- Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062752725
感想・レビュー・書評
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読書録「はじめてわかる国語」4
著者 清水義範
え 西原理恵子
出版 講談社
P18より引用
“あんなつまらない見学のことをどう書きゃいいのか、と思いな
がらも、型通りに、行った、見た、ためになった、という作文を
書いたものだ。”
目次から抜粋引用
“国語って正体不明の学科だった
悩ましきかな漢字
あの歌はこんな意味だった
挨拶は丁重に”
小説家・エッセイストと漫画家のコンビによる、学校で習った
国語の問題点について記したエッセイ集。
国語の試験についてから日本語本ブームについてまで、西原氏
のマンガを添えて書かれています。
上記の引用は、小学校での国語の勉強についての一文。
著者はそういう型通りに書くという事が出来たのなら、作文に関
して恵まれていたのだなと思います。つまらなかったことをつま
らなかったと一言でしか書けないような、私のような人は、原稿
用紙を見るのも嫌になったのではないでしょうか。
思ったことを書けとしか教えてくれないのに、そんなにたくさん
の文章が書けるはずがないのです。もっとたくさん文章を書く時
のコツというものを、教えて欲しかったものだと今でも思います。
自国の言葉は大切にしたいものだなと、下手な文章しか書けな
い私でも思います。
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斎藤美奈子さんとの文章読本対談が良い。
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前半☆☆☆☆☆ 後半☆☆
中一の娘が夏休みの読書感想文の宿題でどの本にするか悩んでいたので、教科書に載っているおすすめの100冊ってのを見せてもらった。「バッテリー」、「さくらももこ」、「ボッコちゃん」が並ぶ中、「少年H」もあった。教科書会社の主張ってこういうところにこっそり入れるんだな〜「少年H」が間違いだらけであることはもうとっくにバレてんのにね。
その中にあったのが清水義範氏の「おもしろくても理科」。このシリーズ、何冊か読んだことがあっておもしろかった記憶があるので書店へ。「おもしろくても理科」は売り切れてて、この「はじめてわかる国語」と筒井康隆の「わたしのグランパ」(これも教科書にリストアップされてた)を購入した。
前半の国語教育のおかしさの指摘は本当におもしろい。著者の国語教育を揶揄した著作があろう事かテストに出題され、そして著者はそれを解けなかったというエピソードは誠におもしろい。昔、遠藤周作か北杜夫のエッセイで同様のを読んだ気はするが、これこそ国語教育のおかしさなのだ。
読書感想文には嫌な思い出がある。読書感想文なんてテクニックで、感動的な本を読んで、あらすじをまとめて主人公を自分に置き換えて、プラス思考の意見を書いて、自分の未来像でも書いておけばいいのだ。私は中学時代、その手法で読書感想文の宿題をこなしていた。するとある日、国語の先生が「この本で書いてみんか」と一冊の本を渡してきた。おそらく何らかの読書感想文コンクールにでも出すつもりだったのだろう。なんてタイトルの本かは忘れてしまったが、その本を読んで私は途方に暮れた。障害者の施設の話。今ならなんとでも書きようはあるのだろうが、当時の私のテクニックで読書感想文を書くとなると最後は「こういう人たちを助ける仕事をしたい」とても結ばないと終わらない気がしてしまったのだ。結局、先生に断りその読書感想文は書かずに終わった。
読書感想文なんて本当の感想を書けばいいのだ「おもしろくなかった」でもいいし、「きれいごとだと思った」でもいい。国語教育に道徳を持ち込むなと清水義範氏はいう。中学時代にこの本があれば、私の読書感想文ももっとおもしろい物になったのにと思った。
2001年のエッセイのため、ゆとり教育を喜んでいるのは差し引いても前半はおもしろい。
ただ、後半、「文章読本」の話からは私には興味がわかない内容でした。 -
小中高と国語は得意科目だった。自慢話になるが、高校の頃は学年トップに立ったこともある。それでいて、本書に引用された小学生の国語の問題が解らない。まさに著者の言う「正体不明の学科」だ。
「あの歌はこんな意味だった」を読むと、清水義範も多くの人が陥りがちな「巨人の星」に関する勘違いをしている。「思い込んだら」と「重いコンダーラ」。主題歌のあの箇所で飛雄馬は地ならし装置を引っ張っていないにも関わらず、引っ張っていたかのような誤解がまかり通っている。昔のアニメージュでも論争があったものだ。
著者は「巨人の星」連載時、少年マガジンの編集長に会った際に「消える魔球はなぜ消えるんですか?」と尋ねたそうだが、アニメの方は視ていなかったのか。 -
多分10年振り位の再読のはず。
おもしろいし、国語教育の話とかいま読んでも共感できると思う割に、内容は全然覚えてなかったなあ。
きっと今回もそうなんだろうなと思う。
不思議と後に残らなくて、なのでまたいつか同じような気持ちで読んで、同じような感想を持っちゃうんだろうな。
こういうのも悪くないもんだよ(^^) -
そこそこ面白かったです。
対談の分のページを文章にまわしてほしかったなぁ。 -
学校の読解問題が主要なテーマかと思ったら、拍子抜けだった。「日本語」についての短編集も出して、国語の教員免許を持つ著者が気になる日本語のあれこれについて考えている。谷崎潤一郎『文章読本』について触れられた部分が特に興味深かった。改めて『文章読本』の影響の強さに感心した。
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古本で購入。
「そうそう、そうなんだ清水さん」と著者に共感を覚えずにいられない。
数年間、塾で国語を教えていたからわかる。小中学校の国語はかなりヤバいのである。
たった数年間、塾で国語を教えていただけでわかる。
と言うか、そんなのは自分が教わってたときから知ってた。
僕は国語が好きだけど、国語の授業は嫌いだった。
たとえば、意味があるのかさっぱりわからない精読。
「獅子狩紋錦」は確かにおもしろかった。でもこれを何時間もかけてじっくり中身を見る意味が僕にはわからなかった。
「『獅子狩紋錦』だけ読めても他の文章を読み解けるわけじゃないからなぁ」という嫌なガキだった。
いやまぁそれを読むずっと前からだけど。
たとえば、どんな小説も道徳的な結論になるところ。
「夏の葬列」は確かにおもしろい。 だけどこれは「一度背負った罪からは逃れられない」とか、そんなことなのか?
それまでの教科書の文章にはなかった読後感をそんなもんで片付けていいのかと思った。
著者も言うように、国語の授業は特に小説単元で「あやうい」し、「道徳教育になっている」のがいかんと思うのだ。
小説は読ませろ。でも感想の誘導はするな。
感想文だったら、とにかく思ったことを書かせりゃいい。
「オツベルと象」で、「俺の方がオツベルよりうまく象を使役してみせる」などと書くやつがいても、丸をあげればいいじゃないか。
その生徒は間違いなく「自分の感想」を書いたんだから。
小説の単元なんてのは、「語彙習得と読書体験の積み重ね」程度でいいんじゃないか。
あと文学史。小ネタを挟むと食いつく。
国語は子供が自分から本を手に取るための入口であるべきだ。
感想文は云々と言ったが、その「思ったこと」をロクに文章にできない子供が山のようにいることが問題なのであって、学校の国語の授業はもっと「自分の気持ちを相手に伝える文章・話し方」の練習をさせるべきなのだ。
問題を解かせて自分がなぜその答えを書いたのかすら説明できないのはマズいと僕は思う。
などと無意味に語ってしまった。
もちろんそんな内容だけじゃなくて、国語にまつわるおもしろい話が載ってます。
それにしても、著者の言うとおりやはり国語は「学科の王様」なのだなぁ。 -
そうだったんだ、国語!が盛り沢山。授業の国語が窮屈な訳が、今になってやっと分かった。
余白を楽しめるのは、日本語の表記法が不安定だからなのかな。
国語を残してゆきたい、に諸手を挙げるが、果たして自分の国語力はそれを宣言できるレベルなのであろうか!!