- Amazon.co.jp ・本 (704ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062736329
感想・レビュー・書評
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一庶民の視点から見た、敗戦前後の日本の描写と、個人の感慨であり、貴重な史料である。山田が有名にならなければ世にでることはなかっただろう。
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若き医学生、山田誠也青年による、運命の昭和20年の記録。何に驚くといって、この過酷な世界の中で、ほとんど毎日何かしらの本を読んでいることである。案外戦中派の人達の中には「あの頃が一番本を読んだ」という人が多いらしい。一種の現実逃避だったのかもしれない。ところで、この日記は日々をライブとして記録しているのかと思ったら、実は出版にあたって少し編集しているところがあったらしく(後に出た「焼跡日記」におなじような記述が見られる等)、それに気付いた時にはちょっとだけ興醒めした。とはいえ、若かりし頃の作者の冷静と情熱がひしひしと伝わってくる事には変りはない。しかし、これほど知的探究心に富み、怜悧な洞察力を持った青年が、戦後「うんこ殺人」などという、中島らも氏をして「このミス」で「未読だがタイトルだけで一位」と言わしめる作品を生み出す小説家になろうとは、まさかの運命の変遷を御神もご覧じろ、といったところか。
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資料番号:010465193
請求記号:915.6ヤ -
長らく私の中でこの本はすごく重要な本であるという認識はしていても、どう重要なのかわからないものだった。そして、それは積ん読という行動に表れていた。今以て、読んでいない。だから、どんな内容が書いてあるか知らない。
どうして重要であると思い購入に至ったかなんてのはその当時のそれこそ日記を書いていればそれを読むしかない。今更、何とでも言える。
その事に気づいた時、これが重要な本であることが不謹慎を覚悟で言えば原爆が脳天に直撃したかのように、そして初めて水の意味が分かったヘレンケラーのように「ブラックスワン」と叫んでしまった。これは奇想天外な忍術を使えないただの医学生が体験した不確実な日常。何が起こるか分からない中で生きている。それ以上何もない。
そして、多分レビューにはそのような重要性について多くの方が語られているということは言うまでもない。しかし、私はそのようなレビューを読んだって分からなかったに違いない。それが個人の限界である。この事において、自分が特別にバカだとも思わない。これが生きるということなのだ。そして生きるということは死ぬ可能性があると。より良く上手に生きたいという欲望が本を読むという行動を起こさせる、しかしこの本に書かれているのはそんな努力は何が起こるか分からない中では意味がないという悲しいお知らせだけだ。その重要な事実に読書家は興奮する。なんとマゾヒスティックなのだろう。そして人はこれを「生きる歓び」という。 -
敗戦後の焼土と化した東京の惨状の生々しさに圧倒されました。罹災民の中でも老人や戦災孤児の姿は哀れであります。闇市に群がる人々や買出しの満員列車に揺られる人々の今日を食いつながなければならない逞しさと同居する悲しさに私の親世代の苦労に頭が下がる想いでいっぱいであります。そして、巻末の作者の 「日本は亡国として存在す。われもほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。」が辛く悲しい。嗚呼。
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戦争ものに興味があり、自分なりに結構読んで来た……ようなつもりでしたが、こんなのがまだあったとは。
小説はたくさん読んだけど、あの頃を生きた人の「日記」を読んだのは初めてかも。
文語体の文章が少々とっつきにくいので、読み飛ばしてしまった箇所もあったけど、昭和二十年に東京で暮らしていた青年の生活や思ったこと、読んだ本などが書かれていて、とても興味深かったです。
驚いたことがいろいろ。
まず知らなかったのが、医学生は「学生」でいられた、ということ。
勉強不足でした。
東京大空襲があった日でも、大学では試験があったこと。
あんな時代にエイプリルフールで(この人だけかもしれないけど)嘘をついたりしてること。
敵性語で横文字とか音楽とか聴くのダメだったのではと思うけど、外国の本を結構読んでること。
なんとなく、空襲がきたら、家の火を消すとかするよりも、とにかく逃げろ!という感じじゃなかったのかなと思ってたけど、みんな頑張って火を消そうとしたりもしてたこと。
空襲のところと、8月15日以降のことと、戦後の日本のことが、特に熱心に読みました。
高須さん、と勇太郎さんて誰なのかな?と思っていたら、解説でどういう関係なのかを書いててくれて、ありがたかったです。 -
山田風太郎の昭和20年の日記。
兵役検査で合格しなかった事実を知っていると、アメリカに対する敵愾心や、戦争が終わって転向した日本人に対する怒りが、より悲痛に感じられる。
あとがきで小学校の同級生34人中14人が戦死した事実に思いをはせ、
「死にどき」の世代のくせに当時傍観者でありえたことは、ある意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。
と記している。おそらくは、最期までその劣等感は克服できていない。今で言う医大生だったので、たとえ兵役検査に合格できる体を持っていても一兵卒として徴用されることはないのだが、それを隠れ蓑にしている疾しさが行間から感じられた。
ほんとに本をよく読む人だなというのも印象的だった。 -
右傾化の懸念と軍備増強を求める声が高まる今日このごろ、いろいろと考えさせられる日記だった。
戦中の日記には、空襲が続く日々の現実の凄惨さとは対照的に、不屈の明るさというか、希望というか「負けるはずがない。負けてたまるか」という前向きなエネルギーが根底にある。戦局はごまかしようもなく行き詰まっていることはわかっているのに、それでも、なんとかなると信じ、なんとかしたいと念じる気持ちというのは、どこからくるのだろう。
一転して、終戦後の混乱と飢餓の様子には、あきらめと惨めさが色濃く影をおとしている。空襲でインフラがずたずたになってもなんとか食料は流通していたのに、敗戦とともに都市部の飢餓が深刻化していく様子を読んでいて「秩序」というものについて考えさせられた。
窮乏という弱みにつけこんだ金儲けが戦中もなかったわけではないけれど、敗戦を機に、それがあからさまに堂々と行われるようになっていく。戦中はなんとか維持されていた共同体意識とそれを担保する枠組みが敗戦とともに瓦解して、個人が「自由」になったとたんに、弱肉強食が野放しになるという現実。
もうひとつ印象的だったのは戦後になって「憎い敵」であるはずの占領軍兵士たちの人間らしい一面や意外な優しさを見聞きして、相手が残酷でないことに安堵することもよろこぶこともできず、むしろ苦々しい想いがつのっていく心情の複雑さ。それは、いままでの拠りどころを失わざるを得なくなったつらさからきているのではないか。
「懐疑的で醒めている」はずの視点が、実はどっぷりと時代の流れの中にとりこまれていたということに直面しても、自分の中でそれを認めるのはきつい。それまでの自分の思考や信条の根底にあったものが「嘘」であったと曝されて、自分の感覚が信じられなくなることからくる不安や、やるせなさ。投げやりになりたくなる気持ちを抱えつつ、満員電車にゆられて買い出しに行き、わずかに得た食料を工面してなんとか生き延びていくための日々の努力は続いていく。
日記というのは人目を意識して書くものではないし、あとから振り返ってみれば恥ずかしい内容だってある。それをあえて出版することに踏み切った山田風太郎の心意気には敬意を払わざるを得ない。
いまだから必要な一冊 -
戦時中の貧乏医学生の日記 妹尾河童の 少年H を読みまくった私は再び 戦争の中の日常 に取り込まれた どうしようもない怒りや悲しみがそこには確かにあって そうやって皆生き抜いたのだと思うと 自分なんてまだまだだな と思った
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「正気の沙汰でない思想もあるし、見当違いの滑稽な判断もあるし(中略)、当然年齢相応の、青臭い、稚拙な、そのくせショッた、ひとさまから見れば噴飯物の観察や意見もある」と自分でいう日記をそのまま公開した勇気に敬意を表する。高所大所に立った歴史的知見はひとつの見方でしかない。こういう資料がなければ、当時、ふつうの人が何を考えていたかわからない。わからなければまた繰り返す。