- Amazon.co.jp ・本 (826ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061818835
感想・レビュー・書評
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何をトチ狂ったか、初めに手を出した京極作品がこれでした。おかげさまで姑獲鳥の夏が薄く感じた。
山中の謎めいた寺というロケーションと印象的な登場人物、京極堂の膨大な薀蓄に、それが事件と密接に結びつき読む側も憑き物が落ちるという構造にどっぷりのめり込みました。百鬼夜行シリーズ内ではおそらく1番好きな作品です。この厚さを厚いと感じさせない筆力がすごい。
余談ながら、最初に読んだ京極作品が鉄鼠の講談社ノベルス版だったので、シリーズ通してついつい講談社ノベルス版で集めています。文庫版の表紙の張り子も素晴らしいのですが、やっぱりノベルス版が落ち着きます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
長い…長かった…。今までの作品の+200ページ位でしょうか?200ページの差は大きいんですねぇ。
とにかく人名が覚えられずふりがな付き名前一覧を見ながら読み進めました。
長くて難しい説明やら解説の所がありましたが、それを飲み込んでからこその続きが生きてくる。なんか似たような事を前に京極堂が関口に言ってたような…。
分厚い本の最後の最後まで謎を引っ張ってもらい、面白かった以上に達成感を味わいました。
あれだ大悟しました。だ。(・∀・)
理解が深まるまで何度か読み返したい話でしたねー。 -
最初は今一つ、と思ったが、パラパラと読み返すたびに楽しくなっていく。
なんなんだろうね。 -
事件に巻き込まれるのは嫌だと言いながら、一人になるとウツになる性質の関ちゃんの語り口。分厚いけれど人物が、よく動いてみせるので、どんどん読み進めてしまいます。殺人事件の謎解きとしては過去3作品に比べると最もシンプル。
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2013/01/22
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あら?私だけかな?
久遠寺先生とか、某お方とか再登場で「姑獲鳥の夏」のある意味続編っぽかったので。。あら?私だけかな?
久遠寺先生とか、某お方とか再登場で「姑獲鳥の夏」のある意味続編っぽかったので。。2013/01/23
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禅の教科書のよう
黒衣の陰陽師が現れなくとも自らの檻から出なくてはならない -
本というより、武器に近い。
というか、武器。
防犯に役立つ上、坊主スキーの心を満たしてくれる一品。 -
再読
禅の歴史が物語で説明されているので、理解しやすい。
そのまま認める受け入れる強さが大切と思う。
禅に興味が湧いた。
殺人動機が単純明快で好き。 -
シリーズで一番時間がかかった作品。面白かったけどしんどかった。そしてまだ完全に理解できていない所もあります。
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禅の歴史やお坊さんの説法?が多く、いつも以上に難しかったが、からくり的には半ばぐらいで分かったので、すっと読めた。
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再読。H9,11,6とありました。
以来、でもないと思うのですが。久し振りに再読。
禅が主で、難しいけど。
少しづつ分かりかけてきたような。
深いな、京極夏彦。 -
シリーズ全部好き。
最初に読んだのが、鉄鼠だったので今でもなんか一番好きな話。 -
お弁当箱みたい・・・
始まったばかりで、まだ波に乗れてません。
といって読み始め、随分と日数がかかってしまった。
早く読み終えたくて、(真相が知りたくて)
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臨済宗と曹洞宗のお坊さんが一緒に修行している奇妙な
お寺の近くでお坊さんが殺される.殺人後も容疑者の
お坊さん達は修行をやめないし,そもそもお坊さんの言うことは
何を言いたいのか理解できない.仏教の宗派はどれも大差ないと
思ってたけど,宗派の違いで歩く速さまで違うとは驚きました.
とにかく凄い話でした. -
修行は一日にして成らず、
而して一日にして
なくなるものでもない。 -
10年前、京極堂シリーズでなぜかこれを最初に読んで榎木津に惚れたのだった。
最後の憑き物落としはこれが一番スキッとしていた気がする。
ひさしぶりにもう一回読もう! -
長かった~。
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シリーズで最もお気に入りの1冊です。
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箱根の山中にある謎の禅寺でおこる僧侶連続殺人事件という筋立てはエーコの「薔薇の名前」を意識しているのかもしれないが、1996年当時はオウム真理教批判として読んだ。
座禅と瞑想は似て非なるものであって、瞑想することによってしばしば遭遇する「世界との一体感」のような体験は、禅宗では「魔境」として切り捨てられるのである。オウム真理教の幹部たちが「解脱した」と云っているのは、この魔境に過ぎないわけだ。
また、禅宗にあっては「悟ること」が目的ではなく、悟った後の修行(悟後の修行)が重要であることも忘れてはならない。 -
前作の『狂骨の夢』でも思ったけど、自分みたいに現実逃避気質の人が憧れがちのライフスタイルを描写するのが上手い。「ああ。だから僕は〇〇〇〇がーー否、〇〇〇〇が少し憎い。否、豪く憎い」という京極堂の台詞が終盤にあるけど、うっかり「羨ましい」と誤読しかけてしまった。作中では二重構造になってたのでややこしいけど、自分だけの居心地の良い時間の流れに浸って生きていたいなぁ。仏教的には怒られるとしても。
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再読
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私も京極堂と同じく(その足元には到底及ばないけれども)
「言葉」の人間である。だから彼が禅の前に尻込みするのは
よくわかる(つもりになっているだけかも知れぬが。だから
こそ「言葉」の人間なのであろう)。数年前までは人間は
理屈で生きているし生きていくべきだと勘違いをしていた
ような人間なのだ。もちろん実際はそんなわけはないのが
わかってきたのはここ最近である(苦笑)。
京極堂と禅との対決はそれなりに面白かったが、犯行自体の
謎解きは今ひとつだったかな。人間にとってこの世で一番
恐ろしいのは人間なのであろう。それはいつでもどこでも
そうなのである。 -
以前読んだシリーズと違い、山の上の禅寺を舞台とした普通の推理小説という感覚で、あれっという感じる。最後はなんとなく以前のシリーズのような雰囲気もあるのだが、「あれっ」という感じを拭えないまま終わってしまったかな。個人的には、私は通勤電車の中で読んでいるのでここまで厚い本は持って読むだけで大変。重い本は単行本とかであるので良いのですけど。
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シリーズを最近読み返しています。
覚えていない部分も多々あって改めて楽しめました。
宗教観になかなか頭がついていかないけど、毎回のごとくそういったディディール部分が事件の本質とは少し離れたところにあって、殺人それ自体とは関係がない(ない訳ではないけど、事件を飾る要素としての機能が強い)という構成がやはりとても面白かった。
それは兎も角として、美しいと表される坊主方々の見目が気になって仕方ないですね…