマイノリティとなる要素があると思う。
    性的指向に限らず、自分のことに置き換えて想像力を働かせることが、出来るかどうか。

  • 某日本人妻を訪ねる番組で、フランスで同性婚をした女性、ということを覚えていたので気になって買いました。
    セクシャルマイノリティだけの話じゃなくて、多様性を認めるという話に繋がるのかな。何かの枠に人を当てはめたがるのはよくやってしまいがちだな~と感じます。分からないから分類したい。自分と他人という枠で括りたくなる気持ちはまだまだ消えないかもしれないけど、もっと想像力豊かに相手のことを理解して、自分ができる意識の変化をしていければいいなと思いました。

  • 『百合のリアル』という題ではありながら、所謂「百合」の話はほぼ無く、レズビアンについても後半にやや詳しい話が出る程度。「モテるとはどういうことか?」という単純な問いから始まり、「集合体ではなく、個人として自分や相手、社会を見ることが大切」という結論に達する。つまりこれは、LGBTをきっかけに人生について考え始めた人への人生指南書のようなもの。と、いうわけで、二次元ではない三次元という意味で「百合のリアル」を知りたくて読むと拍子抜けするかな。ホモとかゲイとかレズビアンってどーいうこと? って人はもちろん、人間関係むずかしーい、或いは僕って何状態の人にもおすすめ。セクシュアリティよりパーソナリティ、という、界隈では有名なフレーズが、以前よりぐっと説得力を持って聞こえるようになる。

  •  タイトルが悪い。
     百合だけではなくもっと、広いターゲットにアピールできる本だと思う。
     モテるってどういうことなの、好きってどういうことなの?という、ごくシンプルな問いに対して、正解はなく、自分の中で答えを出すしかないということをわかりやすく示した本。この「なるほど」と思わせる明快さはすごい。
     カテゴリ分けではなく、タグを着けたり外したりという考え方はいいなぁと思う。恋愛に限らず、ついつい「この人はこういう人だ」とカテゴリ分けをしてしまうけれど、タグだよなぁと。
     作者さんは実際に女性と結婚されてるからこのタイトルなんだろうけれど、どんな人でも読んでほしい。むしろ高校生くらいの時に読みたかったなぁ。

  • 性的指向はヘテロセクシュアルとゲイとレズビアンとバイセクシュアルだけではなくて、パンセクシュアルとかアセクシュアルとかたくさんあって、しかもそれですべてではなくて、名前ついてないのもたくさんあって、もはやおそらく一人ひとり違うんだろうな、って。可愛い系が好き・キレイ系が好き、あまーい人が好き・ツンデレが好き、みたいなレベルの話で、ほんとに同じ好みの人はいなくて、どれもいい、みたいな感じなのかなあと思った。
    あと、トランスジェンダーの人でも(今回はこの呼び方で許してほしい)全員が性転換手術を受けたいわけじゃないってのも知らなかった。トランスジェンダーでレズビアンとかもありうるってのも思いもよらなかった。
    他のセクシュアルマイノリティーズに関する本より当たりが柔らかくて、基礎知識が手に入ってよかった。知ってますます、カミングアウトされた時の接し方の正解がわからなくなったけど、でも無知識の欠如で傷つける可能性を減らしていければいいなと思う。とりあえず、ヘテロの友だちと同じ感じで、「彼氏(彼女)いるの〜?」みたいな感じかなあ。

  •  自分のジェンダーを通じて、自分を理解するきっかけになる本――それが、この本を読み終えた後の率直な感想だ。

     そもそも、私がこの本を購入した理由は、タイトルに心が惹かれたと同時に、LGBT論についての本を求めていたからだ。
     が、この本は今までの同性愛者による同性愛論にありがちだった、異性愛者敵視の雰囲気は受けなかった。そうではなくて、この本が言いたいコトは、ジェンダー・アイデンティティについての論証のひとつなのだ、という印象を強く受けた。

     それゆえに私は本書をLGBTの方々や、いわゆる「百合」「薔薇」を愛する方々のみならず、むしろ上記の三つを毛嫌いする方々こそ読むべきだと強く思っている。その理由は読者一人一人が自身の性理解を再確認するためである。

  • 百合のリアルというタイトルに惹かれて手にとって見たけれども内容はレズビアンだけじゃなくて、すべての人に向けてのジェンダー論、人としての在り方、性自認といった真面目な内容。

    タイトルから連想されるレズビアンだけに向けたお話でもレズビアンの自伝でもありませんので、そのあたりはご注意を。

    さまざまな立場の人たちとの対話形式で進んでいく。
    難しい言葉を使わずにとてもわかりやすい。

    いろいろな人に読んでもらいたい一冊です。

  • 発達障害だったり思想的に少数派な立場からすると、
    性的少数派には共感も持てるし、
    どうしても理解できないところもある。
    マイノリティーの世界って、そう単純ではないし、
    理解されず排除される理不尽さも分かり合えないもどかしさも孤独もある。
    かなり入り組んでいる。
    だからこそ、面白い。

    少数派が、差別されなかったり、圧迫されない社会はすぐにはできないだろうけれども、
    そういう社会を作るように働きかけることはできるはず。

  • 『「性に対するあり方は、無理には変えられないものなのよ。それは誰にとっても同じだわ。そうあること自体は、間違ったことなんかじゃないのよ」』(p198) 「性を手がかりとして、自分を知るため」の本だと思った。言葉で分けられない気持ちは、割り切る必要なんかなくて。何が普通かそうでないかなんて決定的なものもなくて。凝り固まった常識を一旦外して、自分や他人を見つめなおしたらどうか、と提案してくれる優しさを終始感じた。タイトルで何かが限定されそうなのが惜しいなぁと思うくらい、本当に幅広く考えられる良い本だと思う。

  •  LGBTの解説書のような内容で、会話形式であったり漫画があったり大変読みやすい。
     性アイデンティティを区別するにも様々な概念があると紹介されているなか、私は性別を区別すること自体意味がないというポモという概念が気に行った。

  • タイトルがもったいない。レズビアンはもちろん、ゲイも異性愛者もそうでない方も、セクシャリティの違和感有無に関わらず手に取って読むべき一冊だと思いました。

    自分自身の事がよくわからないため、最近この手の本を読んでいます。自分はどのカテゴリーに入るのか、そればかりを追っていました。でもこの本を読んで分かったことは、それは無意味であるという事。第三者の理解を助ける「箱」にわざわざ入る必要はないという事。人は十人十色、各々それぞれ色々です。

    「自分」を生きる第一歩となりそうな本でした。

  •  LGBT入門として読んだ。牧村さんという事例を通して、当事者にしかわからないであろうことも書いてある。LGBTを理解したい、と考える人に薦めたい。

  • 想像していたようなマイノリティの声を聞け!みたいな感じではなく、まず読者が抱いているジェンダーやセクシャリティに関してのバイアスをならしているので、考えやすい。

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著者プロフィール

タレント、文筆家。2010年度ミス日本ファイナリスト。13年、フランスでの同性婚法制化を機に結婚。芸能事務所・オフィス彩に所属してテレビで活躍。並行して、『百合のリアル』『同性愛は「病気」なの?』(ともに星海社)、『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』(イースト・プレス)などの著書を刊行。17年に事務所から独立し、「脱婚」。LGBT関連にとどまらず多面的に活躍中。

「2017年 『ハッピーエンドに殺されない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

牧村朝子の作品

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