- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062731614
作品紹介・あらすじ
大人は有害である。いじめ、閉じこもり、不登校…子供問題は世間を気にし、教えたがり、試したがる大人に問題がある。子供は大人の充足のためのものではない。新人、ルーキーだ。「これから何をするんだろう」「いつ化けるかな」大人は緊張し、楽しみに見守るサポーターになろう!心がほぐれ、元気の出るユニークな子供論。
感想・レビュー・書評
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目の前の子どもの問題をつきつめていくと、どんな時でも権力や政治のおかしさにぶつかる…と言ったのは、確か辛淑玉さんだったか。
子どもの問題=大人の(が)問題
考えてみれば当たり前のことなんだけど、常にそう意識してないと忘れてしまう。
未成年が犯罪を犯したとき、その子の性質や性格などに焦点が当てられ、厳罰に処せという意見が必ず出てくる。
ああいう輩はぜったいに更生しない。だから一生檻の外に出すな、と。
事件が起こるたび、思う。
果たしてそれで本当に解決するのかな。
少年の再犯率が高いのは、更生して出てきても、社会がそれを受け入れる仕組みになってなくて、再犯せざるを得ない構造になっているからではないのかな。
そもそも事件の背景に「大人の問題」がないわけがない。
それを改善せず、加害少年の生まれつきの性質だけを原因と断定して、罰して解決せよという考え方は、あまりにも短絡的というか、むしろ解決策を見えにくくしているような気がしてならない。
……なーんてコトを、五味太郎さんの本を読みながら思った。
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ダメな親ほど、子どもにとって親は絶対必要だと思っているようです。たとえば「二親が揃っていないから、この子は曲がった」などという言い方をよく聞きますが、三親いても四親いても曲がるやつは曲がります。(p.25)
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被害少年の家庭がシングルマザーで、子どもに目が行き届かなかった。…
確かにこれも、事件の要因の一つだろう。
でもね、シングルマザーで、4人も5人も子どもを抱えながら、子らを飢えさせずに生活を維持していくのって、どれだけ大変なんだろう。
正直、私には、できない。
だから、このお母さんは、本当にすごいと思うし心底尊敬する。
そう。
片親が原因で事件が起こった、のではない。
片親が、家族を守るために、子どものうちの一人が何の問題を抱えているか気づけないほどの時間を割いて働かなければ生きていけないことが、問題なのだ。
そして、このお母さんと同じ状況に置かれたら、私だって子どもの異常に気づいてやれる自信はない。
たぶん、大多数のお母さんたちも同じだと思う。
今現在私など、子ども一人しかいないのに、夫の帰りが遅くて全部自分がやらなくちゃいけない、わああーーーー!!もう限界っ無理っ!!ってなってるもん。
子どもは親のもの
っていう意識が 根強くあるのが日本。
だから、子育てが「孤育て」に なりやすい。
もっと
子どもは社会全体のもの
っていう意識が広がるといいのかもしれない。
やっぱり子育てって母親だけでやるもんじゃないしね、そもそも。
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…実はそういうシステムがアフリカのマサイ族にあると聞いてびっくりしました。マサイ族の少年は社会人になる前に、5年間ぐらい放浪するんだそうです。仲間数人とあっちへ行ったりこっちへ行ったりと草原で暮らし続けるのだそうです。そして、その子どもたちがやってくると、どこの家でもごはんを食べさせて泊めてあげる。必要な物は揃えてあげる。そうやって人生の勉強をしたのち、村に帰って、今度は彼らが村を守る人になるというわけです。実力がつくんですね。
それだけのことをする価値が子どもにはあると思います。10歳までにたっぷりときちんと物事を見る、そのことを怠ると、人生なんとなくやせてしまうような気がします。(p.196)
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以前も書いたけど、子どもにとって、いろんな大人との関わりがすっごく大事なんだってこと。
私は「斜め上の大人」って呼んでるけど、そういう存在がぜったいに必要だと思う。
(2015年3月11日のブログ記事再掲)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『この国は「努力」というものを過大評価する国です。』
大人には耳の痛いことだらけのエッセイ。
大人が考えることを怠けちゃだめだよなぁ…。
度々読み返していきたい。
一番好きなのは、この一文。
「ぼくは、心は乱れるためにあると思います。」 -
歯切れのいい言葉で語られているのに決めつけがない。すごい。
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武田砂鉄さんの”わたしの一冊”から。登録準が前後してしまったけど、氏の著作を読んだ流れで本作も読むことに。なるほど、多感な時代に読むにはうってつけな感じの一冊。なるほど、あの絵本の裏側にはこういった思索があった訳ですね。
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アタリマエという思い込みに陥りそうな状態から心地よく解放してくれる一冊。
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絵本の五味太郎を想像して読んだら全くいい意味で全く裏切られた。
世の「常識的な大人」に対する皮肉と毒舌のオンパレード。
かなり極端な意見も多く全てに納得できるわけではないが、違った視点、複眼的思考を与えてくれる本だと思います。
毒が多いので読後感は爽やかとは言えませんが。 -
新しい世界への提言。
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中学1年生の娘が、40代の母親を刺し殺した事件があった。なぜか、暗澹たる気持ちになる。
子供たちの置かれている状況が、いじめ、ひきこもり、不登校などの問題がある。子供の問題である。
ところが、五味太郎は、大人問題が大きな問題だという。
五味太郎が、「まじめな子どもにふまじめな大人が説教する」と指摘し、もっと「子どもから学ぶべき」という、提起をしている。たしかにそうである。
とにかく、大人たちは、疲れきっている。どんな時でもわかったような顔をしている。他を落とし込めて優位に立ちたい人がいる。世間を気にしている。義務と服従が好きな人がいる。どうも、大人には、うんざりしているのが子供たちなのだ。
子供に文句をつけることはできるが、大人はどうしたらいいのかわからないでいる。
たしかに、今の子供たちを縛り付けている現状をどうかえていくのか。
子どもを自由にのびのびと生活させるために何をするのか。
わからないまま、今のやり方ではダメだといって、いるだけでは成り立たない。
「子ども」という不思議な存在を、大人の立場から論ずるのではなく、子どもの立場から、論ずることが必要なのである。
何事もほどほどに、バランスが大切。
私たちがこれまでがんばってきたのは、誰のためだと子供に説教をする大人。
服装の乱れは、心の乱れと訓示を垂れる大人。
「命令をきかない子」「みんなと一緒にやらない子」などとレッテルを貼る。
世の中はしていけないことが多くあって、していいことが少しある。
自分のしていることがしていいのかどうか、ちょっと子供は心配だという図式なのです。
子供を成長過程の人間であるとして、人格をきちんと認めるのが大人の作法なのです。
子供を未来の視点から、誉めてやることが一番大切なんだね。
子供の問題にしないで、子供のことを大人の問題にすることで、視野が広がる。