憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061591158

作品紹介・あらすじ

「憑く」という語の本来の意味は、事物としてのものにもともと内在する精霊や、異界の神霊などが、別の事物としてのものに乗り移ることを意味していた。本書は、こうした憑依現象を手懸りにして、狐憑き、犬神憑き、山姥、式神、護法、付喪神など、人間のもつ邪悪な精神領域へと踏み込み、憑依という宗教現象の概念と行為の体系を介して、日本人の闇の歴史の中にうごめく情念の世界を明らかにした好著。

感想・レビュー・書評

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  • 憑き物や憑き物筋、それに関連する妖怪は知っていたけど、その本質(「つき」とは何か、憑き物筋はなぜ恨まれるのか等々)に関して、改めて基礎的な知識を得るのに役に立った一冊。
    「急に裕福になった」が周囲からみて「恨み妬み」としてとらえる思想の根底にある『限定された富』は、憑き物根深さと、SNS時代になった今も別なかたちで新しい憑き物筋(誹謗中傷・陰謀論)を産み出していることを感じさせた。

  • 「憑く」という語の本来の意味は、事物としてのものにもともと内在する精霊や、異界の神霊などが、別の事物としてのものに乗り移ることを意味していた。

    「学術文庫」版まえがき
    はしがき(原文)
    1 「憑きもの」と民俗社会
        ―聖痕としての家筋と富の移動―
    2 説明体系としての「憑きもの」
        ―病気・家の盛衰・民間宗教者
    3 《呪詛》あるいは妖術と邪術
        ―「いざなぎ流」の因縁調伏・生霊憑き・犬神憑き
    4 式神と呪い
        ―いざなぎ流陰陽道と古代陰陽道―
    5 護法宇信仰論
        ―治療儀礼における「物怪」と「護法」
    6 山姥をめぐって
        ―新しい妖怪論に向けて―
    7 熊野の本地
        ―呪詛の構造的意味―
    8 器物の妖怪
        ―付喪神をめぐって―
    9 収録論文外題
        ―あとがきにかえて―
    解説 佐々木宏幹
    索引

  • 憑霊信仰論

  • 日本における憑依(「つく」)現象を人類学的視点から分析、日本文化の真相の解明を試みる書。従来までの日本民俗学における憑きもの論の再検討、及び新たな分析モデルの構築を通して、日本人の奥底に潜む情念の世界――日本人の世界認識の仕方・価値方向の位置づけについてを考察する。
    本書は、著者が1972-82年の間に出した論文八篇を一冊の本にまとめたものである。今日妖怪研究の第一人者として知られる著者が本格的に妖怪研究へと舵を切り始めた時期に執筆されたこれらの諸論文は、従来までの日本民俗学による研究視点に再考を促しつつ、人類学の視点から新たなモデルを提示する刺激的なものとなっている。本書は石塚尊俊ら先行する日本民俗学の憑きもの研究への批判から始まり、憑きものを中心として高知物部のいざなぎ流、陰陽道、護法、妖怪といった日本人の「闇の世界」を論じていく。
    本書において中核をなす憑きもの論の特徴は、「憑きもの」(「つく」)という概念の定義を大幅に広げ総括的な研究を説いたことにある。「憑きもの(つき+もの)」とは説明のつかない現象に対し"みせかけの"説明を与える為の言葉であり、それ自体には特定の意味を有さない空虚な概念である。それは宗教者によって具体的内容が決定されるが、あくまでもそれ自体には善悪の価値判断は存在せず、また人のみならず家などにも憑き得るものである。それ故に憑きもの研究においては、憑きものを巡る社会の構造などを踏まえた総括的なものでなくてはならない。著者のこの憑きもの論は、先行する憑きもの研究の視点を踏まえその限界を乗り越えようとする総決算的なものに思えた。

  • 憑き物が聖痕(あるコミュニティだけありがたがられるもの)であり、マナが過剰についた状態であるとする説を説く。解説の人は、自身の魂観もマナなんだが、そういうのを無視している。
     なんとなく いざなぎ流に関するざっくりした説明が一応ある。式神の対戦はポケモンと似るなどと言われるが、本書によれば最強の式神が何なのかがわからない。
     文庫化にあたって器物に関するもの、熊野の本地と鉄輪、牛の刻参りへの影響を説く。

  • 読んでた時点ではとても面白かったですが、途中に間が空いて読んでいた内容を忘れてしまって最初から読み直し、また間が空いて……の繰り返しです。とうとう買ったことさえ忘れ、つい面白そうだと本屋で買ってしまい既に持ってたことに後で気付いたという……。
    そして、まだ読み終わっていません…………。

  • 最初の論文は「姑獲鳥の夏」で言ってた奴と同じ感じだったのでなかなか面白かった。以降の論文は別に読んで無い

  • 遠い昔、私が母と祖母が話していた会話を聞いたこと。
    「あの人は犬神さんだから」大人になってなんのことやら、と思っていた。
    それがこの本で解明されました。

    現代の世の中では犬神も何も日本人の万物に対する信仰心さえもうないのですから・・・・
    日本の薄暗い部分、霊や妖怪、祟りなどはもうありません。
    失いたくない部分だったのに。
    すべてが白日の下にさらされ、解明されてしまう。
    寂しい限りです。

  • メモが残っていないので日時ははっきりしないけれど、椎間板ヘルニアのリハビリに通っている頃に読み切った記憶が。リハビリ先が入院先と違っていた関係で途中バスに乗ってたせいもあって読みは進んだな。

    大学在学中に断念してたこの本を、読みきった時は感慨深かった。

    目からウロコの内容にもハマッてしまって、すっかり小松和彦先生のファンになってしまった。

  • 「憑きもの」信仰について著者がおこなってきた民俗学的調査に基づきつつ、人類学的な観点から考察をおこなっている。

    著者はまず、民俗学において「憑きもの」の定義があいまいであることを指摘し、民俗学から解放されたより広い立場から、「つき」の概念の規定をおこなう。たとえばトランプ・ゲームなどで、特定の誰かが勝ち続けるとき、私たちは「彼はついている」といい、負けの込んでいる他の人々は「こちらはまったくついていない」という。だが、やがて異常な勝ち方がとまると、「彼はつきに見放された」といい、別の人が勝ち始めると、「どうやらつきはこちらにまわってきたらしい」という。

    ここで「つき」は、異常な、理解不可能な事態を説明するために用いられている。だが、その「つきもの」がいったい何のことなのか、当人にもまったく不明である。そこでは、「もの」が「つく」という言葉で何かが説明されているように見えるが、じっさいにはその「もの」は何の限定もされていない言葉であり、その実体はまったく理解されていない。

    こうした見せかけの説明が生まれる理由を、著者は人類学の「限定された富のイメージ」というモデルを借用して説明を試みる。閉鎖的・自立的村落共同体では、集団の成員間の共同性・協調性が強調され、人々は個人的な地位の上昇よりも集団的な場での名誉を求めることになる。こうした閉じた社会では、一方が何かを多く獲得すれば、他方はその分だけ失っている、というイメージが人々にゆきわたっている。これが「限定された富のイメージ」である。

    乏しい富の配分をめぐって、仲間たちとのたえまない闘争によって彩られている社会では、急速に財産をなして上昇する者に対して妬みなどの心理が向けられる。急速に成り上がった者に「憑きもの」というレッテルを貼ることは、そうした社会の平準化のメカニズムとして機能しているのである。

    ただし本書の魅力は、こうした人類学的な理論の展開には尽きない。むしろ、いざなぎ流、陰陽師、山姥、器物の妖怪などに関する、著者の幅広い民俗学的研究が、上で紹介したような人類学的な理論的考察を鮮やかに彩っているところに、本書の最大の魅力があるように思う。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授、同副所長

「2011年 『【対話】異形 生命の教養学Ⅶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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