- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061963436
感想・レビュー・書評
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キルプの軍団の主人公や本作の主人公など、もちろん当人ではないにしろ、ある部分大江の子どもをモデルとしていると思われる細部は生き生きしていて素晴らしい一方、どこかお行儀が良過ぎるのではないかと思ってしまう。ただ、いつもにもまして小説家に対しては手厳しいところがあって笑える。
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オーケンの入門にとても適したソフトさを感じる。
内容は長男の光さんを題材にした必勝のフォーマット(?)、私小説的小説で自分の好みだがソフトなあまりハッとする箇所が少なかった様に感じた。
総じて楽しく読めたので、大衆にも適した素敵な作品。 -
小学校のときに障害児と関わっていて兄弟のように仲が良かったからか、大江健三郎の実体験から書かれた作品は、読んでいて親密さを覚えることが多い。この作品もそのひとつである。イーヨーのことを何か不具合のあるように描くこともなければ、特別清い存在のように描くこともない、その距離感が心地よく感じる。
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日本を代表するノーベル賞作家でありながら、亡くなってから初めて本を手に取る。
独特の文体ながら、障害をもつ兄との生活の中で、ゆっくりでもしっかりと考えながら生きていくマーちゃんとその周囲の人たちの姿勢に強く共感を覚えた。
2023.03.23読了 -
静かな生活といふ表題作
以前ツイッターで、気分が滅入った時には短篇「静かな生活」を読むと恢復するといふ趣旨のツイートを見かけ、表題作だけは三度目くらゐの再読になるが読んでみて、本当にその通りだと思った。
今回映画で感動したのをきっかけに初めて通して読んだが、表題作は連作中で群を抜いておもしろいと思ふ。アクション的な描き方と伏線のために。むしろ「この惑星の棄て子」と「案内人」はキリスト教色が鼻につく感じ(前者は情景描写も長いと思った)。「自動人形の悪夢」と「小説の悲しみ」はイーヨーに対する思ひを吐露してゐるが、表題作に比べて幾分あっさりしてゐる。「家としての日記」は表題作同様にストーリーが中心で、締めくくりにふさはしい。
さて私は全体的にはどちらかと言ふと伊丹十三の映画の方が好きといふ気持がある。しかし小説としては表題作が好きだ(映画のその部分は単純すぎると思ふ)。解説は伊丹十三で、この映画をつくるきっかけなどが書いてあり、ネズミトリ機などのエピソードはいいが、文学のテーマを語るくだりは的外れなやうな、おせっかいのやうな気がする。 -
読むのにとても時間がかかった。べつに言葉や内容が特別難しいというわけではないが、唐突に話が始まるような瞬間が何度もあって、語り手に追いつくのがワンテンポ遅れるような感覚になることが多かったから。
それでも、それが嫌ではなくて、奇妙なテンポに振り回されるのがむしろ楽しかった。
そして何より、この物語に登場する3兄弟イーヨー・マーちゃん・オーちゃんが魅力的で、心地よかった。 -
フィクションだって分かっているのに、どうしても、この本は大江健三郎じゃなくて大江健三郎の娘さんが書いているんだという意識で読んでしまった。最後まで。
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ここ数年前から、大江さんの作品をコンスタントに少しずつ、味わいながら、読み進めていこう、と暗に決めている。これは伊丹十三の映画のほうは見たけれど、原作としては読んでいなかったので。面白かったなぁ、ほんとに、この人の作品は、読んでいて、楽しい。(12/1/4)
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私小説に近い作風の小説。イーヨー、マーちゃん、オーちゃんの3兄弟が遭遇するちょっとした事件や、心的風景がテーマとなった6つの短編から構成される連作です。
読後、知的障害を持つイーヨーの一貫した純粋さ、明るさに救われた気持ちになります。 -
「魂のことについて」ってきれいな言葉だ。基本中の基本の疑問かもしれないけどどうしてこの人は、自分の家族に似た素材を使ってしか書かなくなったのだろう。<BR>
[06.10.10]<ao