動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 講談社 (2001年11月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061495753
感想・レビュー・書評
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うまく時代の表層の流れは捉えている。
最後のゲームyu-noの紹介は実例として面白いが、妥当性があるのか、筆者が言う通り深読みではないのか、その疑念を晴らす作業が欲しかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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現代のオタク文化は二層構造であち、二重になっている複雑さを持つ。大きな物語、小さな物語の物語消費論が興味深かった。
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2年前にちょっと読んだ
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現代日本(2001年の本だが)について、アニメなどを通して考えている本。
自分の勉強不足で哲学的な流れを理解できていないが、今の思想について雰囲気はつかめたと思う。
<メモ>
データベース的 -
これは難しすぎて途中で挫折。
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異世界もの(転生するとか召喚されるとか、まぁ、その辺の細かいとこはどうでもいい)が雨後の筍みたいになっている理由は、これを読めばわかる。
異世界ものの読者が求めているのは、「小さな物語」という表層が与えてくれる「効率的な感動」「そこそこの面白さ」と、「データベース」に蓄積されている設定の、目先の変わった組み合わせだけだから、量産できるし、既視感満載の作品しかない、ということらしい。
むしろ、既視感ありき、なんだそうな。
なんせ、大事なのは創造じゃなく引用の巧みさだから。
そして、オリジナルとコピーの区別が消滅してるから、原作と言われる作品さえ先行作品の模倣と引用のパッチワーク。
さらに、現実世界が「大きな物語」の凋落によって強いリアリティを持てずにいるから、もし、その引用と模倣のパッチワークに「大きな物語」を与えようとしたら、もう剣と魔法の世界としてしか想像できないのだと。
なるほどねー。
あと、キャラクター小説に私が入り込めない理由がわかった。「物語」と私が考えて読み取ってきたものが、そもそも構造的に排除されているからだった。「効率的な感動」を求めてない読者を、この作品群は求めてない。
しかも作品全体の構造からしたら必然も文脈も無視してブッ込まれる「みなさんご存知!ほら、あのキャラの、あの萌え要素ですよ!ね、ショートヘアのドジっ子メガネでしょ??ね???(そういうキャラがいるのかは知らないけど)」的な描写に共感できないとこにいる人間だからだった。
ちゃんちゃん。
でもなぁ、文芸作品、って言って紹介されてる作品にもだいぶ紛れ込んでるんだよなぁ……わざとやってるならまだしも、自覚なしにやってるんだったら……ちょっとなぁ…… -
予想より読みやすかった。図解も手伝って筆者の言わんとするとこが、よく理解できる。アニメ、オタク文化をよく知らないのだが、そこも問題なく、むしろ楽しめた。もっと著者の本を読みたい!と思いました。
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東浩紀の思想を象徴するかのような一冊。大きな物語から、小分けにしてソフト販売していくというような発送は、非常によく分かる。世のコンテンツは、機能・仕様と共に、その物語が付随する。例えば、誰が、どれだけ苦労して作ったか。作品そのものと同じ位、そうした背景が重視される。しかし、本著はもう少しコンパクトな内容にできたのかな、と思う。
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ポストモダンの精神構造、社会構造をオタクの文化をもとにして分析した本。
示唆に富んだ内容であり、とても面白かった。東浩紀氏の造語がたびたび登場してくるが、どれも言いたいことを端的に言い表したストレートなネーミングによるもので、難解とは感じない。
20代前半の私からすると文中に挙げられるアニメ・ゲームは馴染みのないものばかりだったが、90年代や2000年代前半の時代を理解する上では参考になった。本書の刊行から約20年が過ぎたわけだが、オタク文化、ひいてはポストモダンも新しい次元に入ったように思われる。この点に関しては新しい著作などで分析してくれることを期待している。