- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062773140
作品紹介・あらすじ
「孤独だからいいんだ。孤独だからこそ速くなれる」。友人、家族、町、世界、そして愛-すべてを置き去りにして鬣の生えた少年スプリンター成雄は速さの果てを追う。そこに何があった?何が見えた??-誰がいた???疾風怒涛、音速も超え、すべての枠を壊しマイジョウオウタロウの世界は、限界の向こう側へ。
感想・レビュー・書評
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私はあまり本を読むわけではありませんが、
舞城王太郎ほど感覚の言語化が鮮やかな作家を知りません。
世界は壁だらけでぐにゃぐにゃしていて、
それを越えるために他の作家が言葉や世界をこねくり回してあっちゃこっちゃぐるぐるしている間に舞城王太郎はジェットエンジンを持って飛んでいってしまう。
でも操作がうまくないからよく墜落している。
この作品は、まさに舞城王太郎といったもので、
とにかくストイックに、走るスピードを追求しつづけている。
しかしなぜかこの社会においては、足の速さと走るスピードは比例しない。それは周りの念が邪魔をするから。
とにかく常識だとかルールなんていうものは、こと早く走ることに対しては邪魔しかしない。周りに群れる大多数の凡庸の平均値だからね。
それに対する煩わしさの描写が実にすばらしい。
もしかすると舞城王太郎はものすごいスピードで走り続けて地球の接線方向に飛び出したまま宇宙の彼方へ飛び去るのではないだろうか。
(ミステリー作家ではないかという意見もあるだろうけど)
舞城王太郎はどちらかというと純文学作家というよりも詩人のように見える。
鮮やかに描いて、たどたどしく物語る。
あまりにも描写が鮮やかだっただけに、ラストのまずさが異常に際立ってしまう。
スピードを上げて上げて上げて、なんでその先に目的地があるのだろうか?否定したはずの異物の存在をなんで認めてしまうのか?
この、最後には必ず鮮やかな世界に取り残される消化不良感もいつもの舞城王太郎です。
それとも、このラストのちゃぶ台返しまで含めてすべてが一本筋の通った意図なのだろうか。
いずれにしても、世界がどう広がろうと私には絶対に手の届かないところに到達している作家であろうことは間違いありません。
そして、そう思わせてくれるのは舞城王太郎だけなのです。 -
読み始めた時は「酉ガラさんのかいたものみたいだ」と笑ったが、ともあれこれ、まさか出鱈目に行き当たりばったり、それこそスピードを求めるかのごとくあらゆるものを置き去りにかかれているのか?と不安めいた気持ちになったが、各章の関連性というものが際のところで破綻に至らないまま文字通り加速するスピードが小説の形で、あらゆる枠を、閾を、破壊してゆく。なんていうかメタバース?みたいな?もの?を思ったりあだち充が提唱してるところのスターシステムみたいなことかと思えばすんなりと気にならなくなった。その腑に落とし方が正しいかどうかはともかくだが、最終章にまぁなんとなくそういうことかわかる説明のようなものはあるけど当該箇所を読むまでそのように理解できる人はいないんじゃないのと思うし、となれば各読者がそれぞれなんとなく暫定的な腑に落とし方で読み進めるしかない。
ともあれそんなことは瑣末で、小説を読んでて「速い」と感じるのは初めてだったしそれはすごいことだ。小説のスピードはこちらの匙加減に依るはずだからだ。ページをどんどん読ませるとかぐいぐい引っ張られるおもしろさとかじゃなくて、単純に読んでいる間、身体的な感覚として「速さ」を感じる。これはどういうカラクリなんだろうか。視覚から肉体に入ってくる小説が皮膚の触覚に伝播する。 -
これ、本当に疾走感があって好き。
まず僕は「ソニックブーム」という現象が好きだ。それが登場していて、なおかつ舞城王太郎さんの作品であるのだから本当にこの本は性癖に刺さりました。 -
不思議な感じ。
先輩になったり後輩になったり同級生っぽくなったりするのが面白かった。
このテンポのいい感じはすごく好み。 -
自分で作っちゃった枷のはずし方。
弱い自分との戦い方。
なんて事考えずに、先ずはこの疾走感が好き。
ニヤッと終われる、ラストシーンも心地よかった。 -
舞城先生の話はいつも読み終わってから解説を探してしまう。
物語は分かりやすいし一つ一つの事象もシンプルなのに、全体像に震えのようなブレがあって、掴めそうで掴めない不思議な気持ちになる。
内容は、同じキャラクターが違うシチュエーションでアレコレ起こるのだけど、お互いの話は繋がらない。
共通しているのは主人公がめっちゃ速いってことで、そのスピード感は本編を読んで味わってほしいです。 -
2017年2月19日読了。
2017年26冊目。 -
「山ん中の獅見朋成雄」と設定は共通している部分が多いものの、キャラクターの印象も異なり、世界観も違う。ただ、この作品でも倫理観を飛び越えてしまう成雄くんが描かれている。前作よりもその超越感はより顕著になっており、それは彼の能力がよりわかりやすい形で表現されているためだろう。
また、前作では彼自身が異様な世界(社会)に飛び込む展開だったが、こちらは逆で、日常的な世界で彼の異様な能力が浮き彫りにされている。同じような能力の仲間はいるものの、その中でも成雄くんの自我は一線を越えそうなのは、彼が他者の存在を必要としないためだろう。
それでも最後の最後ではやはり他者とのコミュニケーションを求めるし、だからこそコミュニケーションの難しさにぶつかる成雄くんが愛しい。彼の暗中模索は続くだろうけど、手探りの未来が待っているのも悪くない。 -
集中力
善悪
背中の毛
歯車が噛み合ってなくて、エンジンは高速で回転してるのに、タイヤは空転してあんまり進んでない感じ。 -
漫画的表現と展開とテンションで描くなんだかよくわからない疾走。まあまあ面白い。
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なるおシリーズすき!
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少し前に福井で九十九橋を見かけたため
久しぶりに舞城氏が読みたくなった
相変わらずのぶっ飛んだ限界超過っぷり
その横にいる透明感のある女子も健在
確かに限界は自分および他人に
つくられるものなのかもしれないと思い
自分で限界を作っていた あることに
挑戦してみることを決めた
自己啓発本でうたっている限界超過と
小説で見せつけられる限界超過は受け取り方が違う
小説の方が夢見がちだけど
案外、努力し続けるための納得度が高い気もする -
これはまた違った趣向の成雄シリーズ。過去に遡ったりしてるのか?と思ったけどパラレルなのかな。ちょっとずつ設定は違えど、結局は同じテーマというか、同じところに導かれている感じはする。「獣の樹」でもそうだったけど、「木」とか「森」がなんだか禍々しいものとして描かれているのが印象的。それにくらべると石は神聖かな。とにかくどの成雄も人の痛みには鈍感なようでいて、女の子を守ることには熱心。
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初めて舞城王太郎の作品を読んだが、びっくりした。
よく分からないのに、何故か引き込まれてしまう。
不思議な魅力を感じた。 -
地を這う意識のたゆたなのと、浮上していく意識の突破するのとがおもしい
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『線の上を走り続けるのは難しいが空中に並んだ点に順番に体当たりするのはたやすい。』
『走るとき、僕の意識は足にはなくて胸にある。』
『誰かの感じる限界が、他の人間に限界を作ることだってあるんじゃないのか?』
『速く走ろうと思ったら独りにならなければならない』
『百メートルを十五秒で走るのも十秒で走るのも三秒で走るのも、結局右左右左のキックの連続だ。』
『誰も僕についてこれない。誰も僕に追いつけない。』
『そんな奴らと友達になれるはずがない。』
『孤独だからいいんだ。孤独だからこそ速くなれる。孤独だからこそ遠くまで行ける。』
バチンッ!
『成雄くん!』 -
相変わらず繋がってるような繋がってないような展開。関連性はあれど一つの夢みたいに、全てが相関しながらも筋は全く通っていない。そんな幻想的な世界を面白がらせながら、そしてパズルとメッセージを読者に解かせながら、舞城ワールドは相変わらず疾走する。
音速を超えちゃうランナーで背中に獣みたいな毛がいっぱい生えている。
このB級な設定が、たまんないよ。
善悪の分別とか、
社会の圧力と強制とか、
そしてそれに気づいてしまった後の人のブレについての話。
純粋に一つのやり方を貫き通すとかじゃなくて、世の中は複雑だという話。
未分化で社会の中でいう大人になりきれなかった、悪くはないけど規範からも外れてしまう人たち。
気持ちと意志力が人間の一番強い力で、社会の常識はそれをたまに邪魔してしまうのはみなが賛同できる一方で、前者を突き詰めて後者をとことん軽んじた場合に思わぬconsequenceがある。感情とか心とか道徳とかを大事にしないと見失ってしまう。
「なにかちょっと言ってみるのは、他人だからこそだ。様子をみたいんだ、判らないから。」 -
薄っぺらくてとっつきやすそうな題材の割に、構成が難解だったなあ。。音速を超えちゃうような俊足のナルオくんの、あらゆる仮定の集積?みたいな。
ひしひしと孤独なナルオくんがようやく救われるエンドは、後腐れなくさっぱりしてはいるけど、なんだか違和感。
舞城王太郎の作品の中では、いまひとつかも…と思ったけれど、もっともっと読み込んでナルオくんの境地に近寄りたいな~と思わせるあたり、やっぱり舞城王太郎すごい。
ヒュパパパパッ!