ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

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著者 : 村上春樹
  • 講談社 (2004年9月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748698

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ノルウェイの森 下 (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

  • 一体何年ぶりに読んだんだ?
    1987年だったんだ。22歳か・・・若かったな〜
    この緑と赤の装丁が本屋に山積みにされていて・・・
    それまでも村上ファンだったから、何かこの作品で一気にファンが増えて、社会現象的な作品になったことを記憶しています。

    改めて読むと・・・軽くて重い、青春小説だったのかな
    もはやどうすることもできない純然たる「死」と、どう向き合って生きていくのか・・・
    やっぱりヘビーな作品です。

    女の子は、できる限り奔放で、キュートで
    男は、ストイックであり、主体性はないが、一風変わった我が有り、
    気分は軽やかであり、しかし死を哀しいまでに内包している。

    やはりいい作品だと思います

  • 30年ぶりの再読です。
    文章の美しさに驚かされます。
    50になろうかとするオヤジが読めば、ウジウジと悩み、しかしヤリまくる主人公に辟易しそうなストーリーであるのだが、なぜかその苦しみを分かち合い、初々しさに嫉妬してしまう。
    女性陣がなんとも魅力的でいい。
    軽快で哲学的、生きていくための教訓をなんと多く含んでいることか。
    感受性の鋭さゆえに苦しみ、必死で生きようとする若者たちには、覚めた目で見つつも感情移入してしまう。
    こぼれ落ちる者が悲しいが、生き残ろうともがく者への救いにホッとする。
    村上さんを青春期にもっと読んでおけばよかったな。
    オヤジは永沢が一番好きだな。
    「自分に同情するな」は、30年来心にとめている。

  • 3回目。今まではラストのレイコさんとの件がどうにも解せなかったのだけど、あれは二人を死の世界から生の世界へと引き戻す為に必要な行為だったんじゃないかと思えてきた。その前の二人ですき焼きを食べるシーンは、肉を食らうということは生へのどうしようもない衝動なんじゃないかと。死の世界にいる直子ではなく生の世界の象徴たる緑にワタナベが惹かれてしまうのはどうしようもない生への渇望なんだろうなと。「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」蓋し名言。これは生(性)と死の物語なのだ。2011/512

  • 高校生のときに初めて読んだ村上春樹。
    その時の印象は暗くて静か(そういうのは好きなのだけど)、あまりの性描写の多さに村上春樹は苦手だとおもうきっかけになってしまった。いみのない性描写はきらい。官能小説みたいでなんか嫌だ。
    でも今回改めてきちんと考えながら読んで、この作品に於いての性というのは"生"のことなのかなという考えに至ったら、一気にすっきりとした。

    生を受け入れられない直子と、まっすぐに生と向き合おうとする緑と、生の世界にありながらも直子のもつ死を見つめざるを得ないワタナベくん、死に近いけれどまだ選択の余地のあるレイコさん
    全力で正直な緑が好き。死に影響されつづけるワタナベくんが生をわすれなかったのは、生命力にあふれている緑との関わりがあったからだと思う。

    結局はまだまだ生きなければならないけど、生きてゆく限りは多くのものを失うことになるし、世界にはきれいじゃないものが沢山あるし、自分のかなしみのことだけ考えていく訳にもいかないし、でもそれに向き合うのが生きるということだから。
    4年ぶりに読んだノルウェイの森は、生きるパワーやあたたかさを感じる作品だった。
    すごくうまく組み立てられた作品。村上春樹がすごいと言われる理由が分かり始めたかもしれない。

  • う~ん、正直なところ、これ、一体全体どういう物語なのかさっぱりわかりませんでした。  これがバカ売れした理由も KiKi には見当もつきません。  「ねじまき鳥」の方は読んでいてまだ「ある種の感覚」が揺さぶられるような気がしたけれど、こっちは何だかスポーツ新聞とか男性週刊誌に載っている KiKi があんまり評価しない「官能小説」とどっこいどっこいという印象でした。

    「性」を扱うのは構わないし(それで顔を赤くしちゃうほど初心ではない)、ある程度露骨な性描写があってもそんなのには動じない程度には成熟(?)している自負のある KiKi だけど、この物語のそれは正直なところ不快感以上のものを感じることはありませんでした。  

    そんな描写が多い中にクラシック音楽やら60年代~80年代の洋楽ヒットチャートみたいな音楽の話が出てくるのも、何気に許せない(苦笑)  この物語に出てくる様々な音楽のうち半分ぐらいは KiKi 個人にとっても何等かの思い出と密接に関わっている音楽であるということもあって、何だか KiKi の思い出まで冒涜されたような気分になってしまいました。

    「生と死」を扱っていると言えば聞こえがいいけれど、主人公のどこか斜に構えた、もっと言えば甘ったれた「死生観」がそれこそ腐臭のように漂う小説のような気がしたし、登場人物の誰一人として共感できなかったのが KiKi にとっては致命的でした。  

    主人公のどこか頑なな気質の根っこにあるのは17歳の時に体験した「親友の突然の自殺」にあることはわかるし、その事実を消化し乗り越えるのに時間がかかったこともわかるんですよ。  親友の死と同時に、「1人生き残ってしまった自分」を持て余したのもわかるし、ある意味で虚脱状態に陥ってしまったのも理解できるんです。  特に昨日までそこに存在しているのが当たり前だった人が何の前触れもなくいきなり消えてしまうな~んていうのは、人を混乱させるに十分な出来事であることは、同じような経験をしていない KiKi でもある程度は想像できます。

    でも、逆に言えばこの主人公のような解決の仕方をしていく人間というのにどこか嘘っぽさを感じずにはいられません。  そういう意味では直子さんの方がまだ理解できるような気がするんですよね。  「生」と「性」を結びつけるのもわからないじゃないけれど、彼の「性に対する感覚」もちょっと理解の範疇を超えちゃっているように感じるんですよ。  率先して・・・・ではないにしろ、あれだけ「自堕落」とも呼べるような性行動をしている一方で、直子さんや緑さんとの対し方にある摩訶不思議な拘りはいったい何なんだろうか?ってね。  

    主人公の人間関係もどこか腑に落ちないんですよね~。  学生寮や大学にこれといって「友」と呼べる人間がいなかったのは、時代背景とか彼の心を占めているものと同世代の学生の心を占めているものとの相違という点でわからないじゃないけれど、1人の人間が生きていくうえでかかわりを持つ人間関係というのはそれだけではないはずです。  親もいれば親戚もいるわけで、少なくともあの時代の「親族」というやつはこの主人公にとってのそれほど存在感が希薄ではなかったと思うんだけどなぁ・・・・・・。

    ひと頃 KiKi の親世代の人々が KiKi やそれより10歳くらい年長(ちょうど村上さん世代)の人たちに苦言を呈する際に「ひとりで大きくなったような顔をして・・・・・」というのがあったけれど、この主人公ってまさに「ひとりで大人になったような顔をし、自分の哲学だけを頑なに守り続けている没社会交渉の孤独な人間」っていう感じがするんですよね。  そして生身の人間との接点が少ない分、歪な個人主義の中でこねくり回した感性だけを大切に抱え込んでいる・... 続きを読む

  • 下巻もひたすら不安定な気分になり
    読んでいて自分がどこにいるのか分からなくなる
    消えてしまいそうな不安に襲われたのを
    覚えている。

    この感覚は一体なんなんだろう…とこわかった。
    でもひきつけられる作品。

  • 読書会で何回も言おうとして言えなかったこと。ノルウェイの森を読んで、ああ、別にわたしはなんの意味もなく死にたくなったら死んでもいいのだと思った。死にたくなって、死んでもいいと思って、でも最終的に生きることを選んでいるのは、死にたいと思わない以上に生きているということなのだ。
    読書会ではノルウェイの森を散々皮肉ってしまったけれど、「生は死の対極にあるものではない」。それは確かに頷けるもので、わたしを勇気づける。生と死は表裏一体だ。わたしは毎日生まれ、死んでいる。
    ひどく落ち込むとヨガにいく。汗をだくだくかくホットヨガ、後半では死体のポーズを何回もする。わたしはそこで自覚する。「わたしは死にたかったんだ。とてもとても死にたかったんだ」そしてヨガをするたびに死ぬ。また生まれる。細胞が、喜ぶのだ。汗をかいて、身体の限界に挑んで、身体は、細胞は、「まだまだできるよ。こんなにできるよ。傷ついても死んでも、また生まれるんだ」そんなふうに泣き笑いしながら主張している。それは生きる喜びだ。

    ノルウェイの森みたいに、ファッションのように意味なく死んでしまってもいいということ。選択の自由はあるということ。命より大切なものはないなんて嘘だということ。そんな嘘くさく息苦しく道徳は捨ててしまっていいということ。
    逆説的なことかもしれない。弱肉強食の世界で食って生きるのも、食われて死んでいくのも、後者でさえ幸せか?食われた動物の中でまた再生産されるなら。その動物がまた死んで、土へと還り、また生きるなら。そうやって永遠に世界をふわふわ漂っていられるなら。
    そういう自然の循環から外れてしまった人間はどうだろう。肺になり骨壷に閉じ込められどこにもいけない哀れな人間は?

    ノルウェイの森のレヴューとはかけ離れしまった。答えも出ていない。でも素直に思うことはそうなんだ。
    死んでもいいけど生きている。働かなくてもいいけど働いている。選択の自由はわたしを強くする。労働の義務なんかより、ましてや生命の価値なんかより、わたしの選択の自由が偉大だと言うことは、逆説的に生きるということを肯定する。

  • エロいから、下品だから、という理由で村上春樹を嫌う人は「もったいないなあ」と思う。
    もっと違う「主人公の自己愛」だとか「語彙のひけらかさ」とかそういうので村上春樹を嫌ってほしい。

  • 私は読んでいて、
    どちらかというと死んでいった人の方に心が寄り添いました。
    性から生が生まれるので、生死を描くのに性を持ち出すのは、
    別段不自然とは思いませんが、それにしても性描写の多いお話でした。

    物事はなる様にしかならない、人が生きるというのはそういう事。
    だからどんなに注意しても、ベストを尽くしても、
    人が傷つくときはどうしたって傷ついてしまう。傷つけてしまう。
    分かっていても、それを避けようと躍起になったり、
    うまくいかなかった時に自分の言動を悔やんだり人はしてしまうもの。
    そうして思い悩むから、心は擦り減っていくのかな。
    だから生きている人は、それを乗り越える強さか、
    其れをそういう物だとやり過ごせる余裕がないといけない。
    そうだとしたら、やっぱり生きていく事って、中々しんどいですね。

  • 下巻に入り、天真爛漫で奔放、無邪気な緑と、次第に病が重くなっていく薄幸な直子との対比が描かれ、ワタナベ君へ次第に恋心を募らせ段々と存在感の増して来る緑の事をいじらしく感じました。
    逆に思い出の中で生き続ける直子とは、彼女の病状の悪化と共に、段々と逢う機会も少なくなって行き…。
    直子とワタナベ君にとって共通の大切な人であったキズキ君(死者)を想う気持ちは大切だけど、あまりにも想いを引きずるとその人の心まで病んで来るのかなぁ…と。
    また、物語の最後でレイコさんから打ち明けられた直子の本当の気持ちを聞き、その頃にはすっかり自分と主人公の気持ちを重ね合わせていましたので、軽いショックを受けました。
    女の子の本心(内面)って分からないよなぁ…って。
    中には緑の様にずっと細かなサインを発している人もいる訳で、これを見落としちゃ駄目だなぁと。
    青春の一コマ、愛する人を失い、深い喪失感からなかなか立ち直れないでいる一人の青年の心の葛藤を渾身の力で描写しています。
    直子の儚さと危うさは、紙一重のところで狂気に接していると感じ、狂気は人から人へと伝染するのであろうと。
    僕らは現実の世界の中で“いま”を生きているのだから、人生で何度か訪れる大切な人との出会いと別れの中で、自分自身の心にどう折り合いをつけるのか?また、その時心の支えとなってくれる存在は?など色々と考えさせられる物語でした。
    映画化もされているので、今度は是非映像の方も見てみたいです。
    ワタナベ君は今をどう生きているのか、その世界を少し垣間見てみたかったなぁ…と思いました。

  • 下巻になり、女性の心が手にとってわかる位、描写が分かりやすく、文体が綺麗。この小説は春にぴったり。春になれば、何度も読みたくなる。
    私の事を決して忘れないで。

  • 趣味の世界には極めた人だけが到達する面白さというものがあると思う。
    小さい頃から趣味の欄には何気なく「読書」と書き続けてきた。
    小学校の時はよく本を読んだという理由で校長先生から図書券をもらった。
    あたしの趣味がたまたま読書であったから、今回は読書のことを書こうと思うが
    恐らく趣味と呼ばれるものの多くに共通していること。
    極めることでその面白さが何倍にも膨らむということ。
    好きになるということ。それはすなわち恋と同じで、その人のこと、その人の
    好きなものを知りたいという気持ちになるということ。

    あたしが好きな村上春樹の小説に関しては、恐らくもうある程度の「極み」
    に達したと思う。特に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は
    1年に1度は必ず読み返す長編小説です。同じくらい読み返す小説に
    同じく村上作品の「ノルウエイの森」がある。これはベストセラーにもなり、
    今秋映画公開にもなるそうだ。頑なに映像化を拒み続けてきた村上に
    一体何が起こったのかファンなら皆がそう思ったに違いない。

    今回「ノルウエイの森」のことを書こうと思ったのは、私が好きなラジオ番組
    でもある武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という短いトーク番組がきっかけ
    だった。武田鉄矢と村上春樹には何の接点もない。以前そのラジオ放送内で
    村上春樹の小説について武田鉄矢が語った場面もあったが、少なくとも
    武田さんにとって村上春樹の小説から何かを引き出すことは出来なかった
    らしい。「今朝の三枚おろし」はネットで一週間分をまとめて聞けるので
    もし興味がある方は聞いてみてください。

    http://www.joqr.co.jp/bbqr/index.php

    ここは毎週月曜日に更新される。朝5分という短い番組を一週間分まとめて
    約30分ほどのファイルにして公開している。私も毎朝聞けるわけではないので
    こちらのサイトでまとめて聞くことになる。昨日は月曜日だったので、早速聞いて
    みた。武田鉄矢少年(18歳)が初めて「竜馬がゆく」を読んだ時のことが
    切々と語られていた。

     『竜馬がゆく』(りょうまがゆく)は、司馬遼太郎の長編作品。
     「産経新聞」夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載し、
     1963年から1966年にかけ、文藝春秋全5巻で刊行された。
     1974年に文春文庫発足に伴い全8巻で刊行、
     単行・文庫本ともに改版されている。(Wikipediaより)

    あたしが武田鉄矢が好きなのは、趣味が同じだからというわけではない。
    性別も育った環境も違うので、趣向は全く違うし、好きな本、
    感動した作品ももちろん違う。番組内で紹介された映画や本も
    いくつか読んだり観たりした(「悪の遺伝子」「ベン・ハー」など)だが、
    残念なことにそれらの作品があたしの琴線を”強く”震わせることはなかった。
    だけど武田さんとあたしには明らかに共通点がある。
    好きな人、作品などに対する想いの純粋さとか、感動する心の震えようの
    ありようとか、そういったものが確かに似ている。ある友人に言わせると
    「武田鉄矢なんてただの威張ったオッサンじゃないか」と一笑されて終わったが
    「今朝の三枚おろし」を聞いているとあたしは武田さんの思いのこもった
    ものたちが、まるであたしが愛でているもののようにいとおしく思えてくるのだ。

    今年は大河ドラマにも竜馬がとりあげられたりして、竜馬好きな武田さん
    にとっては特別な想いもあるのかもしれない。武田さんの話を聞いていると
    竜馬が本当に好きなんだな、ということがよく分かる。
    私は「竜馬がゆく」を読んだことがないので、これから書くことは全て
    武田哲也が番組トークで語った内容です... 続きを読む

  • この作品では、いつも胸を締め付けられてばかりだ。
    人の死がどこからともなく自然にやってくるし、
    直子とワタナベとの“恋愛”が凄く繊細で、幻想を見ているよう。
    そして、緑に心惹かれていくワタナベの気持ちもわかる気がする。
    この作品、女性と男性でかなり見方が違うだろうなぁ。
    映画も観たかったけど、昨日で終わってしまった。
    そして今日、大学受験が終わった。正確に言うと、前期が終わった。

  • 主人公ワタナベを通して死が生の反意語ではなく生の一部であることが語られていく。死はあっけなく訪れ、生は坦々とすすんでいいく。
    社会的に正常な人の異常性、社会的に異常な人の正常性など、誰もが一度は感じたことのある感覚を思い出させてくれる小説である。

  •  松山ケンイチさんが『ノルウェイの森』に出ると知り、例の如く下巻から手を出しました。否、下巻に手を出しました。
     この人は、女の人が嫌いなのですか。女性の扱いがあまりにも酷い。中出しするなと言っているのに勝手に中出しして責任もとらぬまま終わる。女性と自分を傷つけてばかりで高笑い。自嘲だとまるで自分を憐れんでほしいかのごとくすさむ。だれもが。
     これが恋愛小説なんですか。女性とセックスするだけで自分が不幸だと嘆くだけの物語が、相手に全てを任せきりで自分勝手な人間の物語が、恋愛なのですか。

  • 純愛に生きたいが性欲に翻弄される大学生の話( ´ ▽ ` )ノ

    主人公に限らず、なんでこの小説の登場人物たちはセックスのことばかり考え続けているんだろう?( ´ ▽ ` )ノ
    男も女も老いも若きも、みんなスケベ( ´ ▽ ` )ノ
    西村寿行ワールドも大概だけど、ハルキワールドはそれ以上かもしれない( ´ ▽ ` )ノ
    他に熱中できることはないのか?( ´ ▽ ` )ノ
    だれもかれも道に迷って、中には病院送りにされもしてるけど、根本的問題は明々白々( ´ ▽ ` )ノ
    人間ドラマというより、進化したボノボの物語を読まされた感じだった( ´ ▽ ` )ノ

    たしかに面白く読めはしたけど、二度三度読みたいとは思わないな( ´ ▽ ` )ノ

    3作読んでみてはっきりわかった( ´ ▽ ` )ノ
    自分にハルキは合わない( ´ ▽ ` )ノ
    まあ、買いためた分があるから、あと4作は読むけど、それでおしまいだな( ´ ▽ ` )ノ

    2017/04/17

  • 上巻、下巻まとめて読んだ。この前に読んだ「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」と若干台詞や設定など似てる部分があって、個人的には読みやすく感じたけれど、反面、最後まで物語を理解出来ずに(いや、今も理解出来てないんだけど)いた。

    最初は簡単に言えば「壮大な恋愛物」という勝手な印象を持ってたんだが、恋愛物だとかそんな枠ではくくれないような話しで、かと言ってじゃあどんなの?なんて聞かれても、自分はまだ上手く説明も出来ないなぁこれは

    でも、きっとこれは解釈が人によって様々なんだと思う(まぁ、これに限らない話しでもあるけど)

    恋愛物として好きという人も、または青春物、人生論的と捉えてる人とか、自分みたいに単純に性描写がエロいというのを主に感じた人もいると思う 笑 何にせよ、自分がこの物語を理解するのにまだちょっとかかりそう

    あと女性達の台詞で気になったのが、何か所々「本当よ」「本当だよ」ってのが入ってるのは、一体何だろうか?この主人公の疑い深い顔だとかを表してるのかなぁ

    個人的に緑に「この次教室で会っても話しかけないで下さい」って言われたあたりから、「あれ?何だかこの感覚経験あるかも」となり、そこからもう主人公と自分が重なり始めて、地味に辛かったような、またちょっとだけ懐かしいような、そんな気持ちになった

    そうは言っても、読んでいて際立って悶々とする事はなかったなぁ。むしろ自分は全体的に瑞々しさすら感じた方でした。

    自分は如何せんやっぱりその性描写にばっか捉えられちゃってて、正直そこばっか頭に浮かんでて、う〜ん、もっかい読まなきゃ駄目だなぁ 笑

    ちなみに、この女性達の中から選ぶとするなら、断然緑を選ぶと思う自分は

  • 上下共読み終えて初めに感じたのは、世間での知名度とこの作品の内容は本当に見合っているのかという疑問だった。自分はこの作品を好んでいるしこきおろすつもりもないけれど大衆小説として人々に読まれるにはちょっとアクが強いんじゃないか。
    後はこの作品は何か教訓的なものを含んでいるとも言い難い。読後にメッセ―ジを感じるわけでなくなんとなくの達成感があるだけだ。この作品は何より村上春樹自身が自分の体験と考えを消化するためのプロセスだったのだと思う。
    わけもわからず人が死んだ。それも自ら選んだ選択であったこと。それが本人にとっても自分にとっても正しかったのか、そしてその事実が自分やその人や周りの世界にどういう意味をもたらしているのか。愛した人が死んだことをいつまでも悔やみ続けている方が正しいのか、ほかの女を愛することは間違っていて裏切りでしかないのか。
    自分の生き方を、悪い言い方かもしれないが正当化するためにこうして物語を作り完結させたのかなというのが自分の推測。

  • あまりにも退屈で難解な小説でした。
    でもなんとか最後まで読みました。
    それはまるで苦行のような長く苦しい戦いでした。
    それでも最後まで読ませてしまうのが村上春樹作品なのでしょう。
    何年かしたらもう一度読んでみたいと思います。

  • これは私的な感想のようなもので、この本とはあまり関係がないかもしれない。

    本には、読むべきタイミングというものがある。

    ぼくがこの本をここに登録したのは、どうやら2年前のことであり、そのころから「読まなくては」という思いがあったが、しかし読まずにいた本がこの『ノルウェイの森』である。

    そういうたぐいの本は、いくつかある。
    奇妙なもので、そういう本たちは、どこかで「読みなさい」と語りかけてくるタイミングがある。

    今回は、ぼくの先生が「高校生時代にクラスで流行ったのよ。ちょっとエッチで、そのときは刺激的だったわ」というようなことを言いながら、勧めてくれた。
    ただし、先生によると「最近読んだら、当時ほど感慨はなかったなぁ」ということだったので「ぼくの年齢ならどうですか」と聞くと「あなたなら、十分読めるでしょう」という答えをもらった。

    読後、まぁ、その人のいうことはわかった。

    主人公は20歳くらいだし、いま、先生は40代、ぼくは20代だ。

    たしかにこの本は、ぼくにさまざまな感傷を与えた。
    どうせぼくのような、陰気なやつは、だいたい同じことを思うだろうから、そのへんの感想は、ほかの陰気なやつに任せる。

    ただし、主人公がこんなにもヤリチンな文学作品というのは、ほかの文豪、たとえば太宰や三島が好きなひとたちは、どう思うのだろうか……w
    ぼくはこの一点について、異議を唱えたい気持ちはあるけれど、それでもこれが文学作品としてなりたっていることがすごいと思う。

    それから、先生の言うような「ちょっとエッチな」部分は、べつにたいしたことはなかった。文学作品ならこのくらいの性描写はあるのかな、と思う。ぼくは谷崎とか好きな奴だし、そのことは先生には伝えていなかった。(そもそも先生は谷崎など読まないだろうから、伝えたところでどういう意味の発言かなど理解できないのだ)

    先生には、まだこの感想を伝えていないし、この本を読んだということも言っていない。

    本というのは、その人の人生や、価値観、考え方を構成する、小学生的なことばで言えば『心の栄養』だ。
    この感想を先生と共有することで、また、先生の仔細な感想をぼくが聞くことで、先生の、未知な『心の栄養』が引き出せれば面白い。

    それが、ぼくの『心の栄養』になっていくという現象は、なんだか素敵なことのように思えるのだ。

  • 十代から何度か読んでいるのだけど、いつも受け止め切れない。
    ぬるりと指に隙間から逃げてしまう。
    今回の再読でこれまでと違ったのは、作者は「グレート・ギャッツビー」が大好きなんだなぁとしみじみ思ったこと。
    文中で言及されているからではなく、冒頭で直子について書こうと思ったとして始まる今作は、ワタナベが書いたギャッツビーのように思えたのだった。
    ただ、ギャッツビーは読み終えてギャッツビーの物語だったと思うけれど、今作は直子ではなく自分のことしか語ってないね自分のことしか考えてないねワタナベという印象。
    そこが今作を好きになれない理由の一つなのだろう。
    たいてい人は身勝手なものだ、けれどワタナベはそんな自分と向き合うことを放棄しているように私は思ったのだった。

    読了後に参加した読書会で幅広い意見が出て、また私も見方が変わったように思う。
    それを踏まえてまたいずれ再読しようかと思っている。

  • 20歳になったので、そろそろ読み時かなあ・・・と思い、挑戦してみました。読み終わって私は「主人公はどうすれば良かったのか?」と考えました。もし、私がその立場に立ったら、どういった選択ができるだろう。何ができただろう。そう思いました。そこで引用になりますが「放っておいても物事は流れるべき方向に流れるし、どれだけベストを尽くしても人は傷つくときは傷つくのです。」
    この言葉で私はなんとなく救われた気持ちになりました。同時にこの作品の切なさと美しさをヒシヒシと感じました。素晴らしい作品です。

  • すっごく面白かった。村上春樹の作品は、過去に1つか2つほど読んだことがあるが、これが最も面白かったと感じた。

    途中の挿話やキャラクターの一言がいちいち面白く、どのページをパッと開いて読んだって面白い。売れたキッカケの作品のようであるが、なるほど勢いを感じる作品であった。

    大筋は案の定分かるような分からないようなそんな話であったが、あんまり大筋はどうでも良いのかもしれない。細部が面白く、何度も読み返したくなるようなそんな作品であった。

  • 気になった点をいくつか。

    ①母親っぽい人との性交
    海辺のカフカでも似たことがあった。

    ②ビルダングスロマン?
    多分、主人公は成熟していると思われる。
    エンディングでの「自分のいるところがわからない」というのは、やっとそもそもこの世界が混沌としていることに実感として気づいた、という意味合いがあるのかな。そしてそれは成熟というのとなのかな。僕は成熟しているか微妙だから、本当かわからないけれど

    ③キャッチャーインザライのリスペクト?
    手を怪我したり、赤帽子の話だったり。

  • 大学のお気に入りの教授が、よく村上春樹の本から言葉を引用する。それがいつも素敵で、だけどその意味をなんとなくしか理解出来ていなかった。だから、いつか村上春樹の本を読んでみたくて。。そして、何故か衝動的に、「今すぐ図書館に行ってノルウェイの森を借りなきゃ!!」という気持ちになって借りてきた。でも、読み始めるまでがなかなか手がつけられなくて。だって、村上春樹っていったら、高尚なイメージだったから。でもね、読んでみたら…表現が美しい。世界観にぴったりと当てはまる言葉たち。愛と死と。とてつもなく官能的な性描写…いやあ、これ中学生の時に読んでたらだら卒倒しただろうね。それに意味も全然分からなかっただろうな。ちょうどこの主人公たちの年齢の時に読めて良かった。レイコさんの手紙がとても印象的。自分自身、ワタナベくんにも直子にも似ている部分があって。誰かを傷つかないように生きることは、結局自分自身もその周りの人も傷つけているような気がする。

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ノルウェイの森 下 (講談社文庫)の作品紹介

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと-。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。

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