- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062770606
感想・レビュー・書評
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親鸞
歴史の教科書では習った気がするけどどんな人だっけ?
よくわからないけど、とりあえず読んでみるかと読み始めたら
あっという間に読了。
浄土真宗の親鸞なんですね。
師は法然。
当たり前かもしれないですがそこら辺の関係がよくわかりました。
伝記なのかなぁ
想像していた世界とは異なっていました。
読まなきゃわからない世界。
言葉も難しくなく上巻途中で親鸞という人に興味津々になり
苦悩や悲しみや孤独感などとても魅力的に描かれていて上下巻を読み終わった後には親鸞に恋している私がいました。
妻、恵信への想いなど出会いから書かれているため、
恋愛小説とも思えるような なんともいえない素晴らしい本でした。
さっそく親鸞関係本を取りそろえてしまうまでに
続編が非常に楽しみ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いや、面白い。
つってもお坊さんの話でしょ?
と、説教臭い地味目な内容を予想してたら
どっこい序盤からドラマチックな展開で飽きさせません。
むしろエンターテイメントに徹しながら、
折々で仏教の考えや、現代にも通じる人の内面、社会の有り様を
嫌味なく置いていく感じ。
スーパー草食系の主人公が、
持ち前の内向性と空気の読めなさを発揮しつつ、
あっちに行ったりこっちに行ったり。
しかしまっすぐな姿勢が周囲に好かれるもんだから、とにかく世話になりっぱなしで。
ええい、しっかりしろ。
とつい感情移入してしまう。
基本的に読者の目線を一手に引き受ける主人公は、
「で、仏って結局なんなの?」「なんでみんな念仏唱えるの?」「それで誰が救われるの?」
と、こちらが気になる所にちゃんと引っ掛かってくれます。
まあそうなると坊さんとしては異端の道をゆくことになるんだろうなあ。
巨大なものを相手にしても自分で考え、理解しようとする姿は美しいです。
上巻は幼少期から青年になるまでのどこか青臭さの残るお話でした。
厳しい修行を重ねても女子と話すと途端に舞い上がる普通の青年。
分かる分かる。 -
親鸞の考え方は現代においても通ずるところがあり参考になります。
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「もし運良く物事が運んで,自分がなにか偉い者であるかのように驕り高ぶった気持ちになったときは,この石を見て思い出すことだ。自分は割れた瓦,河原の小石,つぶてのごとき者たちの一人にすぎないではないか,と。そしてまた,苦労が続いて自分はひとりぼっちだと感じたときは,この河原の小石のようにたくさんの仲間が世間に生きていることを考えて欲しい,と。」
「浄土をひたすら恋う気持ちが分からなければ,念仏は分からない。頭で浄土を思い描いている限り,法然房のもとに集う人びとの心は理解できないだろう。そのこころは心ではなく情なのだ。浄土は情土なのだ。唯識で心はとけるが,情はとかすことはできぬ」
「仏の道を国の教えとして確立されたから尊敬しているわけでもない。立派な憲法をつくられた偉い方だからでもない。身分というものをこえて,世間の人びとにわけへだてなく生きる技を教えてくれたおかただからこそ太子を慕う者たちがいる。人びとが法然棒を慕うのも,同じであろう」
「真実の仏に会おうとすれば,当然,なみの覚悟では出来ぬ。狂うところまでつきつめてこそ,真実が掴めるのじゃ。しかし…狂うてしもうてはだめなのだ。その寸前で引き返す勇気が必要なのじゃ。命をかけるのは良い。だが,命を捨ててはならぬ。」
「法然房はのう,こういわれたそうな。酒は飲まぬ2こしたことはない。しかしそこは,世のならいなれば,と」 -
読み始めてすぐに思い浮かんだのが、陰陽師だった。
なんだかワクワクしてきた。
忠範がなんとも可愛い。
河原坊浄寛
ツブテの弥七
法螺房
この三人がまた魅力的
昔観たことがある漫画が浮かぶのだけど、なんて漫画だったかなぁ・・
牛若丸と弁慶も思い出した。
仏の世界のことはわからないけど、厳しい修行にあえて挑んで行く忠範、まだ小さいのに切なくなる。
そして、この三人の関わりが面白い。
病室にて読了 -
今年になって、よく読むようになった作家のひとり。
小説を通して仏教をわかりやすく説明している。 -
仏教を扱う本なのに読みやすい。すらすら読める。
まだ、名前が親鸞じゃない。 -
これを読むことで、自分なりの考えが、生まれてくるかもしれない。
◇購入 -
久しぶりに『小説』とちゃんといえるような本を読んでる気がする。
今週末、家族総出で祖母の納骨に京都の大谷祖廟にゆくのです。
そこに、この『親鸞』の文庫化。
歴史物は苦手故、読めるか不安だったが、どんどん読める。はまる。
範宴の苦悩が、なんだか心に染みます。
つぶての弥七が、範宴に渡した小石に添えた言葉、この世も地獄、あの世も地獄と覚悟する者たち、罪を犯していると自認し、そうでなければ生きていけない身で、だけど、それでも地獄には行きとうない、と嘆く人。
んー。それぞれのエピソード、言葉が素直に入ってくるのは、さすが五木寛之か。
親鸞が近くに感じる。
週末までに、下巻読み終えたい。
大谷祖廟に行く前に。
「身分や職業の高下などない。この世に生きることは苦しい。心と体が痛む者を助けなければならぬ。よりよく生きる道をさがそう。そしてよろこびをもって生きよう。それ意外になにがある?」 -
正直この小説で涙するとは想像していなかった。仏教界が、世俗にまみれた時代に生きた親鸞の少年時代を描いたこの上巻では始終若き親鸞は、悩みに悩む。仏とはなにか?信仰する主に対して悩む姿は、他の坊さん達には理解されず、狂ったのではないかと思われる。仏教界と世俗との間で、常に悩みながら生きる姿は、数百年前の話とは思えないリアリティがある。これが五木寛之の力かと唖然とさせられる。